日記のすすめ
長い前置き
僕は普段、はてなブログで日々の日記を書いて更新している。
その発端は、去年会社を休職していた頃である。厳密に言うと一昨年の12月くらいから仕事を休んでいて、最初の頃は何も考えずにだらだら過ごしていた。
しかしそれもすぐに飽きてしまい、さて何をしようかと考えても、やりたいことがちっとも浮かばなくて困ってしまった。元々休日は、極力何もしない主義だったのだ。
休職する以前から、はてなブログでちょくちょく文章を投稿してはいた。なのでそこに活路を見出すことに、それほど時間はかからなかった。それから日記を書いて、自分の行動を観察・記録してみようと勝手に意気込んで取り組むようになる。
復職してからは毎日書くのを一旦辞めて、書きたいときに更新するスタイルに戻した。しかしそのうち「働きながら前のように毎日書き続けることは出来るだろうか?」という考えが浮かび、去年の10月くらいから再度毎日記録するようになって現在に至る。
こんな感じで僕自身がネット上で日記を書き続けていて、「これはすごくよいツールなのでは?」と思うところが色々あったので、その考えをまとめていきたい。
日記は誰にでも書ける
そもそも日記とは、「個人が日々の出来事を記録した文書」等と定義されている。日記で書くことといえば、大体「日常の生活」が真っ先にイメージされるのではないだろうか。(実際、僕も日常生活を中心として日々書いている。)
言ってしまえば当たり前の話なのだが、日常生活を過ごしていない人はまずいない。老若男女問わず、学生も主婦も社畜もなんかよく分からないような人にも、それぞれ独自の「生活」がある。
日記とはそうした日常生活を、ただ好きなように書いていけばいいだけだ。特別な技術は何もいらない。どんなに趣味の少ない人でも楽に始められるのが「日記」だ。
今はスマホやパソコンで簡単に文章を書けるし、ブログや日記専用のアプリも色々ある。日記帳に手書きで書いていく方法もあるけれど、僕は諸々の理由から、インターネット上で日記を書いて発信することがオススメだと考えている。
日記は心の整理に役立つ
日記は日々の出来事を書くだけで十分いいんだけど、僕はなるべく、その時その時の感情もハッキリと書くようにしている。
イベントで人と話せて嬉しかったとか、飲み会で嫌な目に遭って最悪だったとか、そういう一々の感情を長すぎず分かりやすく。いいことだけでなく嫌だったことも書くように意識すると、客観的に自分の心を整理するはたらきもあると思うのだ。
ネガティブな感情さえも丁寧にまとめていると、「ああ、自分はこういう場面で傷ついていたんだな」とゆっくり考える時間が生まれて、書き終えた頃には少なからず気分が落ち着いている。そういった心や気持ちの整理を行う上でも、日記は非常に有用なものだと思う。
また、そうやって日々の感情も綴った日記は、後から読み返すのもよい。自分の心の浮き沈みがかなりよく分かるからだ。人間には、いい日もあれば悪い日もある。その波も人それぞれ違っていて、そんな中で自分の傾向が客観的に掴めるのも結構面白い。
これまで書いてきたものを読み返すことも、日記の醍醐味だと思っている。
日記は生活改善につながる
僕は日記を始めた頃はほとんど行動意欲が湧かず、「身体が一日中重かった」とか「中々布団から出られなかった」とか、物理的にしんどい状況ばかりを書いていた。
しかし段々、ずっと引きこもっているだけではつまらないなと思うようになり、近所の散歩を習慣とする等、生活の中で自分にも出来ることを少しずつ実行するようになった。それが功を奏したのか、復職が近付く頃には、その差が明確に分かるほど活動的になっていた。
気温が暖かくなった辺りから、高尾山や鋸山へハイキングに行ったり、静岡県へ1泊2日の一人旅にも出かけたりしている。せっかくの長い休みなのだから、普段やらないようなことを積極的にやりたいな、と気力が湧いてきたのだ。(僕は体力がなくすぐに疲れてしまうので、ちょくちょく何もしない日を挟みながら。)
上に書いた諸々の活動も、日記を書いていることで楽しさが増した。(ツイッターやブログとして載せるための)きれいな写真を撮れると嬉しいし、体験や感想をうまく文章として表現出来ると、すごく気持ちいい。当時の楽しかった記憶が、頭の中で甦ってくるような感覚だ。書くことで、記憶がより頭に残りやすくもなる。
そうやって意識をしながら日々行動をしていると、復職した今でも「来週はあそこに行こうかな」とか「最近動きすぎたから今週末はちょっと休むか」という風に少し先の予定をうまく立てられるようになり、生活にメリハリが生まれた。日記を書くことで、こうした改善につながったと言っても過言ではない。
日記は好きなペースで書けばいい
ブログで日記を書くにあたり、その更新頻度には様々なスタイルがある。
1日1記事として毎日更新する方法もあれば、何日かまとめて書き、ひとつの記事として更新する方法もある。ネットで人の日記を読んでいるといろんなパターンを見かけるけれど、そのどれかひとつに固執する必要は全くない。自分に合うペースで書いていけばいいのだ。
感覚が掴めない人は、とりあえず1週間ごとにまとめて更新するのが最もやりやすいだろう。週末にゆっくり文章を整理するような感じで。ちなみに僕は、文字数のボリュームから考えて、現在はひとつの記事に5~6日分の日記をまとめている。
ついでに言うと、無理に毎日書く必要だって一切ない。別に仕事でやっている訳ではないのだから、多少日が空いたり更新頻度が減ってしまっても、誰にも責められないし問題ない。僕は過去に書いた自分の日記を、時々読み返すのも面白いからずっと書き続けているのだけど。
日記は人に読んでもらおう
ここがある意味最も重要なポイントで、僕が今でも日記を継続出来ている大きな理由になっている。
ブログを書いてアップすると、当然別の誰かに読まれることになる。僕は本格的に日記を書く前からはてなブログをやっており、更新した際はツイッターに告知として呟いていた(そうしてネット上の知り合いにぽつぽつと読まれていた)。
日記もブログのように人から読まれていれば、それが三日坊主とならずに継続していける可能性がグッと上がる。実は過去にも手書きの日記を書いていたり細々とブログを書こうとしていた時期があったのだけど、どれも長続きせずにすぐ辞めてしまった。
今でもはてなブログが続けられているのは、「誰かに読まれている」といういい意味でのプレッシャーがあるからだと思う。僕の場合、実際はそこまでたくさんの人にブログを読まれている訳ではないけれど、いいねやスターをもらうと純粋に嬉しいし、「書いてよかった。これからもやっていこう」とモチベーションの向上にもなっている。
あと、他人に日記を読まれていることを意識すると、文章の書き方にも自然と注意が向くようになる。読みづらい文になっていないかとか、人を傷つけかねない表現が入っていないか、とか。
同じことを書き続けてもつまらないなと考えるようになったのも、ブログを人に読んでもらっていたからだ。自分の生活記録なんだしそこは自由でいいだろとも思うけど、せっかく暇つぶしとして読んでもらっているのだから、出来るだけ緩急を見せつつ楽しめる文章にしたい。
こんな風に、日記を人に読んでもらえると案外プラスになる効果が多い。読まれると恥ずかしい部分もあるかもしれないけど、案外そういうエピソードがよいネタになったりするし、悩みを書くと人から共感してもらえることもあるかもしれない。書いた日記はなるべく外部に発信してみよう。
日記は最強のアウトプット
日記は主に日常生活のことを書き綴るものである。そして、その日常生活のパターンは、誰一人として全く同じものはない。
人は自分の環境や癖や経験、好き嫌いや将来の目標など、それぞれいろんな要因をもって行動している。それらの行動が積み重なった「日常生活」は、その人独自のものだし、その人の個性と言っても過言ではないと思うのだ。
日記は、そうした各々の「個性」を表現する、手軽で最強のアウトプットなのかもしれない。僕自身が日記を書きながらそう感じるようになって、いつかこの考えをまとめてみたいと思っていた。
長い文章にお付き合いいただきありがとうございました。趣味とかやりたいことがなくて困っている人は、とりあえず日記を書くことから始めてみてはいかがでしょうか。
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