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お湯に焦がれて(エッセイ/2017)

 家の給湯器が壊れた。蛇口から水しか出なくなった。母が、騒いだ。風呂に入れない。お湯で洗いものもできない。しかも修理に五、六十万かかるという。
「ショックすぎて逆にテンション上がる」
 母はそう言った。どういう意味だろうか。
 業者の提案により、給湯器は買い換えることになった。それでも工事は一週間後。私と母と妹の、お湯の出ない家での生活がはじまった。
「油汚れが落ちないのよねえ」
 スポンジに洗剤を垂らし、母が言った。きれい好きで、特に食器洗いにうるさい母は、皿を念入りにこする。「やっぱりお湯じゃないとね」と言いながら、妹の弁当箱を洗う。妹は、学校から帰ってすぐにカバンから弁当箱を出さず、朝まで放置することがある。そういうとき、母は洗わない。お湯は信頼していても、だらしない人には手を貸さないのだ。
 そんな朝、私はシャワーを浴びようとした。そこで気づいた。水だ。お湯は出ない。私は汗っかき、寝起きにも浴びたいタイプ。しかし、水しか出ない。
 心を決め、浴室へ入った。蛇口をひねる。出るのは、水。ずっと水。温かくなることはない。それをまず足に、ひゃあ冷たいと思いながらふくらはぎ、太もも、腕と順番にかけていき、首、頭、最後が胸、ここがいちばんつらいのだ。心臓がきゅっと締まる。「あああ……」と声を出して小さく震え、とりあえず汗を流す。急いでタオルで拭き、服を着る。さて、髭を剃ろうか、と思って気がつく。洗面台のお湯も出ない。私は敏感肌、お湯であごを温めたいタイプ。しょうがないから、コンロで沸かした熱湯に水を加えてちょうどいいぬるま湯を作った。なかなかうまく剃れるものだ。二、三日、そんなふうに朝を過ごしていると、
「風邪ひくよ」
 と母に言われた。案の定、風邪をひいた。
 しかし本当に困るのは夜だ。一日一回は風呂に入りたい。母と妹も同じ気持ちだった。というか、それが当たり前だと思っていた。そこで、家から車で十分ほどの温泉を利用することにした。
 一日目はいい。大好きな温泉だ。給湯器が壊れたおかげで、こうしてぜいたくできる。次の日も、二日連続で温泉に浸かれるなんて幸せじゃないかと思う。肌も若返るかもしれない。回数券を買った。三日目で、温泉が普通になる。極楽気分が薄れ、さっと体を洗ってちょっと湯につかって出ると、母もすぐ出てきた。四日目くらいから怪しくなる。面倒だ。わざわざ車で温泉へ来てロッカーに荷物を入れて他の客に気づかいながら入浴して帰るなんて、たまにするからいいのではないか。五日目、番頭のおばさんに顔をおぼえられた。ほぼ無言で入って出る。六日目、あと少し耐えるのだ。そして七日目、
「やっと今日で終わりだ」
 と私たちは喜んだ。まったく、給湯器が壊れたせいで、温泉へ通うはめになった。
 翌日、母は朝からわくわくしたようすだった。
「今日、工事の人が来ますよ……」
 と部屋を片付けている。差し入れも買ってある。浮かれた口調にあきれながらも、私は仕事へ出かけた。妹も黙って学校へ行った。
 仕事が終わりに近づいたころ、ふと思った。蛇口らお湯が出るということは、なんとすばらしいのか。夏は清潔を、冬はぬくもりを与えてくれる、お湯。このありがたみを、もっと噛みしめるべきではないか……。
 しかしそのような高尚な気分も、家へ帰ってみると吹き飛んだ。
「お風呂わいてるよ!」
 母がうれしそうに言い、浴室を案内する。新しくなった給湯器のパネルの操作方法を説明しはじめた。
「今までは、ぬるくなったら高温たし湯をするしかなかったでしょ。でも今度からほら、追い焚き機能がついてるから。朝もしっかり湯船に入れる」
 母が自分の手柄のように言う。夕飯を食べてから、私は風呂へ入った。
 蛇口をひねる。最初は水。これが、少しずつ、温かくなる。お湯だ……。お湯だ! 勢いよく体を流し、湯船へ浸かった。お湯じゃないか。この家に、お湯が帰ってきた。ばんざい! ありがとう、お湯!
 感動は束の間だった。最近では風呂掃除がおっくうに感じる。しかもお湯を張ったところで、母と妹は朝、風呂に入ることが多い。その場合は追い焚き機能があるから別にかまわないのかもしれないが、なんだか釈然としない。真夏だ。暑い日が続く。お湯はあまりいらない。今はもっと水がほしい。氷がほしい。


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