シティポップが流行った理由を音楽好きとして突き止めたい
皆さんはすでにご存じだと思いますが、1980年代の日本の音楽が世界各地でCity Popと呼ばれて流行しています。
これらのヒットは、2010年代にネットで流行ったフューチャーファンクというムーブメントがその発端で、Night Tempo(韓国)やMACROSS 82-99(メキシコ)といった世界のさまざまな地域から現れた支持者が80年代の日本の音楽を勝手にミックスしてネットで流しました。
さらに、それにArtzie MusicというYoutubeチャンネルが当時の日本アニメの1カットをこれも勝手につけて流したのが、多くの人の目に止まりました。
その後レイニッチ(インドネシア)などの新しい歌手がカバーし、TikTok等でアジアで火が付き、ついに日本のレコード会社も重い腰を上げて公式にYoutubeやサブスク系サービスに音源を開放し、世界で聴かれるようになりました。
ただ、このCity Popというムーブメントの経緯は調べたらだいたい把握できましたが、どの分析を見ても流行った「理由」が分からないのです。
そこで無謀にも、私が今回その理由を考えてみることにしました。
地域・年代・アーティストに紐づかない謎
世界の音楽は昔も今もアメリカが発信地であり、分厚いアメリカ国内音楽の支持層に対し、ラテン系、イギリス系、K-POP等が一部食い込んでいます。
日本の音楽は、ご存じの通りまったく存在感がありません。
ちなみに現在の音楽の流行をつかむため2023年のUSヒットシングル曲を調べてみましたが、カントリーやメッセージ性の強いボーカルメインのロック、バラードが多く、聴かせる曲、歌い上げる曲が多いように感じました。
スケールの大きいサウンドというより、歌詞が重要な位置を占めているような繊細な曲が多く、いい曲ではありますがあまり明るく前向きな気持ちにはなれないと感じました。
もうひとつ意外だったのは上位にラップ系が入っていないことで、あっても昔のようなギャングスターぽいこわもてのラッパーがイキっているような曲は1曲もありませんでした。
それはむしろ今日本の方が流行っている?かもしれません。
しかしCity Popはそういった世界の流行とは一切関係のない独自のもので、題材が日本の音楽というだけで日本発の流行ではありません。
時代的にも、80年代だけでなく70年代もあれば90~00年代もあり、さらに現代のアーティストも参加していて古いのか新しいのかもよく分かりません。
また音楽の流行には中心となるアーティストが必ずいて、その人が流行の象徴となりますが、City Popにはそれもありません。
竹内まりやの「プラスチック・ラブ」が代表としてよく取り上げられますが、竹内まりやがこの流行を牽引しているわけではありません。
付け加えると、日本のレコード会社もこのムーブメントを押し上げようと頑張ったわけではなく、むしろサブスクやYoutubeに懐疑的で何もしていなかったのが、流行り始めてようやく動いたというのが正しいです。
既存の音楽産業の仕組みが置き換わる兆し?
グローバルでのヒットを生むには、新しくて良い曲、その国や文化を代表する良いアーティスト、それらを広める装置としてMV・映画・TV・SNS等のコンテンツ、というセットをいかに世界中の多くの人に届けられるかが勝負のカギだと思います。
レディーガガ、ジャスティンビーバー、ビリーアイリッシュのような伝達力が極度に強いアーティストがその波に乗って広がっていきました。
でも、(そこにエドシーランやテイラースイフトやブルーノマーズ、そしてK-POP勢を入れてもいいですが)彼らの才能や音楽の質は非常に素晴らしいですが、あくまで大衆的であり個性的・先鋭的なものではありません。
グローバルに訴求するにはあまりややこしい要素は不要で、見た目のすごさ、インパクトがあり覚えやすい曲、明快でポジティブなメッセージというのが適切と言えます。
そういった最大公約数的なサウンドとメッセージは、受動的に音楽を待っている多数派にはちょうど良いと思いますが、こだわりを持って新しい音楽を探す層にはもはや陳腐で刺さらない、「予想できる音」だと思います。
City Popの大きな特徴として、ネットの匿名ユーザーが、その曲の発売当時の価値ではなく今現在感じる良さだけを基準に古い曲を発掘し、その音楽の昔のジャンル分けやかつて持っていた文脈を消去し現代用に書き換えた、という行為があります。
ただそれは、山下達郎、竹内まりや、松原みき、八神純子といった日本人すら長らく忘れていたアーティストの曲を、海外の誰かが「この知らない曲、今聴いたらカッコいいじゃん、みんな聴いて!」と勝手に(もちろん違法に)加工してネットに上げたのが始まりに過ぎず、ブームを作ろうなどという意図はなかったと思います。
「キュレーション」という言葉が最も適切だと思いますが、ネットユーザーが過去の音楽を集め再評価し、現代に合わせて新たな文脈と価値を付与したもののひとつをCity Popと呼んでいる、と考えると非常に納得がいきます。
つまり、City Popとは売り手主導ではない新しい音楽の流行形式で、場所・時間や過去の文脈から離れたネット等のメディア空間に存在し、City Pop的だとリスナーが認めたらそれはCity Popとなり、ミュージシャンだけでなくリスナーもキュレーターとして音楽を組み立てられる枠組みである。
という結論になります。
最後に、こういった能動的なスタンスの音楽が増えれば、グローバルなミュージシャンとプロダクション等が強い力で広めるキャッチーで無難な音楽をただ口を開いて受け止めるだけの音楽受け取り師的な聴き方以外の選択肢が増え、音楽がより多様で自由になるのではないかと期待します。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?