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熱さえ下がれば大丈夫なんだと思ってた(別居嫁介護日誌 #65)


不調の原因はわかり、薬が処方され、自宅療養をするための往診や訪問看護、訪問介護との連携もとれている。週明けには少しずつ、快方に向かうのだろう。そんな予想は大きく裏切られる。

義父が救急搬送された翌々日、月曜日の夕方には私は義父母とともに、救急車に乗り込むこととなった。

その前日の夜、初めて義姉と電話で話した。

これまで義姉とはもっぱら、LINEでやりとりしてきた。たまに夫が電話で話をすることはあったけれど、私が義姉と直接電話でやりとりすることはなかった。このとき、電話で話すことを希望したのはわたしだ。「言った・言わない」を避けるには、テキストベースのやりとりのほうが安心だった。しかし、テキストではどうにも伝えるのが難しい内容を、それでもなお、伝えなければいけないという状況に直面したのである。

きっかけは日曜日の午後、訪問看護師さんから義父の状態悪化の連絡が入ったことだった。聞けば、体内酸素濃度が急速に下がり、本来であれば、救急搬送を検討すべき数値だという。では、なぜ、救急搬送しないのか。義父母に付き添ってくれていた義姉が「在宅療養を希望する」と言ったのだという。「お父さまが入院すると、お母さまが困るとおっしゃっていて……」とも聞かされた。

血の気の引く思いで、“在宅ありき”ではなく、義父の状態にとってベストな対応を相談したい旨を伝えた。ケアマネさんにも連絡をし、往診医も含めたケアカンファレンスの場を設けてもらうことになった。ケアマネさんづてに往診医はどちらかといえば、在宅療養推しに傾いているようだとは聞いていた。しかし、どうもそれは「状態を診たうえので判断」ではなく、「認知症もある高齢の方だから……自然に任せ、場合によってはこのまま看取りのステージに進むのも悪くない」という妙な慰めのようなニュアンスが見え隠れするのが気がかりだった。

義姉と電話で話したところ、驚くべきことが次々に判明した。

「朝食を食べているときは元気だったけれど、そのうち熱が上がったみたいで『布団に戻る』と言って、戻ってしまった。“いつもの薬”は飲んだけど、解熱剤は飲んでいない」
「おみやげで、父の好物の桜餅を持っていったけれど、母が父の分も取り上げて半分以上食べてしまった」
「母は父のことが心配ないようで、しょっちゅう父に声をかけ、吸い飲みでお茶を飲ませようとする」

寝かせたままでの飲食は誤嚥性肺炎のリスクを高めるため、極力避けたい。そのことを伝えると、「そうなの……」といい、義姉は黙ってしまった。訪問看護師からとくに説明はされていないという。

週末の様子をヒアリングした後、もっとも伝えたかった、そしてもっとも言いづらかったことを思い切って伝えた。

「おねえさん、あの……救急搬送のことなんですが、『救急搬送どうしますか?』と聞かれ、『在宅療養を希望します』と意思表示すると、お父さんの年齢だとそのまま、“自宅で看取りを希望している”と受け止められる可能性があります」
「え……? 父は熱さえ下がれば大丈夫なんだと思ってたんだけど!?」

義姉は絶句していた。

現場で、訪問看護師さんと義姉の間でどのようなやりとりがあったのか、正確なところはわからない。私が電話で聞いたように「体内の酸素濃度が通常であれば、救急搬送が必要な数字」という説明があったのかなかったのか。ただ、確実に言えるのは、義姉は「在宅か、自宅か好きな方を選んでいい」という問いかけとして受け止めていた。「どうされますか?」と聞かれたら、選択肢があると感じても不思議はないかもしれない。

一方、訪問看護師さんからすれば家族の許可も得ず、勝手に救急車を呼ぶわけにはいかない。だから義姉に「救急車を呼びましょうか、どうしましょうか」と判断を求めたのだろう。そこは「介護のキーパーソン連絡」じゃないの? とも思うけれど、それについてはすでに看護師さんから一報が入った時点で謝られてもいた。

義姉と電話で話した翌日、夫とわたしは義父母のもとに向かった。往診医やケアマネさん、そして義父母とも話し合った上で、入院を決めた。受け入れてくれる病院探しは思いのほか難航した上、義父が入院した後、義母はどうするのか? という、これまた厄介な問題にも、同時に対応しなくてはならなかった。

かつてないほどに追い詰められ、テンパった1日だった。初めて、義母に対して「もう知らない! 好きにすればいいんじゃないですか!?」とブチ切れそうになるのである。

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