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学歴の違いとは何が違うのか

言うまでもなく学歴は大事です。
学歴の違いによって就職や結婚、住む場所や暮らし方、交友関係まで大きく左右されるのは間違いないと誰もが思っています。

しかし一人が持つことができる学歴はひとつなので、学歴が異なるとどのようなことが違うのか、意外と本当のところは分からないかもしれません。

ただし私は偶然、学歴の大きく異なる人がいる地域や企業に所属した経験があり、自分の体験から比較できるのではないかと考えました。

今回はそういった目線での考察です。


環境に左右される子供


今はもう少ないと思いますが、かつては荒れていた中学校が多くあり、普通に犯罪と言える行為が堂々と学校内でまかり通っていました。
いじめ、恐喝、暴力、盗みなどが絶えずあり、ドラマではなく本当にバイクで校内を走り回る先輩を見ました。

私が中学の途中まで育ったところはそんな都市近郊の、古くからの地元住民と新しい住民(私はこちら側)が混在する街でした。
旧住民の子は中学になるとたいてい男女とも勉強せずヤンキーになり、新住民は一緒になって騒ぐか、我関せずと無視するか、という感じでした。

そして普通に勉強ができて知恵もある子が、周りに流されて低学歴側に移動していき、その後仲良く地元の高校に進んでいきました。
そこで知ったのは、低学歴のヤンキーな子が決して勉強が苦手なわけではなく、学歴の必要性を教えられなかっただけということです。

私は部活が忙しく、そういう子らとはあまり付き合いはなかったのですが、彼らは純粋で性格のいい子が多かった記憶があります。

そしてそのころたまたま家の都合で引越したので、彼らとは縁がなくなりました。


引越した先は大きな駅と繁華街がある街で、勉強熱心な家がとても多く、不良っぽい子は学年に1~2名いるだけでした(それも格好だけ)。
前の家からたった電車で数十分移動しただけでこうまで違うのかと子供心に驚いた記憶があります。

そこでは幸運なことに話が合う子が多くいて、特に学力レベルの近い子が以前の場所に比べ多かったのは非常に助かりました。

ただそこは、地元や都内のよい企業に勤めている親が多く、進学熱が高くて塾に行かないのはおかしいという空気があり、そのギャップに少し苦しみました。

引っ越す前の場所にたくさんいた、勉強ができない、またはする気がないがあっけらかんとした性格の良い子たちとは違い、神経質で緊張した人が多く、人間関係の調整が難しかったのを覚えています。


私は中学時代に、素質的には同じといっていい同級生が、かたや多くが地元のヤンキーになり、かたや受験塾でしのぎを削って進学校に進むという姿を見て、環境というものはこれほど影響が大きいのかと感じました。

学歴の違いというのは、家庭や地域の勉強に対する熱心さの反映であり、子供自身はおそらく半分も関与していないのではないかと思います。
学歴がないのは本人の努力が足りなかったからではなく、そういう場所に育ったことの現れかもしれません。


競争を好む人と好まない人


私が就職したのは企業の採用数が非常に限られていた時代で、苦労の末ようやくある会社に入れましたが、目指していた方向とは違う業種でした。
そこは、古くからの職人の仕事がIT化されつつあり、それに取り残された年長者が多い企業で、私はIT化要員として入りました。

みんな人が良く仲も良い普通の人の集まりで、個別には良い印象しかないのですが、集まるとお酒・ギャンブル・女関係のような話題ばかりで勉強することを忌避する雰囲気に満ちていました。

彼らの多くは学歴が乏しい人々でしたがとても結束が固く、その企業も先細りとは言え安定していて、ベテランにとってはかけがえのない場所だったと思います。

しかし私はもっとやりたいことがあったので、IT化のブームという追い風もあり、転職先を見つけ新しい組織に移りました。


新しい場所は、自分が正直場違いなくらい学歴や職歴が素晴らしい人が多く、そこに入れたのは幸運でしかないですが、そこでは元々能力がある人が常に前向きに努力し切磋琢磨して成果を挙げていました。

しかし、そのストイックさ故か社内を怒号が飛び交うのも珍しくなく、非常に緊張感が高く張り詰めた空気が漂っていたことを覚えています。
そしてそれが内紛につながるまでに時間はかかりませんでした。

とにかく困ったのは、業務に影響が出るほど水面下の足の引っ張り合いが激しく、優秀な社員たちが頭脳のかなりの割合をその攻撃や防御に使っているという本末転倒ぶりでした。

才能や努力がいくら素晴らしくても、そのような精神を削られまくる環境ではうまくいかないだろうと感じ、予想通りその会社はその後経営が行き詰まりました。


学歴は何を担保するか


このような体験を振り返ると、間違いなく高学歴のグループのほうが仕事の能力が高く、社会的・経済的に成功している場合が多いです。

しかし協調性や共感力という部分に限ると、高学歴の人の激しい競争心がそれを邪魔しているようで、人と協力する、相手に共感することが苦手な人を多く見てきました。

もちろんこれは私の観察範囲に過ぎないかも知れませんが、やはりこの傾向はあると思います。

例えば、子供、老人、病人、その他困った状況にいる人の世話をしたり、逆に自分がその立場になって誰かに面倒を見てもらうのは誰にでも起こりうることで、その際には何より協調性や思いやりが必要不可欠です。

高い学歴を獲得する際にそういったことを学ぶ過程が不足しているなら、何らかの方法で補っていかなければいけないと思います。



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