見出し画像

シニアが語る『自由』について (Remix)

またRemixです。小林さんとの対談の中で『自由』というキーワードが出たのですが、その記事を読んだ方々と『自由』について意見交換をする機会が何度かあり…また文章を編集しました。しつこいし、手離れが悪い…。

“シニアの入り口世代”が考える。異なる世代で構築できる未来 <前編>https://note.com/babalab/n/n79768d31e8f4
この記事から『自由』について切り取ったRemix版です。
----------------------------

この2か月間、シニアが語る「自由」とはなにかについて考えています。

昨年、『BABA lab』で実施したシニアを対象としたアンケートで「年をとってよかったこと」について聞きました。結果、70代以上の方の回答で「自由」をあげる人が多数をしめました。仕事や子育て、介護、結婚生活、そうしたものから自由になり、誰にも遠慮せずに自分の人生を生きる自由を謳歌するのだ、そういう回答が多かったのです。

私は、本来ひとは自由意思はもつけれど自由ではないと思っていました。哲学者である鷲田清一さんが、ご自身がシニアに差し掛かって執筆された生き方を説いた著書で「自由であること=なんでも意のままにある、というのは思い上がりで、自分がしたいことだけでなく、ひとが自分に期待していることにどう応えるかという視点からも考えなくてはならない」と述べていた通り、この地球に生きている限り、環境問題から逃れられることはないはずですし、後世への引き継ぎという役目だってあるはずです。

「残り少ない人生くらい自由に生きたい」「もう死ぬから」という気持ちを持つのは十分に理解できます。しかし、少しわがままに生きすぎてはいないか?その“わがまま”が、後につづく世代を失望させてはいないか?とたまに感じてしまう場面もあります。

もちろん、次世代のために動いているシニアも周りにはたくさんいますし、これはシニアのことをずっと考えてきた私が、愛を持って“あえて言う”ことでもあります。

今回のコロナ禍でも、未知なものへの恐怖からか疑心暗鬼が度を越し、“自分さえよければ”と考える方も多く、これは言ってみれば『心理的な引きこもり』状態だなと感じました。

自分が自由であるか不自由であるかということの前に、「自由」とは、家庭や職場、社会のなかで自身が責任をもって物ごとを選択して生きることを前提として成り立つことではないか、と思ってしまうのです。

そんななか、次世代の若いひとたちをサポートするためには、私のような40代の中間世代が、シニアと若い世代をつなげる必要があるとも感じています。つなげるというより、交わるか交わらないかは個人によるけれど、お互いの環境を想像して認め合うということができればと。

シニアが若いひとたちと向き合って、期待されている役割を果たしたり、若いひとたちも、いつか自分も年を取るのだということを認識しながら生きられるような、そんな社会を望むのは贅沢なのでしょうか。

約10年間シニアの事業をやってきて、自利利他の精神と出会える喜びもありますが、時々感じる失望に向き合いながら新しい企画を考えています。

BABA lab 
桑原静

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?