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アーカイブするモノと、場所と、それから記憶

エッセイマガジン傘はどこかに置いてきた
事実に基づいたフィクションみたいなノンフィクションを書きたいと思って、「自分語りエッセイ」をはじめました。
詳しくはこちら→「エッセイnote、はじめました」


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引っ越し前の断捨離で、靴を捨てた。茶色いスウェードの、気張ってはないけど少し洒落た、ジャケットなんかに合わせられそうな靴。そんなにたくさん履いた覚えはないのに、踵の内側の皮がべろべろとめくれていて、買ってからの時間の長さを感じた。

この靴をみる度に思い出す人がいた。大阪の保険会社に勤めていた2つ上の人。

大学3年生の時に親が僕に生命保険をかけたのだけど、あれはなかなか大変で契約に僕の自署が必要だった。当面実家に帰る予定もなかったから、担当だった彼女が僕が住む街まで夜行バスでやってきたのだった。

夏の日の朝だった。駅前のミスタードーナツで保険の説明を受け、サインをする。その合間に世間話もいろいろとした。彼女、なんだか緊張している様子だったから。

後から知ったのだけど、その春に新卒で入社して最初に契約したのがうちだったらしい。

緊張がほぐれてくると気さくで話しやすくて、僕と同じ関西弁で話すことも相まってすぐに仲良くなった。そして年末に帰省した時には、連絡して食事にも出かけた。なんだか気の合う姉ができたみたいで、一緒にいて安心感のある人だった。二人で暮らすお母さんの話をする優しい表情も印象的だった。

この靴はその日、食事を終えた後にすぐ別れるのが惜しくて「買い物に付き合ってくれませんか?」といってショッピングモールをぶらつき、そこで選んでもらったものだった。

この靴が似合う服はあんまり持っていなかったけれど、「いいね、きっと似合うよ」という年上で社会人の彼女に少し並びたくって、背伸びした。


結局恋しくなって、その冬にもう一度食事に出かけて、

それから、その数か月後に連絡がつかなくなった。LINEに既読がつくことはなかった。

保険のことでその後も何度か会ったという親に何気なしに訊いてみたら、「詳しくはわからないけど、会社やめちゃったみたい」と。LINE以外は、最初に会った時もらった名刺にある、会社のメールアドレスと電話番号しか知らなかった。


もう会うことはないだろうな。と思いつつも、履いているところを見せられなかったこの靴を目にするたびに、顔と名前を思い出す。

でも、声はいつの間にか忘れてしまった。

そしてこの靴を手放してしまえば、あの人を思い出すこともなくなるんだろうな。でも、それできっといいんだろう。そう思って、踵の内側の革がめくれた靴にさよならを伝えた。


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6年住んだ部屋を退去する日、がらんとなった空間を見て気がついた。この街に戻ることはあっても、この部屋に帰ることはおそらくもうない。


ここで一緒に過ごした人との記憶を、僕はどこまで持っていけるんだろうか。この世の中だから、住む場所を変えても連絡はつくし、思い出や近況を語り合うこともそう難しくはない。

でも人付き合いは難しくて、

この部屋で笑いあったり、夜を明かしたりした人であっても、
もう会うことも連絡をとることもできない人や、僕自身が「もう会うことはない」と心に決めた人がいる。


もし仮に、あの人がこの街に来ることがあって、ふいにこの部屋でのことを思い出したとしても、もう僕はそこにはいない。

そして、僕が今どこで暮らしているかを伝える術だって、もうひとつもない。


***


モノや場所と記憶は結びついているものだ。

面倒なもので、それを手放すことで記憶ごと手放したいこともあれば、それがどうしようもなく寂しいときもある。

ケースバイケースだなんて、我ながらわがままだと思う。


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そういえば最近、Gmailの使い方を変えた。

受信ボックスに入っているメールに返信したりして処理を終えたら、「アーカイブ」するようにしている。

「アーカイブ」は英語で、記録保管所とか保存記録という意味だ。「アーカイブする」というのは、それを記録保管所にしまうこと。

アーカイブされたメールは受信ボックスからは見えなくなるが、「すべてのメール」をクリックすると参照できる。僕の受信ボックスは現在進行中の用件だけになり、やけにすっきりした。



モノや場所と紐づいた記憶も、アーカイブされていくのかもしれない。

モノを手放して、場所を離れて、さよならを告げても、記憶がそれですっかり「削除」されてしまうことはそうそうないように思う。次の場所へ思い出を全部持っていくと重いけれど、だからといってすべて捨てることもない。


「アーカイブ」という言葉には、大事な記録を保存・活用し、未来に伝達するという意味を含む場合もあるらしい。

いつか来る未来のその時まで、大事にしまっておけばいい。


***


もう会わないと、自分から告げた人がいる。

気づけば、この春で彼女は社会人2年目になる。彼女が僕に教えてくれた写真は、あの頃に比べたらずいぶん上手になった。

そんな話はもうできないけれど、

まだカメラを構えるのに不慣れな僕が撮った写真を一緒に覗き込んだ、柔らかい色をした記憶には別れを告げて、

この先来ることはない未来を思いながら、アーカイブしておこうと思う。


さようなら。どうかお元気で。

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