エミール・ハビービー『マスウードが従兄弟のおかげで幸せになった時』
パレスチナ出身の作家エミール・ハビービー(إميل حبيبي)が1968年に発表した『6日間の六部作(سداسية الأيام الستة)』を私が世界で初めて(←この部分重要)日本語に訳していきます。
この『6日間の六部作』はアラビア語で六日戦争と呼ばれる第三次中東戦争時(1967年)のイスラエル占領下のパレスチナが舞台です。
この戦争でイスラエルは僅か数日でヨルダン領ヨルダン川西岸地区、エジプト領ガザ地区とシナイ半島、シリア領ゴラン高原を制圧し、開戦から6日で圧倒的な勝利を収めて停戦しました。
英語にもなっていますが、アラブ人の間でこの戦争は「ナクバ(النكبة、Nakba)」、すなわち大厄災と呼ばれています。
『6日間の六部作』は6つの中編小説から構成されており、それら6つを合わせて1つの作品となっています。
六部作を構成するそれぞれの作品は独立した別々の作品なのですが、それぞれが「土地」や「ナクバ」をテーマにしているという点で繋がっています。
筆者のエミール・ハビービーはパレスチナ共産党を設立し、イスラエル建国後はパレスチナ人でありながらイスラエルの国会(クネセト)議員となりイスラエル共産党の設立に奔走した人物です。
この『6日間の六部作』の1作目『マスウードが従兄弟のおかげで幸せになった時(حين سعد مسعود بابن عمه)』の主人公パレスチナ人の男の子マスウードは、イスラエル軍が六日戦争で得た占領地から撤退すべきだと考えている一方、この戦争によって新たにイスラエルに占領された西岸地区出身の従兄弟と初めて会うことができました。
しかし彼には、もしイスラエルが西岸から撤退したら再び従兄弟と離れ離れになってしまうということが、よく理解できていないようです。
この皮肉な運命をどう捉え、どう現代の世界に当てはめるかは読者次第ということなのでしょう。
また、これを『6日間の六部作』の1作目に持ってきた筆者エミール・ハビービーの意図にも思いを巡らしながら、以下お楽しみください。
『マスウードが従兄弟のおかげで幸せになった時』
そうして私たちなの、父よ!
どうして私たちが異邦人になったの?
私たちが彼らに何をしたというの?
友人たちと愛する者たちよ!
(ファイルーズの歌より)
灼熱の7月のあの日の朝は、普段と違い、マスウードが通りに出て鋭い感情的な証拠を示しながら、自分にも叔父や従兄弟たちがいると言いふらしながら威張っていました。
「大根」というあだ名で知られているマスウードは、私たちの広場の子供たちの一人です。10歳を少し過ぎたばかりでありながら子供ではありませんし、あなたを喜ばせないことを言うので、あなたに子供だと思わせることもありません。そして、マスウードは政治を理解しています。というより、マスウードは個人的な政治活動に従事しています。例えば、塀の向こう側に飛び移る距離を確保したままコプト教会の塀の近くに停まっている警察の車の右側の車輪の空気を抜くことなどです。そして、彼が「黄金のアラブ人」というスローガンを掲げた最初の人物だということを示す証拠もたくさんあります。そして、彼の兄である私ミスアドが「ポンコツのアラブ人」と口走ることを躊躇いませんから、マスウードはミスアドのことがあまり好きではありません。
ほら、お利口な皆さん、あの灼熱の7月の朝の話は、それまでの「大根」マスウードとは違い、威張っていた日のお話です。子供たちが大人に伝える、驚くような秘密を私はたくさん風の噂で聞いたのですが、この大人というものが、実はただ大きくなっただけの子供だということには誰も気づいていません。
マスウードが威張っていた日の夕方、青ナンバーの、奇妙な、鳥のような2つの翼を持った巨大な自家用車が、クラクションを鳴らして子供たちをかき乱しながら広場に入って来ました。マスウードもそのかき乱された子供の1人でした。
そしてこの車は、広場の他のどの家でもなく、マスウードの家の前で停まりました。私も他の誰も、私たちの広場の家々は自分の前に巨大な個人用の車が停まることには慣れていないんです、と声をかけることができませんでした。砂地しか走らないモルタル運搬用のジープやトラクター以外の車を、私たちの陰鬱な広場は知らなかったのです。しかし、物事には例外というものがあります。この広場にいる私たちはみんな同じ部族の出身というか、言わば一つの部族から分かれた集団だったので、国政選挙直前の長い休みやガソリンのポンプで金持ちに罰を与える時に、この部族の誰かが車で私たちのことを訪ねてくることはありました。あるいは日曜の朝六時にティベリアにモルタルを届けることができるよう、よその人が土曜日に車でここを通ることもあります。
私は、「マスウードくんと彼の家族を除いて、私たちはみんな一つの部族の出身だ」と言いました。すなわち役場でパートをしているミスアドの父の家族は、「壁から生まれた」家族だったのです。伯父も叔父もいません。一方で私たちは普段から言っているように、私たちは一つの部族の大きな家族なのです。恐れも悲しみもありません。
ですから、この巨大で奇妙な車がマスウードの家の前に停まった時、子供たちが口ごもってしまったのです。子供たちがこの車に触り、砂で覆われたガラスに指で悪口の一つや二つでも書いてやろうと競い合っていたのは自然なことでした。しかしマスウードは、家の前に車が停まったのを見て、他の子どもたちと一緒に困惑して立ちすくんでしまったのです。「どうしてこの奇妙で巨大な車が、親戚のいない大根の家の前に停まっているのだろう?」などと言って。
マスウードにとって、相手が自分のことを大根というあだ名で呼ぶことや、どうしてこのあだ名が自分についたのか、ということには興味はありませんでした。彼の母親すらこの名前で彼のことを呼んでいましたし、彼も相手のことをそれぞれのあだ名で呼んでいました。こちらは「軍人」、あちらは「ゴキブリ」、そして学校の算数の先生に至っては誰も本当の名前を知らず、「ひーひー」というあだ名で呼んでいました。この先生は大根のことを愛しており、また大根自身も普段から好んで他人のことをあだ名で呼んでいました。そうすれば部族や部族に対する反感など関係なく、人々の平等が達成されるからです。しかし、彼は他の人と同じように、伯父や叔父が欲しいと思っていました。
マスウードが足を引き摺りながら丁重に家に入ると、彼は生まれて初めて、西岸のスィーラト・アッダフルから親戚、すなわちマスウードの父に会いに来た叔父や従兄弟たちに会いました。
そしてマスウードは親戚がいないのではないということ、つまり彼がこの世界で特異な存在ではないということを理解しました。
そしてこの発見より大切なことは、それを周囲の人々に知らしめたことでした。こうしてマスウードの人生で初めての出来事が連続して起き始めました。
初めて彼の母が彼に理解を示し、彼に反抗しなくなりました。彼女は未明に起きてワンピースを着、衣装ケースを開けて彼にお祝いの日の服を着せました。初めて彼女が彼に反抗しなかったばかりか、彼を引き摺ったりビンタしたりすることなく彼の顔を洗いました。そして彼もqの音をqと発音する同い年の従兄弟サーメハがいる前では行儀の良いふりをしました。初めて彼は朝ご飯をシャツの上に垂らすことなく食べました。初めて彼の兄ミスアドが自分とサーメハのポケットに小銭を突っ込んでくれるのを見ました。
そしてついに、マスウードは従兄弟の手を取って彼の生活圏に連れて行ったのです!
彼の人生において初めての出来事は続きます。初めて彼は他の子どもたちが理由もなく「こんにちは」と言葉をかけて来るのを聞きました。そして、この「こんにちは」という言葉は、家の玄関から、従兄弟と自分のためにアイスクリームを買うために入ったイブラヒームの父親の店に入るまで続き、一つも悪口を聞くことはありませんでした。この店主は商売熱心で、マスウードの後ろにヨルダン人の彼の従兄弟がいなければラティーバの娘にちょっかいを出すところでした。驚くべきことに、彼女の兄アルハシャリーさんは、それに気づかないふりをしました。よそ者の従兄弟と一緒にいることで起こったこれらの出来事によって、マスウードは、彼と二人で同じ枕で眠るときよりも、親しいものの存在を感じました。
そしてはじめて店主であるイブラヒームの父は彼を歓迎し、こう言いました。
「おはよう、マスウード。いや、大根だな。」
そして決定的な質問を投げかけました。
「この青年は誰?」
「従兄弟だよ。」
マスウードは力を込めすぎて「いとこ」ではなく「えとこ」と言ってしまいそうなほどでした。そして、子供たちは彼の様子をうかがっていました。
「叔父さんの息子ということか。お前の父親と同じ父母から生まれた叔父さんか?」
「血の繋がってる叔父さんだよ」
「どこの出身だ?」
「西岸さ」
大根には、西岸出身で、2つの翼のある車を持つ、自分の父親と血の繋がった叔父さんの息子、すなわち従兄弟ができたのです。そして大根はマスウードに戻り、みんなに一口ずつでもいいのでアイスクリームを分けてあげたいと感じました。
しかし、マスウードが威張っていられるのも、長くは続きませんでした。アルハシャリー家のラティーバの息子さんが、今日はご機嫌ではなかったのです。彼にはたくさんの叔父や伯父がいるというのに、嫉妬の気持ちが沸き起こってしまったのです。あるいは、彼は自分の妹がちょっかいを出されたことに復讐したかったのかもわかりません。彼は悪口を言いながら、前触れもなく人々を驚かせました。
「フセイン国王の父を呪い給え」
「お前の父を呪い給え」
「ヨルダンの父を呪い給え」
「イスラエルの父を呪い給え」
六日間戦争の再発を恐れる、このような呆れた口論がラティーバの息子さんとマスウードの従兄弟の間で繰り広げられました。店主であるイブラヒームの父がこれを宥め、子供たちはどちらを応援するでもなく騒ぎ始めました。一方マスウードはと言えば、自分の立場を決めるのに躊躇いはありませんでした。高校1年生になる姉の「哲学者」から聞いていたことや、ラジオから聞こえてくる様々な悪口にも拘らず、マスウードは自分の従兄弟の国の王を応援する側に立ったのです。なぜならそこにいるのが自分の従兄弟であり、彼の国の王は抑圧されているのであり、彼らは撤退しなければならなかったからです。マスウードは戦闘準備を始めてしまい、アイスクリームは一口も舐めることなく溶けて流れ落ちてしまいました。
マスウードは従兄弟の手を引き店から出て、2人で家からそれほど遠ざかることなく街を歩きました。マスウードはずっと家に帰るための計算をしていました。
ラティーバの息子が他の子どもたちと一緒に2人を追いかけてきました。空は元通りに晴れました。子供たちはサーメハにその広場のことを紹介しようと押し合っていました。
これが新しいモスクだよ。広場の人たちが建てたんだよ。そしてアルハシャリーさんが言うには、「一週間前、エジプトの軍人たちが礼拝をしにこのモスクに来たんだ。でも俺たちは奴らを追い払った。どうして奴らは自分の国を裏切ったんだろう?」
みんなでそのモスクの入り口に腰かけたとき、マスウードは、自分の従兄弟がその場を支配していると感じました。そして、政治の話を始めました。
「彼らは撤退しなきゃいけない。」
子供たちも口々に続けます。
「てったい、、しなきゃ、、」
「ロシア人は味方だ」
また子供たちも続きます。
「ろしあじんは、、みかた、、」
そして、「軍人」というあだ名の男の子が来たことに、何人かが気付きました。彼らは「ここにピカピカの車で西岸からやって来たマスウードの従兄弟がいるよ」と呼びかけました。
「軍人」がやって来て同じ質問をしました。
「お前の父さんと血の繋がった叔父さんの息子ってことか?」
今回はサーメハがこう答えました。「そうに決まってるだろ!」
軍人は自分以外の人間が友達の輪の中心になることに慣れていませんでした。マスウードも、西岸出身の従兄弟ができたとはいえ、同様に慣れていませんでした。軍人はこう言いました。
「ラジオによると、スエズ運河のところで戦争が一旦終わったらしい。」
サーメハはすぐに家に帰りたいと言いました。子供たちはすぐに取り返すことができるよ、と言っています。マスウードは、従兄弟を連れて家に戻りました。
その日の夕方、あのクラクションを鳴らす青ナンバーの巨大で不思議な車が、私たちの広場から去りました。マスウードは大根に戻り、再び広場で裸足で遊ぶようになりました。彼は稀にqの文字をgではなくqと発音するようになりましたが、どうしても口ごもってkと発音してしまいます。
お利口な皆さん、私は、この話から、マスウードが私たちの広場でかつてのような姿に戻ったと思ってほしいわけではないのです。むしろ、彼は叔父や伯父や親戚のいる他の子どもたちの同じようになりました。もはや親戚がいないのではないのです。そして彼は両親と一緒に西岸に行くようになりました。彼の叔父や伯父も西岸から彼を訪ねてくるようになりました。
彼は、広場の他の子どもたちと同じように、彼らが撤退するだろうと自信を持っていました。毎日、日の出とともにその日が1日近づいたと考えていました。彼は撤退の必要性を語る姉「哲学者」が話しているのにじっと耳を傾けながら口を大きく開けていました。
彼は従兄弟のサーメハを大きな愛で愛するようになりました。彼は、クウェートで薬剤師として働き、カイロを訪れ、アブドゥルハリーム・ハーフェズのコンサートに行った彼の兄の話に驚きながら聞いていました。
彼の姉「哲学者」は、彼の学校の宿題を手伝うときや寝る前に彼に小銭を与えるときなどに、すべての政治概念を教え込みました。彼が思ったことを質問すると、彼女はそれに答えていました。彼は彼女のように撤退を強く望み、またそれが絶対に起こると自信を持っていました。
しかし彼には、姉「哲学者」に向けることができない質問が一つだけありました。喧嘩が好きではない姉にビンタされて喧嘩になることを恐れて、あるいはその他の何かを恐れて。それは、
「あいつらが撤退してしまったら、僕たちは元通りになるの?従兄弟のいない?」
という質問です。
そして、彼はサーメハと、クウェートで薬剤師として働き、カイロを訪れ、アブドゥルハリーム・ハーフェズのコンサートに行った彼の兄のことを夢に見ながら眠るのでした。