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生物はモノではなくプロセスである「Everything Flows」(読書メモ)

「Everything Flows -Towards a Processual Philosophy of Biology(すべては流転する -プロセス的な生物学の哲学をめざして)」という本を紹介したい。この本は、生物の世界は、ふつう考えられているように物質的な粒子やモノで出来ているのではなく、プロセスで成り立っているという哲学テーゼを探求した18本の論文を収録している。以下では、この本の編者であるジョン・デュプレ(John Dupré)とダニエル・ニコルソン(Daniel Nicholson)共著の基調論文「A Manifesto for a Processual Philosophy of Biology(生物のプロセス哲学マニフェスト)」の内容を紹介する。最後に、収録されている論文のリスト(タイトルとごく簡単なテーマ紹介)をつけておく。

本書はオックスフォード大学出版の下記サイトから無償でダウンロードできます
https://academic.oup.com/book/27525

 主な主張

生物の世界は、異なる時間スケールで安定し、活動によって維持されているプロセスの階層組織である。分子、細胞、器官、生物、集団などは、通常、モノとして考えられているが、実はプロセスとして理解するのが良い。モノは安定したプロセスを抽象化したものと見なすべきである。モノ(実体・物質)の存在論からプロセスの存在論への移行によって、哲学と生物学の問題を新たな観点から見直すことができる。

歴史的背景

現実の究極の構成要素は、モノかプロセスかという議論は、ソクラテス以前の哲学者にまで辿ることができる。「万物は流転する」という言葉で知られる古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスは、変化の普遍性を強調しただけでなく、変化が時間を通じての安定をもたらすと示唆した。この見解のアンチテーゼは、レウキッポスやデモクリトスの原子論である。不可分で不変の物質として原子は、その後の実体についてのさまざまな概念にパラダイムを提供した。実体論 (substantialism)の初期の提唱者の一人であるパルメニデスの、永続性は変化よりも根源的で現実的であるという信念は、西洋形而上学の礎の一つとなった。この信念は、プラトン、アリストテレスに引き継がれ、今日でも多くの実体論者が、ある物であるためには、ある種の物でなければならず、ある物が属する種類によって、その物はその物であり続けながら、どのような変化を受けることができるかが決まると主張している。

 プロセス哲学は、しばしばアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドの哲学と同一視されるが、本企画の著者達は、ホワイトヘッド思想とは距離を置きたいとしている。その理由は、ホワイトヘッド特有の概念や用語が難解で、生命システムに関する著者達の考えを展開する上で有効とは考えられなかったこと、またホワイトヘッドのシステムの汎心論的基盤や、その神学的性格は、著者達の自然主義的観点と調和させることが難しいことである。ただし、著者達は、ホワイトヘッドから影響を受けた、有機体論者(Organicist)と呼ばれる20世紀初頭の生物学者たち(ジョン・スコット・ホールデン、エドワード・スチュワート・ラッセル、コンラッド・ハル・ワディントン、ルートヴィヒ・フォン・ベルタランフィなど)の著作には多くを依拠している。 

モノとプロセスの違い

プロセス概念の中心になるのは変化の概念である。変化がなければプロセスは生まれない。モノを中心とする伝統的な考え方では、変化はモノに起こることとされてきた。モノは、永続性を持ち、その存在を外的関係に依存しない完全な実体として考えられてきた。この考え方では、プロセスは単に時間の経過に伴うモノの特性の変化を辿るか、モノ同士の相互作用を記述するものでしかない。プロセスは常にモノの行動を伴うという前提に立ち、必然的にモノの存在を前提にしている。

 この考え方の問題点の一つは、実際に多くのプロセスが特定の主体に属さないことである。雨、風、電気、光はすべて、主体を持たない、個々のモノの行動ではないプロセスである。浸透圧、発酵、適応放散など、生物界にも主体を持たないプロセスが数多く存在する。より根本的な問題は、活動の主体であるように見える実体も、安定したプロセスの特定の時間的段階と解釈することができ、モノとして理解する必要はないことである。多くのプロセスは、具体的で、数え上げ可能で、持続的な単位である。非生物学的な例としては、渦巻き、炎、竜巻、レーザー光線などがある。生物学では、メッセンジャーRNA分子は数分、赤血球は数ヶ月、人間は数十年、セコイアの木は千年以上というように、プロセスは大きく異なる時間スケールで動的に安定化されている。このような安定性によって、プロセスは静的なモノと誤って認識されやすい。

 プロセスは、それを支える実体・物質(substance)を必要とするという一般的な考え方は、「substance」の語源であるラテン語の「substantia」の「下に立つもの」という元来の意味に由来している。この見解に反して、プロセス存在論では、自然は根本まですべてプロセスによって成り立っていると考える。プロセスをモノに属するものと考えるのではなく、モノをプロセスから派生したものと考えるのである。このことは、モノが存在しないことを意味するものではない。また、モノの概念が極めて有用であることを否定するものでもない。しかし、モノは現実の基本的なビルディングブロックとは見なせないと主張する。私たちがモノとして認識しているものは、流動の中で安定した一過性のパターンであり、プロセスの連続的な流れの中の一時的な渦に過ぎないと考える。

 プロセスは様々な形態、形、大きさを取り得る。プロセスは純粋に動的な活動であることもあれば、一般にモノに帰属するようなものと変わらない特性を示す個体であることもある。モノは一般にその時空間的な位置によって個別化できるのに対し(モノは通常、自分が占める時空間 の領域から他のモノを排除する)、プロセスは通常そうではない。多くのプロセスは、境界があいまいである。プロセスは、どこにあるかということよりも、何をするかによって個別化される。生物界に見られる多くのプロセスは、環境と区別できる程度のまとまりを示し、判別可能な実在として特定できる。

 物質存在論(substance ontology)からプロセス存在論(process ontology)への移行は、認識論にも非常に重要な意味を持つ。いかなる科学的探究においても、説明を必要とするものと、当然とみなされ背景となるものとの区別がある。現代科学で主流の実体論的立場では、背景になるのは安定したものであり、何も変わらないのであれば、何も説明する必要がない。デフォルトは静止状態であり、説明が必要になるのは変化が起きたときである。しかし、プロセスでは、変化が常態であり、説明を要するのはその相対的な安定性の方になる。生物の領域をプロセス的と考えるならば、生物学が説明すべきことは、 変化ではなく、安定性、より正確には、活動あるいは変化によって達成される安定性である。生理学の研究は、生命の維持・安定を可能にする多数の内部プロセスの理解に関わるものであり、生物の存続・安定性は背景ではなく、説明すべき現象そのものである。同じことが、発生学や免疫学、医学の分野でも言える。 

生物のプロセス哲学が求められる理由

プロセス存在論を支持する強力な動機をすでに物理学が提供している。量子力学や場の量子論によって、物理学では古典的な素粒子の概念は大きく塗り替えられた。物理学者は今でも日常的に「粒子」と言うが、この言葉は今では固形で貫通不可能な微小物体を指すのではなく、場の量子化された励起状態を指しているのである。現代物理学が教えてくれるのは、宇宙の基本的な存在論的構成要素は、モノとして理解される素粒子ではなく、時空に拡張された場であるということである。生物学にはおいては、以下に述べる通り、さらにプロセス哲学を受け入れるべき特有の理由がある。 

1.   代謝

生物学にプロセス存在論を採用するべき動機の一つは、生物は生きていくために食べなければならないという基本的な事実に由来する。熱力学の用語を用いて表現するならば、生物は開放系であり、熱平衡状態から遠い状態を維持するために常に周囲とエネルギーや物質を交換しなければならない。生物の存続は、物質の流入と流出を均衡させて、エントロピーの低い「定常状態」を継続的に維持できるかどうかにかかっている。この交換が停止すると、定常状態は失われ、生物は平衡状態に陥って死ぬ。

 この生命に欠かせない絶え間ない活動が代謝である。代謝には、生物が環境から取り入れた物質を分解し、組織を再構築し、維持するために必要なエネルギーを獲得するプロセスと、生物がエネルギーを消費し、廃棄物を環境中に放出するプロセスが含まれる。多細胞生物の安定性は、体の組織の絶え間ない再生に支えられている。例えば、胃の細胞は5日程度、表皮の細胞は2週間、赤血球は4ヶ月、肝臓は1年、骨格は10年で入れ替わっている。体内の分子の入れ替わる速度はもっと速い。成人のタンパク質の回転速度は1日あたり約8%であり、体内のほぼすべてのタンパク質分子が1年間で入れ替わる。

 代謝の現実は、生物はその見かけの固定性にかかわらず、物質的なモノではなく、流動的なプロセスであることを否応なしに示している。生物はプロセスである以上、モノや物質とは異なり、常に変化し続けなければならない。生物の中では「万物は流転している」というのは、端的に事実である。 

2.   ライフサイクル

生命に関して同様に議論の余地のないもう一つの事実は、すべての生物はその生涯の間に一連の形態的、行動的変化を遂げるということである。これは一般に「個体発生(ontogeny)」と呼ばれ、その変化の性質、順序、タイミングは種によって大きく異なる。ある生物を考えるとき、私たちは、その最終的な生体を考えがちだが、これは、それ以上変化しない生体が一番安定しており、モノに近いからに過ぎない。しかし、生物はライフサイクルそのものと考えるべきである。卵がカエルに成長するという言い方も本当はおかしい。卵は、カエルという発生の軌跡の一時的な一部なのだから。私たちがある瞬間に生物(例えばカエル)として知覚するものは、持続的なプロセスの展開における一断面(時間的なスライス)に過ぎない。現実は、不連続なタイムスライスではないことに注意すべきである。カエルの成体はオタマジャクシとは大きく異なるが、オタマジャクシからカエルへの発達は滑らかで緩やかであり、両者を分けるはっきりとした境界線はない。カエルはモノではなく、プロセスとして考える方がより理にかなっている。

カエルのライフサイクル
(A Manifesto for a Processual Philosophy of Biologyより引用)

発達上の変化を遂げるにもかかわらず、生物は終始同じもの、同じ実体のままではないかと反論することはできる。しかし、生物のライフサイクルを通じて何が変わらないかを特定することは意外に難しい。例えば、受精卵、胚、オタマジャクシ、カエルの子、そして成体のカエルを考えるとき、それらが同じ個体プロセスの時間的段階であること以外に、どのような特性を共有しているかは明らかではない。実際、すべてに共通する特筆すべき性質はないかもしれない。細胞にもライフサイクルがあり、DNA複製を含む成長期、有糸分裂、細胞質分裂を経る。したがって、多細胞生物の文脈で述べてきたことは、個々の細胞にも当てはまる。

 生物は、持続的で時間的に差別化されたライフサイクルとして存在しているという事実は、生物界をプロセス的に見ることを支持する強い根拠を与えている。 

3.   生態系の相互依存性

モノや物質の特徴として、それが境界を持つこと、一定の自律性や独立性を示し、外部のものへの依存がせいぜい一時的なものあることが挙げられる。しかし、これらの特徴は、生物が自然の中で、緊密に結びついた共同体の中で生きており、その共同体が個々のメンバーの生存を可能にする条件の多くを提供しているという、よく知られた事実と一致しない。生態学によれば、各生物が身を置く環境は、部分的には、その生物が他の生物と維持する複雑な相互作用のネットワークによって形成されている。これらの相互作用の中には、相互作用する主体が本当に別個なものと言えるのか、むしろ一つの生命を構成するものとして理解すべきなのか、議論が分かれるほど、生物の生存にとって極めて基本的なものがある。 

相互作用の性質はさまざまで、同じ種に属する個体の間で起こることもあれば、多くの異なる種の生物を巻き込むこともある。伝統的に、同種間の関係がより密で重要であると見なされてきた。例としては、アリやミツバチなどの真社会性昆虫が形成する高度に組織化された集団があり、それらはしばしば「超個体 (superorganism)」と表現されるほど緊密に絡み合っている。しかし、近年の生物学のさまざまな分野の研究により、一般に共生関係と呼ばれる種間結合も同様に(あるいはそれ以上に)基本的であり、またより広く存在していることが明らかになってきた。実際、共生関係は例外ではなく、むしろ標準であることが明らかになりつつある。 

生態学、特に共生の観点からも、生物はモノとしてではなく、プロセスとして見るべきである。生物は、互いに維持する複雑な関係の網によって存続しており、その網が生物に独特の特性、能力、行動を与えている。生物は根源的にリレイショナルな存在である。 

哲学的な意義

プロセス存在論は、本質主義(essentialism)、還元主義(reductionism)、機械論(mechanicism)に対する批判に、それぞれ説得力のある根拠を提供してくれる。 

1.   本質主義批判

モノには何か本質的な性質があると仮定することで、二種類の問いに答えることができる。第一は分類に関する問いで、この世界にどんな種類のものがあり、それらはどのように区別されるのかと問えば、「本質的な性質が異なる場合にのみ、種類が異なる」と答えることができる。第二は、持続性に関する問いで、同じモノや物質が時を越えて存在し続けるとはどういうことかと問えば、「あるものは、その本質的な性質を持っている限り、存続する」と答えることができる。 

分類に関する本質主義の主張に関しては、まず、ある生物が属するユニークな種類が自然に存在するという仮定は誤りであると反論できる。科学の現場では、異なる理論的関心(生態学的役割、系統発生史など)に従って、異なった、しかもオーバーラップする方法で生物を分類している。種類を特定する方法が一つではないだけでなく、個体の特定の方法も完全に決定的ではなく、曖昧である。共生の偏在は、生物の境界や、特定の実体が別個の個体なのか、別の実体の一部なのかの判断を難しくしている。例えば、ヒトのマイクロバイオーム(微生物叢)を構成する何兆もの微生物は、それがなければ宿主であるヒトは急速に病気になり、死に至る。このような微生物は、ヒトという生物の一部なのか。それとも、協力し合う大きな共同体のようなものなのか。健康な人間の生活条件を説明する際には、研究対象を一つの全体システムとして扱うのが自然だろう。一方、微生物が属する様々な進化系統をたどる際には、同じ対象を多数として扱うのがより自然だろう。 

第二の持続性に関する本質主義の主張も、上述した生物学の経験的事実のすべてが、重大な疑念を投げかけている。第一に、生物個体は常に代謝を繰り返しているため、ある瞬間から次の瞬間まで物質的に同一であることはない。第二に、生物はそのライフサイクルの段階で、大きな形態的変化を遂げる。第三に、生態学的な相互関係の結果として、生物個体を構成し維持する共生関係は、その生涯を通じて大きく変化する。 

プロセス存在論は、より適切に持続性の問題を取り扱うことができる。時間の経過を通じての同一性を問題なく認められる、さまざまな物理的プロセスがある。例えば、ハリケーン、流れ、渦などがそうである。木星の大赤斑は、何世紀にもわたって持続している。生物の存続の仕方は、大赤斑と多くの点で非常によく似ている。大赤斑は、その周囲を取り巻く激しい風から物質とエネルギーを取り込むことによって存続しているように、生物は、熱力学的平衡から遠く離れた組織を維持するために必要な物質とエネルギーを環境から確保することによって存続している。大赤斑の持続性は、個々の性質や構成要素が持続しているのではなく、大赤斑の継続的な活動に基づくものである。個体としてのアイデンティティーも、この継続的な活動によって生まれている。大赤斑は、その継続的な活動によって、周囲の流動性から自らを切り離している。こうした考察は、すべて生物にも等しく当てはまる。 

2.   還元主義批判

構成要素の性質が分かれば全体が理解できるとする還元主義は、分子生物学の成功によって勢いを得る一方で、多くの生物学者と哲学者から、その限界が指摘されている。 

生物をプロセスの動的な階層構造としてみると、どの階層にも、確固とした境界線と決まった特性のレパートリーを持つ実体を見出すことはできない。プロセスは、互いに構成し合うだけでなく、他のプロセスの存続を可能にする条件の多くを、上位階層にも下位階層にも提供している。 

生物を、このように様々なレベル間の因果的な依存関係の複雑な網だと捉えると、その性質は単にその構成要素の特性と関係を列挙するだけでは、特定できないことは明らかになる。物質存在論がボトムアップの因果関係しか認めないのに対して、プロセス存在論は因果関係が異なる方向に流れること、部分の性質が全体の性質によって決定される側面があるという主張も認めることができる。このことは、実際に、生物学者(特に生理学者と発生学者)が何世紀にもわたって経験的な研究に基づいて主張してきたことである。この点は、哲学的にも重要な意味を持つ。ある階層にあるプロセスがその上の階層から安定化される「下向きの 因果関係」は、物質存在論に基づく哲学者にとって異様だとされてきた。プロセス哲学者にとっては、このような考え方に特に問題はない。 

還元論は、実体を互いに独立に扱い、その構造や構成を、それらが存在する文脈から独立して考えることが可能であることを必要条件としている。しかし、プロセスの存在論が否定するのは、まさにこの点である。生物の世界がプロセスの世界であることを認めれば、生物学における還元主義が、局所的で固定的な文脈では無数の限定的な成功を収めてきたにもかかわらず、原理的にさえ、グローバルな説明の企てとして完全に成功することができない理由が理解できるようになる。 

3.   機械論批判

科学革命以来、物質存在論は機械論と結びついてきた。自然は、規則的で予測可能な方法で作動する機械であり、機械的な用語で完全に説明できるとする考え方である。機械は、ある種の不変の性質を示し、その組織と動作が構成部品とその相互作用によって完全に説明できることから、機械論は本質主義と還元主義の両方に完全に一致している。今日では、タンパク質を巧妙に設計された分子機械として、細胞を必要に応じて部分的に再設計できる複雑な回路として、発生を決定論的遺伝プログラムの実行として、進化の結果を最適に設計された人工物との類比で考えることは珍しいことではなくなっている。 

プロセス存在論を採用した三つの理由は、そのすべてが、生物を機械と見ることが妥当ではない理由になる。第一に、代謝の現実は、機械とは異なり、あらゆる生物の構造が、その活動によって継続的に再構築されることを示している。第二に、生物が経験するライフサイクルは、機械が経験するものとは異なる。機械は成長することもなく、再生産することもなく、その構成は製造時に固定されている。第三に、生態学的相互依存の結果として、いかなる生物も、他の生物との絡み合った相互関係の網から独立して機能することはできず、存続することさえできない。これとは対照的に、機械の持続性や作動は、他の機械との関係を維持する能力に依存しない。 

メカニズムの説明は、説明の対象となる現象が持つ特定の時間スケールにおいてのみ正確である。生物学におけるメカニズムは、ヒューリスティックな説明の手段として理解すべきである。それは、環境の複雑さとダイナミックさを都合よく捨象して、調査対象の現象の制御と操作に最も関連すると考えられる因果関係だけを選び出した理想化された生命システムの断面と捉えるべきである。メカニズムを生命システムの存在論的なビルディングブロックと考えることは、ホワイトヘッドの有名な「具体性を置き違える誤謬(the fallacy of misplaced concreteness)」を犯すことであり、これは、概念、モデル、類推を実際の物事のあり方と混同するたびに発生するものである。プロセス存在論は、生物学における機械論的説明の限界を理解すると同時に、その有効性の範囲を認識し、説明してくれる。  

生物学における意義

生理学、遺伝学、進化学、医学に、プロセス存在論を取り入れる意義としては下記がある。 

1.   生理学

伝統的に生理学は、機能の研究に重点を置いてきた。物質存在論では、機能は何らかの形で構造に基礎づけられていると想定されてきたため、機能の研究は構造の分析に向かいがちであった。構造は程度の差はあれ固定しており、関連する機能に先立って存在するものと考えられてきた。 

しかしながら、生物が示す様々な構造は、実際には固定されたものではなく、制御された多くのプロセスによって継続的に維持され、その結果として、相対的な安定性が与えられている。構造が機能に先行するとか、機能が構造によって決定されると考えるのは誤りである。プロセス的な生理学においては、構造はそれが存続することを可能にする様々な機能的活動によって説明されなければならない。 

生物がプロセス的性質を持つということは、機能に関す要求が変化すると、構造を維持・再生する方法も変化することを意味する。生物学において、構造と機能の関係は、直線的で一方向的なものではなく、環状で対称的なものである。この2つのうち、どちらかが他方より先行することはない。ベルタランフィによれば、「『構造』と『機能』の間の旧来の対比は、生物内におけるプロセスの相対的な速度へと還元される。構造は延長された遅いプロセスであり、機能は一時的で速いプロセスである」。 

生物学における構造と機能は、根底にあるプロセスの異なった抽象化の形態と考えることができる。構造的な記述では、対象となる実体の空間的な境界が選択され、時間的な次元は捨象される。機能的な記述は、時間的な次元を取り戻すが、その代償として、対象となる実体の極めて特定された性質に焦点を当てることになる。 

2.   遺伝学

プロセス存在論は、遺伝の考え方にも大きな影響を及ぼす。遺伝学では、その根拠が次第に浸食されているにもかかわらず、親から子へ伝えられる遺伝情報はすべて物質的な粒子である遺伝子に存在するという考えが根強く残っている。 

DNA構造の解明によって、毛色から性的嗜好まで、あらゆる種類の表現形質は、その発生を引き起こしたり変えたりする力を持つ四種のヌクレオチドの配列として定義できるという考え方が生まれた。しかし、この伝統的な図式は広く否定されている。現在では、ほとんどの形質の発達には、ゲノムに広く分布する特徴に加え、多くの外部環境の影響が関わっていると理解されている。ゲノムは、固定された情報源ではなく、プロセス的な存在であるとみなされるようになってきている。ゲノムの機能にとって重要なヌクレオチド配列の安定性は、複製エラー率を減少させる修正と編集のプロセスに依存している。さらに、ゲノムが機能する上で、その物理的形態は常に変化し、適切な部分が転写されやすくなったり、されにくくなったりする。このような変化は、ある分子がゲノムの特定の場所に付着したり離れたりすることによって制御される。このプロセスは、ゲノムのエピジェネティックな修正と呼ばれている。広い視野で見ると、このようなゲノムの活動は、ゲノムが一方的に細胞を制御しているのではなく、ゲノムは常に細胞内外の環境と相互作用をしていることを示している。実際、ゲノムと細胞の存続は、両者の相互関係にかかっている。生殖は、情報の複製だけが必要なコピー機とは異なり、オリジナルと子孫の間にある程度の物質的連続性を伴う。実際、DNAの複製では、新しい二重らせんは部分的には古い二重らせんの材料から作られる。DNAは、時に主張されるように「自己複製」するのではなく、その複製には複雑な分子機能の関与が必要である。複製、ひいては生殖をコピーと同じように考えることは、親と子の間の関係の因果性と物質性を捨象し、この関係を本質的に情報的な関係に還元してしまうことになる。 

機械論を信奉する生物学者は、生殖における複製の役割をソフトウェアシステムのデジタル複製と比較することに抵抗はないだろうが、親が自己を維持する代謝プロセスであり、そこから子孫が枝分かれしていくと認識すれば、生殖には両者の物質的な重複が必要であることが明らかになるのである。 

プロセス存在論に従って、生殖における親子間の物質的な重なりを認識することで、伝達されるものはDNAだけではないことが明らかになる。親子間で継承される物質には、ゲノムとは関係のない高分子の定常状態や自立した代謝ループなどが含まれている。これらのエピジェネティックな遺伝システムは、遺伝子複製よりも、複製の忠実度は低いが、それでも実際に発生の結果に影響を及ぼしている。 

3.   進化

進化的変化を遂げるのは系統(lineages)である。ヒトが進化するというのは、ヒトの系統のある段階に存在するヒトが、それ以前の段階に存在するヒトと何らかの体系的な差異を持つということである。こうした進化する系統を、私たちは通常、種(species)と呼んでいる。 

系統や種も個別なプロセスとして捉えることができる。生物が絶え間ない代謝回転によって細胞を更新することで存続しているように、系統も生殖のサイクルによって構成する生物を置き換えることで安定し、一貫性を保ち、存続していると考えられる。遺伝子の複製による遺伝プロセスだけでなく、発生プロセスも、系統の安定化に寄与する。さらに、系統は、そのメンバーが環境と相互作用することによって存続する。系統のメンバーは、環境に適応するだけでなく、自分たちの活動の結果として、また自分たちの必要性に応じて、環境を改変する。このプロセスは、ニッチ構築として知られている。もちろん、系統の存続は自然淘汰にも依存している。自然淘汰は、変化の原因としてだけでなく、安定化の力として理解できる。淘汰は、ある系統においてよく似た表現型(すなわち最も適応的な表現型)を生み出し続けることにつながり、これが長期にわたる系統の安定性を維持するのに役立つ。 

このように様々な形で安定化しているにもかかわらず、もちろん、系統は徐々に変化し、進化する。プロセス的見方の重要な意義は、正統派のネオダーウィニズムが想定しているように、進化の変化を、集団内の異なる対立遺伝子に作用する自然淘汰の観点のみから捉えるのではなく、より多元的に理解するよう促すことである。淘汰は、他の何らかのプロセスによって適切な変異が既に提供されていなければ起こることはないが、ランダムな遺伝的突然変異だけがこの役割を果たすという現代総合説の仮定には、批判が高まっている。系統は、すでに述べたように、生殖、ニッチ構築、安定化淘汰などのほか、母性効果、同種間の相互作用、共生関係など、さまざまなプロセスによって維持されている。これらの安定化活動の変化や中断が、系統の時間的軌跡に影響を与える可能性は十分に考えられるため、進化的変化の説明にはこれらを含めることを検討すべきである。 

より推測的な説として、生物と細胞などプロセス的なシステムは、自らの存続に資する方法で環境に応答しているという主張がある。生物の環境に対する応答は、単に環境からの刺激によって引き起こされる自動的な反応ではなく、むしろ生物が、環境における新たな課題や機会によって促され、自らのために目的を持って行動していることを示しているという主張である。ワディントンによれば、これは、知能の発達した生物に限らず、より幅広く見られ、隠れた遺伝的変異の適応的な展開として説明しうる。 

4.   医学

医学思想の歴史では、病気に対する概念は二つの相反する見方の間で揺れ動いてきた。いわゆる生理学的概念によれば、病気は身体の機能的平衡の乱れから生じ、その治癒はこの平衡の回復を意味する。これに対して、存在論的概念は、病気を体内に侵入した異物とみなし、その侵入者を排除することで治癒する。これは、病気を、感染した身体とは独立して存在する特定のモノとしてとらえ、物質存在論に沿った概念である一方、生理学的概念は、病気を、身体を構成する相互に関連したプロセスの網の目に生じた、時間的に延長された障害とみなすので、プロセス存在論と親和的である。 

19世紀後半に微生物学が台頭すると、存在論的な考え方が疾病理論の主流となり、現在に至るまで、多かれ少なかれ、その考え方は続いている。病原体という概念は、宿主に病気を引き起こすという固有の能力によって他の微生物と区別されるカテゴリーである。生物学的をプロセス論的にとらえると、病原性は微生物に固有の性質ではなく、微生物が身を置く特定の生態的状況や、宿主との複雑で変化し続ける共生関係によって与えられる条件的な性質である可能性が示唆される。 

最近の微生物学研究は、まさにこのような見解を裏付け、「この微生物は病原体か?」という従来の問いかけは、「この微生物はどのような生態的条件のもとで病原体となりうるのか」という問いに次第に変わりつつある。この変化の背景には、宿主と共生関係にあると思われていた微生物が、宿主の環境の変化によって病原性(寄生性)を持つようになることが分かってきたことがある(例えば、人間の腸の正常微生物叢はこのような状況にある)。逆に、通常は病原性をもつ微生物が、より病原性の高い寄生虫から宿主を守ることになることもある。病原体が宿主に与えるダメージの度合いを指す「病原性」そのものは、病原体の恒久的な性質ではなく、むしろ病原体と宿主の間の特定の種類の相互作用の結果であるとも言える。 


以上が、ジョン・デュプレとダニエル・ニコルソンの論文の概要であるが、ニコルソンは他でも、下記のように生物の機械モデル概念を批判する興味深い論点を提示しているので、関心があれば当たっていただきたい。 

・   生物は内在的な目的を持つ(活動が自分自身の組織を維持するという目的に向けられている)のに対して機械の目的は外在的であること(その仕事は外部の主体に与えられた目的の達成に向けられている)。Nicholson, D. J. (2013). Organisms ≠ Machines

・   生物は遺伝的プログラムを実行するコンピュータであるとするモデルに対する反論。例えば、DNAは細胞が参照できる情報は保持しているが、発生のインストラクションを持っている訳ではない。Nicholson, D. J. (2014). The Machine Conception of the Organism in Development and Evolution: A Critical Analysis

・   細胞は分子マシンという比喩は、細胞や分子のサイズ、スケールを考慮すると破綻する。Nicholson, D. J. (2020). On being the right size, revisited: The problem with engineering metaphors in molecular biology

 最後に、この本に収録されている他の論文を下記にリストしておく。

 Part I. Introduction(序論)

1.   A Manifesto for a Processual Philosophy of Biology (John Dupré
 and Daniel J. Nicholson)
生物のプロセス哲学マニフェスト
: 上記で紹介

 Part II. Metaphysics(形而上学)

2.   Processes and Precipitates (Peter Simons)
プロセスと沈殿
 
生物界をプロセス的に理解するためには、連続的な性格を持つモノを、一次的なプロセスからの二次的な「沈殿物」として再認識することが必要であると論じる。 

3.   Dispositionalism: A Dynamic Theory of Causation (Rani Lill Anjum and Stephen Mumford)
ディスポジション主義:因果性の動的理論
分離したイベント間の関係として因果関係を捉える伝統的な因果論に代わって、動的特性、連続性、文脈依存性をより適切に説明できるディスポジションのフレームワークを提唱

 4.   Biological Processes: Criteria of Identity and Persistence (James DiFrisco)
生物学的プロセス:アイデンティティーと持続性
生物学的プロセスのアイデンティティーと持続性を結合性とgenideintity(生成に基づくアイデンティティー)という観点 から説明

 5.   Genidentity and Biological Processes (Thomas Pradeu)
Genidentityと生物学的プロセス
生物学におけるgenidentityの概念の豊さを詳細に検討し、この概念がいかに私たちをモノよりもプロセスを優先させるように導くかを示す 

6.   Ontological Tools for the Process Turn in Biology: Some Basic Notions of General Process Theory (Johanna Seibt)
生物学のプロセス転回の為の存在論ツール: 一般プロセス理論の基本概念
主体がないプロセスの体系的な存在論的フレームワークとして開発された「一般プロセス理論」が、生物学の哲学における個体性、構成、エマージェンスの問題にどのように利用できるかを説明

 Part III. Organisms (生物)

7.   Reconceptualizing the Organism: From Complex Machine to Flowing Stream (Daniel J. Nicholson)
生物の新たな概念化: 複雑なマシンから流れるストリームへ
生物とは何かを表す概念として、機械ではなく、プロセス的な性質をより適切に表すストリームへ転換することを提唱

 8.   Objectcy and Agency: Towards a Methodological Vitalism (Denis M. Walsh)
客体性と主体性:方法論的な生気論に向けて
生物が自然の中で主体であるというユニークな特徴を認識し、それがどのように進化していくかを理解するために、主体に関する理論が必要であると主張している

 9.   Symbiosis, Transient Biological Individuality, and Evolutionary Processes (Frédéric Bouchard)
共生、一時的な生物個体性と進化プロセス
生物学的な個体性は、交差する進化プロセス間の統合の様々なレベルを反映して、様々なレベルで現れると主張する

 10. From Organizations of Processes to Organisms and Other Biological Individuals (Argyris Arnellos)
プロセスの組織から生物と他の生物的個体へ
生物個体の完全性とその協調的な側面を同時に説明するための、プロセスに基づく組織の存在論を提案している。

 Part IV. Development and Evolution (発生と進化)

11. Developmental Systems Theory as a Process Theory (Paul Griffiths and Karola Stotz)
プロセス理論としての発生システム理論
発生システム理論はプロセス的生命観に基づいており、発生と進化の両方においてプロセスを基本としてとらえる必要がある理由を数多く提示している

 12. Waddington’s Processual Epigenetics and the Debate over Cryptic Variability (Flavia Fabris)
ワディントンのプロセス的エピジェネティックスと隠れた変異
ワディントンのエピジェネティクス理論の中核となる概念を再評価し、後天的な性格の遺伝的同化は、プロセス的な用語で説明するのが最も適切であることを示唆している。

 13. Capturing Processes: The Interplay of Modelling Strategies and Conceptual Understanding in Developmental Biology (Laura Nuño de la Rosa)
プロセスの捕捉:発生生物学におけるモデリング戦略と概念的理解の相互作用
生物学的プロセスをモデル化するための新しい顕微鏡・分子・コンピュータ技術が、いかに発生をよりプロセス的に理解することに貢献しているかについて考察している 

14. Intersecting Processes Are Necessary Explanantia for Evolutionary Biology, but Challenge Retrodiction (Eric Bapteste and Gemma Anderson)
交差するプロセスは進化生物学の説明に必要だが、レトロディクションには課題
交差する生物学的プロセスの進化的役割に対する理解が深まるにつれ、分析目的でこれらのプロセスを表現する新しい方法が必要になることを論じている。

 Part V. Implications and Applications (意味合いと応用)

15. A Process Ontology for Macromolecular Biology (Stephan Guttinger)高分子生物学のプロセス存在論
生態学的の知見に基づき、プロセス観のみが高分子の根本的にリレイショナルな性格を解明できると論じている

 16. A Processual Perspective on Cancer (Marta Bertolaso and John Dupré)
癌に関するプロセス的視点
癌は、多細胞生物を安定させている複雑な制御システムの不具合であると主張している

 17. Measuring the World: Olfaction as a Process Model of Perception (Ann-Sophie Barwich)
世界を測る:知覚のプロセスモデルとしての嗅覚
認知神経科学の最近の知見に基づき、知覚のプロセス的視点からの考察は、柔軟で文脈に依存する嗅覚の理解をもたらすと提唱している

 18. Persons as Biological Processes: A Bio-Processual Way Out of the Personal Identity Dilemma (Anne Sophie Meincke)
生物学的プロセスとしての人間: 個人のアイデンティティーのジレンマから抜け出すための生物-プロセス的方法
個人のアイデンティティーという哲学的ジレンマは、人間を生物学的プロセスとして考えることによって克服できるという主張

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