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ハサン・ブラーセム『死体展覧会』

イラクの現代小説家ハサン・ブラーセム(حسن بلاسم)が2015年に発表した短編小説『死体展覧会(معرض الجثث)』を全訳しましたので公開します。
邦訳が出版されているようですが、執筆時点で絶版となっており、図書館等で入手することも叶いませんでした。

この小説は私の学生時代の恩師の最後の授業で講読した作品で、今までアラビア語で読んできた数少ない作品の中でもそういう意味で思い入れの深いものです。

混迷を深める祖国イラクを想ってこの小説を書き上げたハサン・ブラーセムの心の叫びが聞こえてくるような小説です。
ストーリーは冒頭から「彼」のセリフを聞く形で続きますが、「彼」の言葉は夢を見ているような語り口で紡がれ、衝撃的な最後を迎えます。

私は個人的に結末の解釈を読者に任せるのではなく、こういう衝撃的な結末の小説(すなわち結末がはっきりしているもの)が好きです。



『死体展覧会』ハサン・ブラーセム

 彼はナイフを取り出す前に、私に向かってこう言った。

 「顧客のファイルに目を通し終えたら、お前の初めての顧客をどのように殺し、その死体をどのように街中で晒すのか、簡単な概要を書いて報告しろ。しかしこれは、お前がその概要の中で書いたことをそのまま認めるということではない。権限を持っている者がお前の提案書を読み、それを承認するか、あるいは別の方法を提案することになる。この方式は熟練した者たちが仕事をする際にも等しく適用される。

 一つ断っておきたいのだが、この方式はお前が今の試用期間を終えた後も適用され続ける。怖がることはない。何が起きても、お前の報酬は完全に支払われる。今は詳細を語るつもりはない。俺はお前に徐々に命令を与えていく。顧客のファイルを受け取ってからは直接質問をすることができないから、質問があれば書面で提出することになる。お前からの質問、提案、文書は、すべてお前専用のファイルに記録される。お前は業務上の命令について、電子メールに書いて寄越してくることもできないし、俺に電話してくることもできない。質問があれば、後で渡す専用の紙に書け。

 大切なのは、今は顧客のファイルに目を通すことに専念することだ。たとえお前が最初の任務に失敗したとしても、俺たちはお前との協力を放棄することはないから安心してほしい。失敗した場合には、同じ報酬で別の課の仕事に移ってもらうことになる。

 しかし、次のことはもう一度言っておかなければならない。最初の報酬が支払われたら、この仕事を放棄するなどという考えは受け入れられなくなる。厳しい条件だが、俺の局がお前と仕事をすることに同意したら、長い時間がかかるかもしれないが、俺たちからもお前にいくつかの試験を課すことになる。そういえば、俺たちが保有しているデータの中には、協力者やエージェントのうち、自ら望んで俺たちとの契約を破ると決めた者たちの一部を、サンプルとして集めたファイルがある。お前がそのような考えに至らぬようにするために、彼らがどのような結末を迎えたのか分かるよう、見本ファイルのうちの1つをくれてやろう。

 俺は、お前には仕事を完遂するだけでなく、それを楽しんでくれる力があると確信している。お前は自分の人生がすっかり変わる様を実感するだろう。ほら、これが最初の贈り物だ。今は開けてはならない。これが今回の報酬のすべてだ。まず肉食獣の生活を描いたドキュメンタリーを買って勉強しろ。後からその分の代金は払ってやろう。獲物の骨の残骸をよく観察するよう心掛けろ。

 いいか、俺たちは金のために殺るのであって、決して他者を恐怖させるために大量殺人を企てるテロリストではないし、ただの愚かな殺人犯でもない。イスラーム過激派とは関わりがないし、怪しい国の諜報機関との繋がりがあるわけでもない。このような譫言とは一切関係ない。今、お前の心の中では様々な質問が渦巻いていることだろう。だが、この世界は何階層にも分かれて聳え立っているということや、みながすべての高層階や地下階に簡単に辿り着けるということは論理的ではないということを、お前は徐々に理解してくれることだろう。

 新鮮で、悪意に満ちた、衝撃的な想像力さえあれば、この組織の体制の中で高い地位がお前を待っているということを忘れるな。お前が殺る死体はすべて、お前の最後の一筆を待ち望んでいる芸術作品なのだ。この国の瓦礫の中心で、高価な宝石のようにお前が立ち現れるのをずっと待っているのだ。他者の前に死体を晒すということは、俺たちが探し求めている想像力の神髄だ。俺たちは死体晒しを研究し、そこから学び取ろうと日々努力している。

 だから俺は個人的に、独創性が足りないエージェントのことが我慢ならない。例えば、俺たちには『悪魔のナイフ』というコードネームのエージェントがいる。俺はこいつの仕事が早く上司の目に触れてクビになることを期待しているのだが、なぜかというと、こいつは顧客の四肢や内臓を切り刻み、庶民的な広場にある電線に吊り下げることが独創と発明の極致だと考えているからだ。あいつは自惚れた愚か者だ。俺はあいつの古典的なやり方が気に食わない。あいつはそれを新古典主義だと言っているが、あの浅はかな考えの持ち主は、ただ顧客の死体に色を塗って薄い紐で吊るしているに過ぎない。心臓は深い青に、胃は緑に、肝臓と睾丸は黄色に、といった具合だ。あいつは単純な美学すら理解していないということが、お前にも分かるだろうか。

 その熱い眼差しを見込んで、もう少し詳しく話してやろう。落ち着いて、深く息を吸い、お前が内に秘めている魂のリズムにそっと耳を傾けろ。もっと分かりやすいように何点か説明させてくれ。いくばくかの時間を私に与えてくれれば、お前の心の中を渦巻いている幻覚から解放する手助けができるだろう。これからお前にする話は、もしかしたら俺の個人的な印象に過ぎないかもしれないし、グループの他のメンバーは全く違う考えを持っているかもしれない。

 実際のところ、俺は単純明快で、衝撃的な絵面が好きなのだ。例えば『聾者』というエージェントがいる。こいつは落ち着いていて、聡明で澄んだ目の持ち主だ。こいつの芸術作品のうち、俺の心の琴線に触れたのは、この“授乳する女”だ。雨の降る冬の朝だった。通行人や車の運転手たちの集団が、左乳で裸の赤ん坊に授乳している、裸の太った女を見ていた。女は混雑した道の中央分離帯にある枯れたナツメヤシの木の下に置かれていた。女の身体にも赤ん坊の身体にも、刺された跡や弾丸の跡は全くなかった。女も赤ん坊も完全に生きているように見えた。その美しさは、まるで澄んだ水が流れる小川のようだった。この女こそ“今世紀私たちが失った天才”と言っても良いほどだ。この女の大きな両乳と、鮮やかな白色の子供の皮膚を纏った骨の塊のようにも見える子供の小さな姿を目に焼き付けろ。多くの者は誰にも分からない秘密の穴を使って殺したのではないかと言っているが、この女と赤ん坊がどうやって殺されたのか、誰にも分からない。だが、『聾者』がこの素晴らしい芸術作品について書き記した詩的な報告書は、私たちの事務所にあるアーカイブでなら読むことができる。彼は今、このグループ内で重要な役職に就いている。彼は今いる役職よりずっと価値がある。

 お前は、この国は今世紀またとない貴重な機会に恵まれているということをよく理解しなければならない。俺たちの仕事は長く続かないかもしれない。この国の状況が安定したらすぐ、俺たちは国外に脱出することを強いられる。恐れることはない、仕事に適した場所はたくさんある。聞け。かつては、俺たちにも新入生に見本として見せる古典的な教訓があった。だが、今や状況は大きく変わってしまった。ただ殺し方を暗記すれば良いというのではなく、殺しは想像上の民主主義とその自発性に依存するようになった。

 プロフェッショナルに仕事をできるようになるまで、俺は長い間研究し、俺たちがやっていることを正当化する本をたくさん読んだ。俺たちは平和を謳って研究してきたのだ。本当に、不快なほどに雄弁な教訓であった。すべてを正当化するには不必要な、単純な例ばかりが並びたてられていた。薬局にある薬はすべて、ただの歯磨き粉に至るまで、ラットや他の動物を使った実験を経て製造されるという話を書いていたものもあった。では、この地上では人体実験を行わなければ平和は実現できないということなのか。この古い例から分かるように、古い教訓は退屈と絶望を引き起こすものであった。

 お前たちの世代は様々な機会に恵まれたこの黄金時代に生まれてきて、この上なく幸運だ。アイスを舐めている映画女優の、取るに足らない数十枚もの写真やニュースが、飢餓にあえぐ地上の最果ての村にまで届き、そこで大騒ぎを巻き起こすことがあるだろう。これは少なくとも、この世界のくだらなさや、その曖昧な本質の上に立脚する、俺が「知の正義」と呼んでいるものだ。では、お前は街中に独創的な方法で晒された死体をどう思うだろうか。

 お前に好き放題言い過ぎたかもしれないな。だが、俺は正直、お前に同情しているのだ。お前は、愚か者になるか、天才になるかのどちらかだ。お前のようなエージェントは俺の好奇心を掻き立てるのだ。お前が天才だったら、それは喜ばしいことだ。この集団のほとんどのメンバーは経験則から悲観的な見方をしているが、俺はまだお前が天才だと信じている。あるいは、お前が愚か者だったら、私が去る前にこの話だけはさせて欲しい。無邪気に俺たちと遊ぼうとした愚か者たちのうちの一人についての、短いが役に立つ話だ。

 あいつのニックネームですら不快なのだが、『クギ』というやつだ。クギが提案してきた顧客の殺し方と、大きなレストランの中にその死体を晒すという方法を委員会が承認したため、俺たちはその結果を待った。しかし、あいつが仕事を実行するまでに非常に遅れが生じた。俺は何度もそいつに会って、なぜ遅れているのかと問うた。あいつは前任者たちと同じ方法を繰り返したくないため、新しい独創的な飛躍を遂げる方法を考えていると言っていた。

 しかし、実際はそうではなかった。クギは、くだらない人道的感情の内側にまで臆病さが浸透していた。あいつは病人のように、人殺しに何の意味があるのか、創造主は俺たちの行いを監視しているのか、などと自問し始めたのだ。これは堕落の始まりを意味した。この世界に生まれてくる赤ん坊たちはみな可能性にすぎないのだ。この馬鹿げた世界の宗教教育が定める分類によると、子供が生まれるということは善か悪かのどちらからしい。しかし、俺たちにとってはそうじゃない。子供が生まれてきたとしても、沈没寸前の船に積み荷を増やすことにしかならない。いずれにせよ、今は自ら終焉に向かって突き進んだクギの身に起こった話をしよう。

 あいつには街の病院で警備員として働いている親戚がいた。クギは自分で死体を作るのではなく、病院の遺体解剖室に忍び込んで、その中から死体を選ぶということを考えた。あいつはこのグループから得た報酬の半分をその親戚に渡すことで、簡単にそれが実現できた。その解剖室は愚かなテロ行為の犠牲になった死体でいっぱいだった。車載爆弾の爆発でずたずたになった死体、派閥抗争で頭が切り落とされた死体、川の底で腐って膨らんだ死体、芸術と全く関係ない無差別殺人に巻き込まれた馬鹿な奴らの死体などだ。その夜、クギは病院の解剖室に忍び込んで、大衆の前に晒すのに相応しい死体を探していた。クギは、最初の報告書で6歳の子供の最期について意見を提出したため、子供の死体を探していた。

 解剖室の中には車載爆弾に切り裂かれたり、庶民的な市場で焼き殺されたり、家が空爆を受けてへしゃげた小学生たちの死体があった。結局クギは派閥抗争に巻き込まれて家族もろとも頭を切り落とされた子供の死体を選んだ。その死体は綺麗で、首の切断面はまるで切り裂かれた紙の切片のようだった。

 クギはこの死体をあるレストランで晒そうと考え、またこの子供の家族の者たちの眼球をスープとして血液の器の中に入れてテーブルに置こうとした。確かに素晴らしいアイデアではあったかもしれない。しかし、あいつの行為は、何よりもまず、欺瞞と背信であった。あいつがもし自分で子供の頭と切り落としていたら、これは真の芸術作品となっていただろう。しかし、あいつが遺体解剖室から盗みを働き、このような厚かましい行為をしたこと自体が、恥であり臆病の証だ。あいつは、今日、世界が互いにトンネルや迷路で繋がり合っているということを知らなかったのだ。

 哀れな群衆を欺く前にクギを捕まえたのは、他でもない、死体修復人だった。死体修復人は、60代前半だった。巨大な男だ。切り裂かれた死体がこの国で増えるようになってから、彼の仕事は繁盛し始めた。爆発で吹き飛ばされたり無差別殺人に巻き込まれたりした我が子や親戚の死体を修復するときは、みな彼に修復してほしいと望んでいた。みな彼が自分の子供たちを弔い、彼らが知っている在りし日の姿に戻してくれると思って、喜んで彼に金を払っていた。死体修復人は誠に偉大な芸術家であった。恐ろしいほどの忍耐と愛をもって仕事をしていた。

 彼はその晩、クギを解剖室の隣の部屋に連れていき、ドアを閉めるよう指示した。彼がクギに麻酔薬を注射すると、クギは意識は失うことなく、体だけが麻痺して動けなくなった。彼はあいつを解剖台の上で広げ、両手両足を縛り、口を閉じさせた。彼は作品を仕上げる机を準備しながら、女のような不思議な声で美しい子供の歌を口ずさんでいた。子供が小さな血の池でカエルを捕まえる歌だ。彼はしばらく愛情をもってあいつの髪を撫で、耳元でこんなことを囁いていた。

 “ああ親愛なる友よ、死よりも不思議なことがある。お前が見ている世界もまた、お前のことを見ているということだ。しかし世界はそのことをお前に気づかせようとしていないし、そのことを理解もしていなければ、そもそも意図すらしていない。お前と世界は、まるで沈黙と孤独のように、盲目という点で深く結びついているのだ。さらに、死よりも少しだけ不思議なことがある。男と女がベッドで遊んだ結果、他の誰でもないお前が生まれてきた。お前はいつも間違った人生の物語を描いてきたのだ。”と。

 死体修復人は、朝の早い時間に仕事を終えた。

 司法省の前に、肉と骨を捏ねて作られた、街の像の台座のような演壇があった。演壇の上には銅色の柱が立っていて、そこには素晴らしい技能で綺麗に剥がされたクギの皮膚が吊るされていた。それはまるで勝利の旗のようにはためいていた。演壇の前の部分からは、ペースト状になったクギの肉の中に埋め込まれた、奴の右目をよく見ることができた。その眼差しは、今のお前のそのちっぽけな眼差しと似ていた。この修復人が誰だか分かるか。彼は、この組織で最も重要な課を取り仕切っている人物だ。彼は、“真実と独創”課の課長だ。」

そして彼はナイフで私の腹を刺し、こう言った。「お前は震えている。」