夫がくも膜下出血で倒れた話⑦
※こちらのマガジンに、これまでのことをまとめています。
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夫の状況の深刻さと自分の弱さに耐えかねて、そこからしばらく、会いに行くのをやめた。
ICUのスタッフさんは毎日忙しくされているだろうに皆さん親切で、いつも詳細に状況を伝えてくれ、夫に電話を取り次いでくれた。
お義父さんや夫の妹も時々ICUに電話をかけ、情報交換をした。
それらの情報を接ぎ合わせると、
・私が会いに行った日の翌日からしばらく39度台の発熱
・ほどなく食事を摂り始めた
(当初は、おかゆがおいしい…と電話で繰り返し話してたな…弱ってるときはほんとにおいしいよね)
・ベッドから車いすに乗せてもらい、気分転換も
・食事が進み始めてからは、こぼしながらも自分で食べようとしている
・足を組む、立ってみる、など、身体を動かすリハビリ的なことをするようにも
という状況だった。
(が、後から聞いた話、この期間が一番しんどかったという。ごめんね…)
夫に会いに行かない期間は、「お母さんハック」の追求ともいうべき生活をしていた。
恥ずかしながら、夫が倒れるまでは、育児も家事も中心になってやっていたのは、夫だった。
3月までの勤務形態とか、それまでの試行錯誤とか、当事者である私たちの話し合いや暗黙の了解とか、いろいろないきさつでその形に落ち着いていた。
(言い訳がましく聞こえると思うが、4月から働き方も変わったし、このままだとちょっとな…と私自身も納得がいかない感じだったので、そろそろ形を変えて、巻き取れるものは巻き取っていきたいな…と思っていた矢先に夫は倒れた)
そんなわけで、子ども2人を同時にお風呂に入れるなんてことも皆無だったし、朝誰より早起きして夜誰より遅く寝るなど、無縁だったのだ。
そんな生活が、突然始まった。
しかも、夫はいつ戻ってこれるか、どこまで回復できるのかもわからない。
更に、時は緊急事態宣言下。
子どもは新小学1年生だが入学延期中(学童通いは開始)、私は4月から個人事業を始めたばかり。
とりあえず、私がつぶれたら詰む。
とにかく、なるべく自分をすり減らさず、なんとか日々を回していくことが最優先事項だ…と思い、各種調整をはかりながら、なんとか生き延びようと決めた。
◆仕事のこと
4月から、「おかたづけのプロ」として開業していた私。
緊急事態宣言もあって、実際にお客様宅に伺ってのおかたづけなどはできていなかった(そもそもまず、お客様さえいなかった)。
そんなわけで4月は、オンラインで、将来的にお届けしたいメニューのためにモニターさんをお願いしてセッションなどを行っていた。
楽しいけれど、課題だらけで頭を抱える日々だった。
「今はこういうことはできないな…」と判断し、おかたづけ方面の活動は完全にストップした。
とはいえ、何もしないのが怖かった私は、4月末に仲間内でのスキルシェア(おかたづけは全く関係ないが、オンラインデザインツールCanvaの使い方)をコンテンツとして構築し、これを提供した。
巣ごもり期間も手伝ってかニーズも多く、なかなか好評いただき、想定外にも、夫の入院中はひたすら「Canvaの人」として活動していた。
◆家のこと
家事は夫にお任せしていたとはいえ、できないわけではない。
本当に一応だが、一応、一通りできる。
ので、新しく始めたことなどはないのだが、手を抜けるところはとにかく手を抜いた。
例えば、洗濯物はもはや畳まず定位置につっこんだ。
朝弱すぎるので、学童にもたせるお弁当を毎日作るのはハードル高かったが、冷凍食品様に頼ったりしてとにかく乗り切った。
卵焼きが冷凍できるのは、超有益情報だった。
◆育児のこと
育児というのもおこがましい。
私は生まれてこのかた、「子どもを育てている」という実感をなかなか持てないでいる。
というのが、私も子どもみたいなものだから。
三兄弟のような関係性は夫の入院中も変わらず、一緒に笑ったり喧嘩したり暴君のようにキレたりしながら過ごした。
◆自分ひとりで抱えきれないタスクのこと
そんなこんなでなんとかやっていこうとしていたが、当然ひとりではうまくいかず、実際は助けてくれる人がたくさんいたから詰まずに済んだところは大きい。
例えば、土日は結構な頻度で、夫の実家に子どもをお願いしたりした。
その際、
「娘の保育園時代の写真の注文の期限が迫ってきているけど、とてもあの膨大な枚数から娘のいい感じの写真を見繕う余裕ないわ…」
と感じたら、子どもたちとともに、写真の注文票と閲覧用URLを一緒に夫の妹に託したりした。
多分大変な作業だったと思うが、普段なかなかない保育園の様子を見ていただける機会にもなったし、お義母さんと夫の妹の分も、気に入った写真は一緒に購入したりしてくれていた。
お義父さんは、我が家の荒れ果てた庭の手入れをよくこっそりしてくださっていたし、車の運転が苦手な私の代わりに病院に荷物を運んでくださった。
また、おかたづけのプロなら、ともすれば、
「いつだって部屋がきれいに違いない」とか、
「魔法のような速さでおかたづけできるに違いない」とか、
思われるかもしれないが、私はそこまで達観していないし、そもそもおかたづけのプロだって生活者だし人間である。
まして、このときは生活の変化が激しく、自分や子どもたちの心を支えながら生きていくことにいっぱいいっぱいで、かたづけなんてやる余裕はなかった。
そしてその一方で、普段なら子どものおもちゃがまき散らされていても全然気にならないのに、この光景がものすごくストレスで、頭や心がかき乱されるような感覚もあった。
なので、信頼できるおかたづけのプロにお願いし、一緒に家をかたづけもらった。
◆心のこと
好きでできることだけをやったり、いろいろ手を抜いたり、無理しなかったり、人に頼ったり…それでも、しんどいものはしんどかった。
食欲はがっくり落ちていたし、でもチョコレートを馬鹿みたいに食べていた。
睡眠時間も減っていたし、一日中動いたり考えたりしているようで、たぶん平時に比べてパフォーマンスはがた落ちだったと思う。
そのことを否定せず、認めるようにした。
私は今しんどい、食欲落ちてる、チョコレート増えてる、睡眠時間短い、一日中動いて考えてる、パフォーマンスは下がってる…
一方、仕事や、病院や保険会社とのやり取りや、夫の関係先との情報交換に、粛々と取り組める自分もいた。
しんどさを認められていたからだと思う。
認めて、それとこれとを「わけて」いたからだと思う。
これは長くなりそうなので、また別の機会に書きたい。
※上記までの引用ツイートは、この期間と時期が前後するものもありますが、まあだいたいこんな感じで生活していたということでご理解いただければ…m(__)m
…と、そうこうしているうちに、5月14日。
いつものように病院に連絡を入れ、夫と話をしていると、
「スマホを持つ許可が下りていて、まだ怖いなと思っていたけど、もう自分も持てる気がしてきた。持ってきてほしい」と依頼があった。
緊急入院時、夫の指輪とスマホは持って帰ってきていた。
夫が入院しているとも知らずに時々ブーッと音を立てるスマホが、私は疎ましくて仕方なかったし、手元に置いておくのがしんどかった。
すぐに手を動かして自由に連絡を取ることは難しいだろうが、夫がひとつ、前を向き始めていることがわかったのが嬉しかった。
スマホを届けた翌日、夫はICUから一般病棟に移ることとなった。
⑧に続く。
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