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死にがいを求めて生きているの

 読書感想文、と言うほどでもないが、この頃読んだ本をnoteに記録として付けることが習慣化されてきたこともあり、これが楽しくなっている。

 いいねが付くと嬉しいし、また頑張って少しでも自分の言葉で書こうと思えることがよくある。決して評価されるためにはじめたわけではないこの読書感想文を書き続けるという記事も与志樹の同級生の言う「手段と目的が逆転している」という言葉に刺さるものがないといえば嘘になってしまうかもしれない。


 今回読んだこの作品は、植物状態になってしまった幼馴染の智也を見守る雄介。そんな二人の過去を様々な登場人物の視点から描いている作品となっている。語り手が複数いることで様々な視点からの主人公たちが見れるようになっており、その分だけ解像度が高く描かれている。

 六人の視点で描かれているにもかかわらず、語り手それぞれに思わず自分の中にも理解できてしまう、同じような考え、言動をしたことがあるなと感じる。変わり者だね、と言われた学生時代だったが、それはある意味であなたは周囲とはズレているよ。と評価をされていたのかもしれない。

 

 一番読んでいて苦しさを覚えたのが彼らが大学生以降の話であり、安藤与志樹の視点で描かれるそれは、自分は「自分ではない何か」になれるのではないだろうか、と考えてしまう自分の過去のページを何度もなぞるように触れられているような気持ちになったりもした。


 巻末の著者のインタビューに平成という時代について述べられている。「ナンバーワンよりオンリーワン」、わかりやすい対立はなくなったが、見えなくなっただけで存在しなくなったわけではない。目に見える順位がなくなったことにより、自分の順位を自分で評価しなくてはならない。ありのままでいい、と言われること自体に周囲との差異を自覚させられる。


 自分が周りと違う、ということをアイデンティティだと思っている時期もあったが、今はどちらかというと自分が周りと違うことに対して焦りや恐れを感じている。同級生のSNSが更新されるたびに、更新しようと思った投稿の下書きを消すこともあった。わたしもまた、平成に生まれた平成育ちの普遍的な人間なんだなと思う。

 わたしの死にがいはなんなんだろう 


 今回この本を読むきっかけとなったのは好きな文学系Youtuberの方が螺旋プロジェクトの話を動画でされていたからなんだけど、その動画も貼っておきます。紹介されている順番で読もうかな、と思っているのでまた読むぞ~

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