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底なし馬鹿

久しぶりに実家に帰ったら、親から小っ恥ずかしい昔話をされたことはないだろうか?
あれは覚えていないエピソードほど恥ずかしい。
先日そんな頬を染める体験をした。


以前の記事『カースト制よ、さようなら』でも書いたように、私は得体の知れない子どもだったし、掴み所もない子どもだった…と言えば、成人開花する神童に感じるかもしれないが、単なる、いや、単ではない、勇気を持って言うが、、底無しの馬鹿であった。


親に昔話をされて、改めて底無し馬鹿のポジションであった事を思い出す。
どんなエピソードかと言うと、私には兄がいるのだが、私の誕生日は6/2、兄が6/4て、当時6歳の私は母にこう尋ねた。

『なんで私の方が誕生日早いのにお姉ちゃんじゃないの?来年にはお姉ちゃんになる?』…と。


何の屈託もなく質問してきた私の未来に母が一抹の不安を感じたのは言うまでもない。
このメモリーを皮切りに、帰りの車中の私の頭の中は、同様エピソード(底無し馬鹿メモリー)の掘り起こし作業を始めていた。
もはや怖いもの見たさである。
私の底無し馬鹿メモリーを何点か挙げたい。


⬛︎時間が読めない
小学3年の頃だろうか、時計を習うのは。
あれが苦手であった。なぜ短針は1-12でカウントするに、長針は1-59まであるのか納得がいかず、ただただ時計を見つめるだけの子であった。
あと短針が1-2の間にある時が1時なのも、わけワカメであった。1.5時じゃないか?と疑問を抱かずにはいられなかった。『そういうもんだ!』が飲み込めない面倒臭い子どもであった。

⬛︎穴が空いてりゃ全部50円玉
これは覚えていないのだが、当時の兄の友人による桃田目撃弾によるものだ。
団地に1つある駄菓子屋で、私が駄菓子の会計をしている際、5円玉を出して50円玉だと店主に言い張っていたらしい。。『だってほら見て?穴!ほら?空いてるでしょ?』とも得意げに言っていたらしい、全く底無しで泣けてくる。


⬛︎女新撰組になる!
1人遊びが得意であった。その中でも強烈な1人遊びをご紹介しよう。
兄が修学旅行のお土産で木刀を2-3本買ってきた。内一本を貰えたのが嬉しく、また木刀を持つと何だか勇ましさが胸に宿った。木刀に『女組』と書いたら、どこか仇討ちにでも行きたくなってきた。私は『女組』と書いた木刀を「男子絶対反対!!」といいながら振りおろし、夕暮れの団地を巡回していた。ちなみに男子に恨みなど持っていなかった年頃の事だったし、男子の何が反対なのかもわからなあ内容がないデモ行進である。


⬛︎選ばれし美少女戦士のプロローグ
女の子の誰もが憧れる美少女戦士。美人な戦士は無敵であると小さな女の子たちは思っていた。
私もその1人だ。私の時代は《魔法少女ちゅうかなぱいぱい》という戦士が人気であった。
馬鹿な男性ディレクターが下心込めて作った感じのタイトルだが、私も熱狂していた。
確か音楽室のベートーベンと戦ったりしてくれる美少女戦士である。
誕生日に魔法のステッキを買ってもらった時には、ついにこの時が来たと覚悟をしていたのに、ステッキをくるくる回しても、天の声は聞こえてこない。ほら、あるじゃない?美少女戦士が誕生する際のプロローグ。
「今日から君は美少女戦士になってもらう!」的な天の声が聞こえて、クルクルと二次元でお色直しをするヤツ。あれを待っていたが、待てど待てど連絡がない。痺れを切らした私は、天の声を確実にキャッチ出来るよう1週間ばかり屋根で寝ていたことがあった。『私はここよ!戦士になる使命を私にください!準備はできてるわ。』と言わんばかりの積極的なアピールも天の声には届かず、「二度と屋根には寝るな」という使命を親からもらうだけにとどまった。

4つ挙げただけなのにめまいがする。笑
しかも思い出せば出すほど果てしなく出てくる馬鹿エピソード。
しかし底無しの馬鹿だったな。
良く生きてこれたな。


でも頭や心をギュウギュウにして物事を考えたり、他人の目ばかりを気にする今よりも、底無しの馬鹿だった桃田の幼少期は、三ツ矢サイダー並みのスカッとする爽快感を我ながら感じる。
もう40歳なり、そこまでの馬鹿ではいられないが、私の心のどこかの引き出しに、ユニークな小さな時の桃田がいるかと思うと、少しだけ自分の可能性にドキドキする。


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