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“シニアの入り口世代”が考える。異なる世代で構築できる未来 <前編>

小林貴博さんは、民間シンクタンクの研究員として、個人や環境、経済など、さまざまな視点から地域をウォッチしてきました。プライベートでは、子育て支援を行うNPO団体の運営に携わっています。自身がシニアの入り口に差し掛かった現在、次の世代に何が残せるのか?今回は、「多世代で構築できる未来」をテーマに、ポスト・コロナ社会での新しい文化や環境の構築において、多世代で何ができるのかについて語り合いました。

-----------「高齢者インフレ」?
>桑原
緊急事態宣言が出てからは落ち着いたようですが、トイレットペーパーの買い占め、スナック通い、マスクの不使用など、一時期シニアの振る舞いに批判が集まっていましたね。
コロナ禍の中でこうした批判が出ているわけですが、その裏には、コロナ以前からの、超高齢化や経済の停滞、そこからの、終身雇用制度の終焉、介護制度の崩壊…と、自分が生きることだけで精一杯なのに、保障されない未来や老後のために、そして会ったこともない高齢者のために、なぜいま国に搾取される必要があるのか、と感じている人たちが大勢いることが理由のひとつだと思っています。実際に、そういう声を直接だったり、アンケートの回答だったりでいただくことがあります。

>小林
今日の超高齢化&少子化社会が来ることはもう数十年前から明らかだったのに、制度政策を立案し、国民にそれを誠実に説明すべきリーダー層が、彼らの認識不足や認知のゆがみ(旧来の家族制度やコミュニティや性別役割分業に対する執着)によって、社会の傷口を広げてしまったと感じています。
30年前から私は懸念していたことですが、高齢者の比率が増えれば、社会における高齢者の価値は相対的に低下し、社会からリスペクトされず、そうした一部の高齢者たちのモラル低下が起きます。私は勝手にこれを「高齢者インフレ」と呼んでいます。

-----------「年をとってからの自由」ってなんだ!?

>桑原
昨年、『BABA lab』で実施したシニアを対象としたアンケートで「年をとってよかったこと」について聞きました。意外に思う人も多いかもしれませんが、70代以上の方の回答で「自由」をあげる人が多数をしめました。仕事や子育て、介護、結婚生活、そうしたものから自由になり、誰にも遠慮せずに自分の人生を生きる自由を謳歌するのだ、そういう回答が多かったんです。
ですが、言ってみれば、本来、人は自由ではないと思うのです、この地球に生きている限り、環境問題から逃れられる人はいないはずですし、後世への引き継ぎという役目だってあるはずです。すべてに自由にふるまうことが許されない場面もあるはずで。
「残り少ない人生くらい自由に生きたい」「もう死ぬから」という気持ちを持つのは理解できますが、少しわがままに生きすぎてはいないか?その“わがまま”が、後につづく世代を失望させてはいないか?とたまに感じてしまう場面があります。もちろん、次世代のために動いているシニアも周りにはたくさんいらっしゃいますし、これはシニアのことをずっと考えてきた私が、愛を持って“あえて言う”ということなのですが…。

>小林
「自由に生きたい」高齢者――私自身、今後の自分のことも含め、とても考えさせられるトピックですね。
シニアの入り口に立っている私からすると、これまでの人生で、仕事や家族のために自分を犠牲にして我慢し続けてきたシニアが、いろんなしがらみがなくなった途端に「自由な老後を生きる」って、なかなか難しいんじゃないかな…と思ったりします。そもそも、「自由」ってなんでしょうね…?
桑原さんが主宰する『BABA lab』のキャッチフレーズに「長生きするのも悪くないと思える社会」ってありますね。今まで我慢してきて、ようやく勝手気ままに暮らせるぞ~っていうシニアにとっての「悪くない社会」ということではなく、これから中高年になっていく次の世代の人たちが、「未来に絶望せずに歳を重ねられる社会」のことなんじゃないか、と私は受け止めています。そのためにシニアがどんな役割を担うことができるのかを考えるのが、長生きした人の責任なのかもしれません。

----------- 口には出しにくい「淘汰圧」

>桑原
「長生きするのも悪くないと思える社会」――シニアにとっても、これから中高年を迎える世代にとっても、そうあってほしいと願っています。とはいえ、自分がシニアになったときに、次世代のために動くことができるのか?そこに自信はありません…。いつか年老いた自分は、“子供に背負われて姥捨山に行く”のでは? そんな風に思うこともあります。
近年、続いている社会全体の閉塞感や超高齢化社会を生きる不安が、当事者にも非当事者にも、切迫した具体的な形で姿を現しているのではないか、と思います。

>小林
こういう時期にこんなことを言うのは不謹慎でしょうし、人前で言うことではないと思いますが、今回のコロナ禍は、超高齢化社会における一種の「淘汰圧」なのかもしれないな…などと実は思ったりするんですよね。自分自身、淘汰される側だと思っていますが。

>桑原
先日、朝日新聞に、分子生物学研究者の福岡伸一さん(著書『生物と無生物のあいだ』を読んで以来ファンです)の寄稿がありました(デジタル版 https://www.asahi.com/articles/ASN433CSLN3VUCVL033.html)。今回の新型コロナウィルス流行に関してどう見るか、という内容なのですが、要約すると、親子の遺伝を「縦方向」とすれば、生物が強くなるためには「横方向」に強くなる必要もあり、それを助けるのがウィルスだと。今回のウィルスで、人類は淘汰されようとしているが、“新しい免疫の確保”という進化が得られる、という話でした。歴史を積み重ねてきた人類ですが、いかに脆い存在かと思います。植物のほうが存在として断然強い。人間だからと奢って生きることのむなしさは強く感じたりもします。

>小林
福岡伸一さんは、分子生物学の専門家なだけでなく、文章家としてもいいですよね。私も大好きです。医学的な視点から見ると、病原体(細菌やウィルス)は「人類の敵」ですけど、ひとつの生物(ウィルスは生物とはちょっと違うけど)として考えると、やっつけるだけの相手ではないように思うし、やっつけること自体不可能ですよね。医学的視点も重要ですが、私には、福岡さんのような生物学的視点からのウィルス観の方がしっくりきます。

----------- コロナ禍で文化にも崩壊が起きている

>桑原
話題は変わりますが、今回の騒動で、世界中の文化も危機に瀕しているように思います。欧米ではハグやキスが禁止されている状況ですし、先ほどの高齢者の話で言えば、「長老者を敬う」という、これまで日本人の道徳としてとらえられていきたものも、空々しく感じてしまいます。この文化が揺らいでいるような状況についてはどう思いますか?

>小林
結局、「文化は生命に劣後する」ということなんだろうと思います。逆に言えば、「衣食足りて礼節を知る」でしょうか。今日の人々の文化や習慣、さらには宗教の教義などについても、過去のさまざまな生命活動の必要性から発生し、残ってきたのだと思います。砂漠の宗教として、イスラム教やユダヤ教、キリスト教のような一神教が起きてきたのも当時の人々が生き残るために、当時としては合理的な選択だったのではないかと。
アメリカにおける9.11以降、日本における3.11以降の社会が、それ以前と同じではいられなかったように、このコロナ禍が終息した後の「ポスト・コロナ社会」も新たな構造化を模索することになるのだろうなぁと感じています。
ただ、「ポスト・コロナ社会」が、常にコロナの影に怯えることにより、社会的な生物である人間の実存を脅かし、否定するような社会になってしまうとしたら、コロナ対策なんてせずに、生き残れる人たちが生き残って、新たな社会を作ったほうがいいんじゃないかと、私は思ったりもしますね。

>桑原
「ノアの方舟」を連想してしまいました…。以前、文化社会学の先生に質問したことがあります。「文化は、若者が生み出すものなのか? それとも、今までは若者層が多数だったために、若者の層で文化が生まれたのであって、超高齢化社会はシニアが文化を牽引することもあるのか?」と。その先生は、文化は若者からしか生まれない、とおっしゃっていましたが、「本当にそうなのかな?」と(笑)
小林さんが先ほど言った「新たな構造」が今後できるとしたら、「年長者は敬う」とか、「上座・下座」とか、そうした文化や刷り込みは一旦忘れ去って、シニア世代と若者世代が向き合って、新しい文化を構築できたら素敵だな、と私は思います。

>小林
「文化は若者がつくる(若者にしかつくれない)」というのは、若者たち自身に多様性と多面性があり、他者の多様性・多面性を受け入れる柔軟性があり、なおかつ数的なボリューム(影響力)がある社会ではそうなんだろうと思います。
ただ、我が国のような超高齢化社会では、これから高齢者発の文化も出てきそうな気はします。高齢者の中にも新しい文化を生み出す柔軟な人はいるだろうし、そうではない高齢者もいる(もちろん若者たちも同様ですね)。
子ども、若者、子育て世代、中年、高齢者という枠組みを超えて、これまでにないようなおもしろいこと、ユニークなことを考えたり実践したりする人たちが相互につながり、受け入れ合ったり、応援し合う世の中になればいいなぁと思います。


<後編>へつづく

■プロフィール
小林貴博(こばやしたかひろ) シニアの入り口に立った自分たちの世代は“くびれ世代(人口ピラミッドのいちばんくびれたところ)”でもある、さらに「くびれだけでなく、若干くたびれてもいます」と言う小林さん。
一般社団法人日本リサーチ総合研究所の調査研究部長を経て、現在は『BABA lab』客員研究員。市区町村の経済調査や地域資源活用、民間企業の商品開発等、社会調査及びマーケティングリサーチを得意とする。プライベートでは、「NPO法人わこう子育てネットワーク」の理事として、子育て世代を支える活動に長年携わっている。


桑原 静(くわはら・しずか) 1974年生まれ「団塊ジュニア世代」
『BABA lab』代表。WEBコミュニティの企画者を経て、リアルなコミュニティをサポートする世界に飛び込む。2011年『BABA lab』事業をスタート。シニアの働く場・学ぶ場・遊ぶ場の仕組みづくりに取り組む。「長生きするのも悪くない」と思える仕組みを多世代で考えることがミッション。https://www。baba-lab。net/about


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