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夫がくも膜下出血で倒れた話⑥

※こちらのマガジンに、これまでのことをまとめています。

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病状説明の翌日、荷物を運びにICUへ。
(緊急事態宣言下で本来は面会謝絶なのだが、状況も状況だったのもあってか短い時間だけならと、会うことを黙認されていた。)

この日私が持って行ったのは、
夫に頼まれていた「音の鳴るもの」(ナースコールが押せないので、鈴などを…と言われていた)、唇が荒れるからとリップクリーム、そして、娘が夫あてに描いてくれた、お見舞いの絵。

病室に入ると、昨日よりぐったりしている夫。
大きな身体はこわばり、表情も険しい。
入院前に切りそびれた髪、伸び放題のヒゲが、一層そう感じさせたのかもしれないが、明らかに、それだけではない何かを感じた。

発症・入院から4日目。
主治医の話していた血管攣縮が起こる時期だ。
身体が動かなくなっていくという話をしていた。

努めて明るく、
「音の鳴るもの、持ってきたよ。
 アンパンマンのマラカスとタンバリン、どっちのがいいかな。
 看護師さんに許可もらって、届きやすいところにぶら下げようか」
と尋ねるも、夫は拒否。
というのも、腕を左右に振るような動作のコントロールが効かなくなっているという。
左手には、ナースコールがぐるぐる巻きにしてもらい、これを右手となんとか重ねて押しているという。

ベッドの左側に身体を向けたいというが、それも自分一人ではできない。
「後ろから押して」と頼まれ、後ろ側に回った。

背中をぐいと持ち上げ、腰を支え、右足を持ち上げ、左足の前に置き直す…

そんなこと、とてもできない。
細身とはいえ、背が高く、大きな夫を、私の力では全く動かせなかった。

…あれ、私、つい昨日まで、
「身体が動かなくなっても替わりに私が…」なんて思ってなかったっけ。
もし夫が動けなくなったら、今のようなことの繰り返しのはず。
私、何もできないじゃないか。

更に、いつもは口調も優しく気遣いに溢れた夫が、
「水…」
「リップクリーム」
「もう少し水」
「身体倒れてきた…もう少し押して」
と、言葉少なに立て続けにリクエストをしてくる。

場違いだが、出産時の自分を重ねた。
「水…」
「腰さすって…違うそこじゃない」
「もう少し水」
「トイレ行きたい起こして」
痛くて辛くて、その一晩が永遠に続く気がして、ずっと付き添いしてくれている夫に対する気遣いなんて一切わいてこなかった。

でも、この痛みは一晩のことだったし、その先に我が子との対面を控えているという前提だから頑張れた。
一方、夫はこの長いトンネルを、いつ脱却するのか、そもそも脱却するのかも、わからない。

「あーちゃん(娘)が、絵を描いてくれたよ。かわいい女の子の絵とね、家族みんなでピクニックしてる絵だよ」

夫の入院後、娘はいつもどおり過ごしてはいた。
夫の様子も、深刻にならない程度にかみ砕いて私から娘に伝えていた。
「パパ、今はお手紙読んだりするのは難しいかもしれないけど、絵なら見られるかもね。」
などと遠回しに促してみていたが、かたくなに描こうとしなかった娘が、7日の夕方、鉛筆を手に取った。
描かれたのは、私から言われて仕方なく描いたようなものでなく、娘の頭の中にある、いつか叶えたい、けれどリアルなシーンだったと思う。

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(夫のTwitterヘッダーより拝借したので、トリミングされて細長画像…)

夫は、少し喜んだ様子を見せた。
少ししか嬉しくなかったのではなく、少ししか喜ぶ余裕がなかったんだと思う。
(実際、この後もう少し元気になった後の夫は、この絵にものすごく励まされていた。今でもTwitterヘッダーにしているぐらいだから。)

夫は、精神的にも参っていた
「次はいつ来る?できるだけ会いたい。病院の人にもそう言ってる」
弱り切っていた。

「コロナやけんね。本当はなかなか会えないらしいんよ。
 次がいつになるかわからんけど、毎日とにかくICUに電話いれるからね」
そう言って、私は病室を後にした。

昨日までできていたことが、今日にはできなくなっている。
いつまで続くかわからない痛みに常時襲われながら、どんどん身体が動かなくなっていく。
この時の夫の不安、恐怖を、私はいくら想像してもしきれない。

安易に、「私が動けばいい」なんて楽観的に考えていた自分が恥ずかしくなった。
身体的にも、精神的にも、私は「動けなくなる夫」を支える力を蓄えていないと感じた。

家に帰り、夫の妹や義母とのやり取り。
夫の様子を伝えると、義実家内でも、夫に会いに行くべきか否かといった話で意見がわれたようで、私の意見を求められたりもした。
でも、何も言えなかった。
私にも「正解」はわからないし、まして、何の力もない、夫にぶらさがってばかりだった私に、そんなことを言う資格はないと感じたからだ。

糸が切れたようにこの日は泣いた。
動けなくなり、保育園のお迎えなどは実家の母を頼った。

この日からしばらく、私は夫に会いに行けなかった。
行ったところで、私は夫に何もできない。
行ったところで、私自身を傷つけるだけ。

コロナによる面会謝絶や、子どもたちのケアという大義の後ろに自分の情けなさを隠し、その後数日、私は母業にいそしむ日々を過ごした。


⑦に続く。


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