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うちではそういった対応はしません(別居嫁介護日誌#19)

「役所とやりとりをするときは何で困っているのか、どう助けてほしいのかを明確に伝えなさい。『行政として、すみやかに対応すべき案件』と認識してもらうためにできることは全部やったほうがいい」

義父母の介護申請をすることになったことを、自分の母親に報告すると、真っ先にこうアドバイスされた。母はもともと看護師だったが、定年退職後は介護施設に施設長として勤務。その後、祖母の認知症介護も経験していた。

母の助言に従って、現在の困りごとをリストアップしてみた。

・義母に幻視らしきものがあり、「自宅の2階に中年女性が棲みついていて、下着やカーディガン、薬を盗んでいく」と訴える。亡くなった親戚(義母の父親ほか)が遊びに来たという発言もある。
・「盗まれると困るから」と、貴重品を入れたバッグを45リットルごみ袋に入れ、風呂にも持ち込んでいる。
・「就寝中にドロボウが来るのを防ぎたい」と、寝室にものを積み上げ、バリケード代わりにしている。
・義父母はともに複数の処方薬を服用しているが、とくに義母が「いつもよりサイズが小さい気がする」と倍の量を飲もうとしたり、「何の薬かわからないので用心した」と飲まなかったりする。
・外出の際、義母がちょくちょく迷子になっているらしい。「お父さまが返ってこない」と探しに行ってしまうこともある(実際には義父は自宅内にいる)。ただし、こうした行動の目撃者が義父のみのため、頻度や詳細は不明。
・空焚きの多発。義父母はお互いに、「自分が見張ってないと、相手が空焚きをするので困る」と訴える。二人暮らしなので、実際にどのような状態になっているのかわからない。
……などなどなど。

書いても書いてもネタは尽きない。結局、A4用紙2枚近いボリュームの箇条書きができ上っても、まだ「書ききった」という実感は得られずにいた。

問題は想像以上に多岐に渡る。ともかく介護申請の手続きをし、そのときに相談しよう。油断するとズルズル落ち込んでいく気持をなんとか奮い立たせて、役所に向かった。

そこで待っていたのは人生でも指折りの“お役所対応”だった。

「認定調査の申請をしたいんですけど……」
「はあ」
「書類の書き方ってこれでいいんでしょうか」
「はあ」

思い起こせば、その女性職員は窓口に現れたときから仏頂面でつっけんどんな態度だった。その時点で、多少なりとも警戒すべきだったと思う。職員にひどい対応をされてつらかったという話を見聞きする機会は幾度もあった。ただ、地域包括支援センターで親身になって相談に乗ってもらったこともあり、すっかり油断していた。

「義母が認知症だと診断されて、義父もおそらく認知症で……。今、困っていることを書き出してみたんですけれど……」

プリントアウトした「困りごと一覧」を差し出すと、彼女はちらっと一瞥し、無表情のまま、言った。

「受け取れません。状態を書きたいなら、この欄に記入してください。それ以外は受け付けません」

たまたま虫の居所が悪かったのかもしれない。それにしても、冷たい声音だった。書きたいとか、書きたくないとかそういう話ではないと思ったけれど、腹を立てるよりもその冷ややかさに圧倒されて、言葉にならない。

黙って転記し、書類を提出した。その場で認定調査員の空きスケジュールと、こちらの予定を照らし合わせ、調査日を決めた。これにて任務完了。でも、もうひとつ、質問しなくてはいけないことが残っていた。

ケアマネジャーをどうやって探せばいいのか。主治医からは「地域包括や役所ともよく相談して、“優秀な人”を探してもらって」と言われていた。私がケアマネジャー探しについて質問すると、女性職員は無表情のまま、B4用紙のわら半紙を差し出した。

「新規利用者の受け入れ可能なケアマネがいる事務所の連絡先です。あとは自分で探して決めてください」

「えっと、その……もの忘れ外来で、主治医の先生から『地域包括や役所ともよく相談して……』と言われたんですが」

「うちではそういった対応はしません。地域包括だって対応しませんよ。我々がどこかの事業所を紹介したら、公平性に欠きますから。そういうことはできないんです」

彼女は肩をすくめ、フンと鼻で笑った(ように見えた)。すがすがしいまでの“塩対応”。こちらもそろそろ限界だった。

満身創痍でメンタルはズタボロ。これ以上、この人と話したくない。泣きそう。すでに涙がこみ上げてきてる。ヤバい、逃げて。こいつの前で泣いても、何の意味もないから。

でも、このまま帰るわけにもいかない。ケアマネ探しの問題が解決していないんだもの。ほうほうの体で役所から退散した私は、そのまま、地域包括支援センターに向かった。

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