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子供に戦うことを教えたほうがいい
食育の一環として、小学校で動物を飼い、最後に食肉にするというカリキュラムがあったことをご存じの方は多いと思います。
平成2年の大阪の小学校での出来事だったそうで、その後映画にもなり、大きな話題となりました。
その教育方法や結果については当時も今も賛否両論だと思います。
私は、この先生が子供たちに問いかけたかったこと、「生き物を食べるとはどういうことか?」を考えるのは正しいと思いますが、ペットとして飼って育ててから食べてしまうという過程には疑問を感じました。
自分の味方や庇護の対象を食べてしまうというのは普通はしないからです。
生き物の命を頂いて食べることの意味を考えさせるのであれば、食用動物の実際の状況を教えてあげるだけで十分だったのではないでしょうか。
家畜を育てて出荷するのは必要なこと、ペットを愛するのも必要なこと、生き物を食べるのも必要なこと、というありのままの現実を教えてあげられればよかったと思います。
「なぜ人を殺してはいけないのか」問題
またこの件を考えていたとき、一つの考えが浮かびました。
それは小学生くらいの頃によく出てくる疑問、「なぜ人を殺してはいけないの?」です。
小学生くらいの男の子だと、虫や小動物、植物を衝動的に殺したりつぶしたりします。
これは男の子に限らないかも知れませんが、彼らには何の悪気もなく、ただ自分より下に感じる存在を見つけると自分の力を示すように行動します。
その延長で「なぜ人を殺してはいけないの?」という疑問が彼らの頭に浮かびますが、彼らは意味を知りたいのであって、当たり前ですが殺したいのではありません。
ただし、その疑問に答えるのはなかなか難しいと思います。
私は模範解答を持っていませんが、答えるならこう言いたいと思います。
「自分と同じ仲間である人間を殺したら、社会が成り立たない」
豚であろうと人であろうと、仲間を殺してはいけないのは当然です。
ちなみに、「人を殺してはいけないのが社会のルールだから」としてしまうと、殺してもいいルールがあればOKとなってしまいます。
また、ルールが先にあるから守るべきというのは論理的ではありません。
従うべき理由や必要があるからルールが作られ実際に守られるのであって、その逆ではないと思います。
戦うべき理由は知っておいたほうがいい
しかし、「仲間と争ってはいけない、攻撃してはいけない」というルールが浸透し過ぎているせいで、いかなる場合にもそうしてはいけないと考えてしまう弊害があるように感じます。
いじめやハラスメントを行う人、子供を支配下に置こうとする毒親はそんな心理につけこんで弱い相手に攻撃を仕掛けますが、彼らは仲間ではなくただの敵でしかないので、本来は戦う必要があるのです。
子供の教育環境を見ていて、非常に難しいけれど親が教えないといけないと感じるのは、戦うことの必要性です。
もちろん戦争のようなことではなく、勇気をもって争わなければいけないときもある、という意味です。
血気盛んな子ならその攻撃性を抑えることを親は意識しなければなりませんが、その逆の常識的な判断が出来すぎる子は、むしろ戦うべき状況を教えないと負け続けてしまう心配があります。
私の肌感覚ですが、そういった「賢い」子供は明らかに増えていると思います。
以前、自分の子供とある友達の間で、初めはどこにでもあるような小競り合いだったものが、長い間繰り返されたことがありました。
その際、うちの子が「相手に言いたいことはあるけど、気を使い過ぎていて言えない」という問題を抱えていることに気づき、私から子に時間をかけて主張する必要性を説明し、ようやく言えて解決したということがありました。
子供に、怒ってはいけない、争ってはいけない、と正論ばかり言うのではなく、必要に応じて感情の引き出し方を教えないといけないですし、教える側の大人も、そのような過剰に気を遣うことの多い今の子供の状況を認識する必要があると思います。
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