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教育されていないことはたくさんある

大人の社会ではとても必要なのに、子供の教育で重視されていないか、まったく教えられていないと感じることがたくさんあります。

お金や法律といった必要不可欠なルール、論理的に考える、仕組み化するといった合理性、人間には生物として超えられない限界があるという事実などです。

今年から高校で金融教育が始まっているらしく、法律などについても独自のカリキュラムがある学校はありますが、私が足りないと思うのは、お金や法律がなぜ存在し必要とされているか、といった基礎の部分です。


お金の管理

数字を計算する方法は小学校から教えられますが、計算する理由や必要性は教えられません。

考えてみると、大人が管理する数字のほとんどはお金と結びついています。
物の価値を交換可能な数値に置き換えたのがお金だとすると、自分の所有物の価値を知り、守り、高めるためには正しい計算が必要と分かります。

学問としての数学はもちろん大事ですがそれだけでなく、価値の評価と管理を行うために数学が必要と分かれば、退屈な科目もまったく違って見えるはずです。


法律やルールの意味

ルールをどう守るかを教えるのと同時に、そもそもなぜそのルールが存在するのかを教えたほうがいいと思います。

子供は敏感なので、「どうしてこのルールを守らなければいけないの?」と大人に聞きますが、その時大人は、そのルールがなぜ存在して、なぜ守る必要があるかを教えなければいけないと思います。

それが早くに分かれば、ルールに対して思考を停止し、ただ多数に従う、または反対するといった非生産的な態度を取ることが減るのではないでしょうか。


論理的に考えること

多くの大人は思考と行動に一貫性がない、と感じることがよくあります。
自分の中に論理がないと外部の反応だけで動いてしまうことが多くなるのだろうと感じます。

そんな古い脳の習慣だけで動く親を見て、子供が自ら論理性を身に付けられるでしょうか?
次世代の子供に新しい脳を使う方法を身に付けてもらうには、やはり学校で教える必要があると思います。


自分の意見をまとめる力

多くの学校で自分の意見をまとめて発表する授業があると思いますが、先生が作った枠組みに子供が合わせる形で意見をまとめる、といった進め方が多いように見えます。

そうではなく、自由に意見を出していいという環境で、自分が何をしたいか何をしたくないかを自分で決めることができるのが大事だと思います。

自分がしたいことしたくないことを自覚して、自ら選択することを通じて、学校を出た後の将来の方向性を早くから考え始めることができます。


仕組み化する方法

現在の学校の勉強は基本的に個人戦で、自分の努力が成績にダイレクトにつながるのは良いですが、個人能力に過度の注目が集まってしまうという悪い部分があります。

実際に社会に出ると、飛び抜けたごく一部を除き個人の努力には限界があり、さらに人間は機械のような持続力や再現力もありません。
そのため多くの人を効率的に関与させるための仕組み化が不可欠です。

学校の部活や委員会など多くの人が関与する活動は、大半が運動や芸術、選挙や意思決定といった過去のルールや習慣の再現の場で、それも大事ですが、これからの世界で必要な新しい仕組みには合わないかもしれません。

例えば、IT等を活用した社会の効率的な仕組みづくりの基礎を、学校という小さな社会でシミュレートできる新しい仕組みがあれば、必ず何かの刺激になると思います。


人間の生物的な条件

性別による違い、成長の段階、妊娠の可能性、ある年齢で出来ること、出来なくなること、病気の苦しさ、老化など、生物としての人間の仕組みについて、もっと教えるべきだと思います。

人間は多くの生き物と同じく若い時にしかできないことが多く、年を取ってからそれに気づいても手遅れになってしまいます。
しかし先に知っていれば準備をすることができます。

例えば少子化について言うと、男女とも年齢が高すぎると妊娠の可能性が激減するため、10代中盤からの若い人の妊娠出産に対して手厚い保護をするのは合理的と思いますが、まったくそうなっていません。

何を選択するかは自由ですが、変えられない前提条件は知っておくべきと思います。


私は、経験的に今回述べてきたことの重要さを知りました。
その中で、たまたま知っていたこと、本当に知らなかったこと、また、自分はともかくせめて子供には教えたいと思うことがあります。

もしこの文章を十代の若い人が読んでいたら、私のように何十年の経験を通じて徐々に克服するのではなく、既知の課題として今から学習し若いうちにさっさとクリアして、その先に生かしてほしいと思います。



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