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TVのニュース見る価値ある?ないよね

アメリカ大統領選挙の演説でトランプ氏が狙撃されました。

幸いトランプ氏を狙った銃弾は彼の右耳をかすめ、かなりの出血はしましたが無事でした。
報道の画像を見ると胸にも銃弾が当たったような跡があり、防弾チョッキで防いだようにも見えます。
しかし流れ弾が当たった別の方が亡くなられたようです。

その後著名なカメラマンが捉えた、拳を上げて聴衆に応えたトランプ氏と星条旗と青空、という印象的な写真がXで見れました。

しかしこの事件に対しTBSの番組キャスターが「トランプ氏が選挙で有利になりかねない」という発言をしたらしく、非難の声が上がっています。


テレビのニュースを見ない生活


私は政治の専門家でも何でもないので、この事件に作為的な面があるのかなどの判断はできません。
またトランプ氏もバイデン氏も特に支持はしていません。

でも殺人未遂のニュースで生き残った被害者を見て「これで選挙で有利になったらどうしよう」といった軽口をテレビで言ってしまう、というのは明らかにおかしいです。

もちろんトランプ氏を祀り上げるのも違うと思いますが、何もわかっていないので冷静に事実だけを伝えるのが普通でしょう。


私はもうだいぶ前からテレビのニュースを見ない生活をしていて、この事件も後追いで知りました。
もしリアルタイムで見ていたら何らかの動揺があったと思いますが、もうだいぶ時間が経っていたので冷静に見れました。

なのでこの件に対しても、ダメなニュースキャスターがまたダメなこと言ったんだね、としか思いませんでした。

そして同時に、以前ある仕事をした際の記憶がよみがえりました。


マスメディア企業も中身はただの一会社


何年か前、偶然のつながりで某有名マスメディア企業と仕事をさせていただいたことがあり、相手はニュースや報道とはまったく違う部門で、仕事も番組制作ではない全然別の内容でしたが、最初の打ち合わせで非常に違和感を持ちました。

それは何かというと、「日本人じゃない人多すぎ!」という点です。

そして仕事が進んでいくにつれ、その人たちが明らかに仕事をあまりやっておらず、リーダー格の日本の方がほぼ全部仕切って回していて、何らかの理由で彼らを養わなければいけない企業内の事情があるんだろう、と推察しました。


こういう場合によくあるのが、社内で人が余って利益のある部門に人を押しつけられるパターンです。
正社員はそう簡単に減らせないので、儲かっている部門にそういう人が配置されます。

しかし彼らも正社員なので権限はあり、微妙に仕事上の判断に口をはさんでくるのには少々困りました。
なんもしてないくせにという。

あれだけ有名な会社でも中身はよくある大手企業と同じなんだな、と感じたのをよく覚えています。


ニュースという名の一意見


しかし彼らは報道という社会への影響力が非常に強い部門を抱えています。

そういった部門で特定の国籍等のグループが多数派になったら、彼らが望む方向へ報道姿勢をコントロールしたいと考えるのは普通だと思います。

そしてその報道は当然、視聴する多くの日本人にとって違和感を覚える内容になるでしょう。


もちろんこの話は想像であって、報道という厳格なルールの下で行われるべき仕事が担当者の思考の偏りによって信用性が左右されることがあってはならないし、当然それを防ぐ仕組みがあると思います。

でもその会社は近年利益が減少し本業も昔に比べ課題が多く世間の逆風も強いという、背に腹は代えられない切羽詰まった状況にあります。

そんな風に事業が苦しいとき、いくら社会性の必要な有名大企業といえども、モラルどころではなくなるのは良くある話です。


問題なのは、一見正しい顔をして報道をしていてもそれは実は一企業の意見でしかない、という当たり前の事実が知られていないことです。

マスコミと言っても実は普通の会社に過ぎないとみんなが知っていれば、彼らの発言をあまり信用せず聞き流すことができます。

ニュースの軽率な発言も、とある景気の悪い会社にいるダメ社員の軽口だと思えば、あの会社ならそんな人もいるわな、で終わります。

私はそんな程度のテレビのニュースに価値を感じることはないですし、みなさんにもそういった見方をおすすめします。




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