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息子と折り紙と私

息子(6)が折り紙にはまっている。

これで何度目だろうか、忘れたころに訪れる折り紙ブーム。紙飛行機ブームを含めるとけっこうなサイクルで折り紙大量消費時期がやってきている気がする。

しかし今回は今までのブームとは一線を画す。難易度がめちゃめちゃ上がっているのである。保育所で出会った「伝承折り紙」という渋い折り紙本を見ながら百合の花を折ったと持ち帰ってきたのが事の始まりであった。彼は難易度の高い折り紙本を所望し(もはや我が家にある「4・5・6歳のおりがみ」では満足できなくなってしまったのだ…)、とりあえず我々はそれに応えるべく「伝承折り紙」の3と4をポチった。

そこまではよかった。なんとか対応できた。しかし本当の地獄はここからだった。動物と昆虫の難しめの折り紙本を買ったあたりから、難易度が急激に上がって困っているのである。

私は折り紙が得意でもないし、子供のころにめっちゃ折ったという経験もない。単純に息子が熱心に折り紙を折り、説明文をろくに読まずに記号と図形を頼りに折り進め、どんどん折り方をマスターしていく姿を素直にすごいなと思う。多分手先もより器用になるだろうし、図形も強くなれるかもしれない。成長・発達においてもよい影響を及ぼすのだろう、知らんけど。

折り紙に限らず、本人が興味を持ったものは「いいぞ、もっとやれ」のスタンスで応援・サポートしていく所存であるが、今回の難易度の高い折り紙については思うところがたくさんある。もしかしてこれは親子のかかわり方や部下や後輩への指導につながる、考えるヒントになるのではと思ったので、まとめてみる。

私が息子の難易度の高い折り紙ブームで困っていること(私自身がイラつくポイント)を列挙する。

1)わからない箇所でイラつかれて困る。→イラつきアピールされたときには、基本スルーするようにしているが、近くでめちゃくちゃイラついている人がいるという状況は気分がいいものではない。

2)突然難所で呼び出されても困る。→1)よりは前向きなアプローチととらえているが、私は折り紙マスターではないので、(むしろ私よりめきめき成長中の息子がわからない箇所で)助けを求められても正直困る。困惑するし、解決法は持ち合わせていない。

2)の発展形①助けを求められたので一緒に考えるが、意味わからなくてこっちも一緒にイラつく→スキル不足、大人気のなさによるものだ。急に呼ばれているので、できればさくっと解決して戻りたいが、そううまくいかない間に、自分自身がキレてしまうパターン。

2)の発展形②助けを求められたので一緒に考えていたのに、当の本人が戦意喪失してよそ見をするなどやる気が感じられず、イラっとする→そこですっと引けばいいのだろうが、心情的にスルーしかねることもある…。大人気ないシリーズである。

2)の発展形③助けを求められたので一緒に折っていたら、息子に奪い返される/やいやい言ってくるので、こっちも考えているのに…!とイラっとする→奪い返されたとしても、本人が解決の糸口を見つけたのであればそれはよしとできるが、こっちが一生懸命なんとかしようとしているのに邪魔されるとイラっとしてしまう。(邪魔するつもりでないことはわかっている、それでも考えているところを中断されることの不快さといったら!)

だいたい以上である。毎回イライラしているわけではなく、うまく対処できることもある。

例えば、困っている箇所の前後について本人に説明させ、あくまで私は手を出さずに、フラットな質問を投げかけて、本人による解決をサポートする、コーチング的な対応ができる時もある。(これがうまくいくと息子も私も気分が良い。ただし、成功には条件があると感じていて、双方のコンディションと躓きのレベルなど、いい条件がそろわないと今の私の力量ではなかなか再現性がない。あるいは、私自身が追いかける形で同じ折り紙に挑戦し、先を行く息子に教えを乞う形で折図を見直していき、難所に差し掛かったところで私も手元の折り紙で試行錯誤→うまくいくパターンもある。

さておき。

そもそもなぜイライラしてしまうかを考えた。イラつく原因は私自身の問題(思い込みとか)があるだろうということで考えた。

→イラつくのを周りにまき散らさないでほしい/自分自身が問題を解けないのが悔しい/人に頼んだなら誠意をもって臨むべきだろ/せっかく一生懸命考えているのに邪魔するな。

この原因からは複数の気づきがあった。まず、これって息子が私にも持ち得るイラつきではないか…(特に一つ目と最後)という点。私自身機嫌が悪い・体調が悪い時は常に笑顔とか無理だし、息子が考えているときにうっかり邪魔していること無いかな、と書き出して思った。最後の「こっちが一生懸命やっているのに、横からやいやいうるさい/手を出してくる」という状況は、折り紙で助けを求められてやってきた私がやりかねないパターンである。

さらに、「職場で自分が得意でない仕事について質問された場合」にも応用できそうである。自分自身に理解・解決できないことがイラつきの原因になっていたら相当まずい先輩である。そりゃもちろん助けたいし理解したいし解決してあげたい、しかし、私に求められているのは「私が解決する」ことではなく、本来のゴールは「当人が解決する」ことである。私に理解できないままであっても、問題が解決すればオッケーな場合もあるはずだ。コーチングをする人は、その分野の専門家である必要はないというが、私自身(の特に感情)をいったん置いて、最終ゴールに照準を合わせるという力をつけないと社会人としてまずいな…と思った。(もちろん、職場での私と息子に対する家での私は前提が違うが、そういう芽を持っているんだなというのは価値ある気づきだと思う。)

ここまでの気づきを踏まえて、私は息子へのサポートの際、「いちいち確認する」ことを徹底しようとしている。

「はい!ちょっと折り紙触ってもいいですか?」

「はーい!気になったこと言ってもいいですか?」

あくまで、主となるべきは息子。私は頼まれてサポートするだけなので、その許可を得てから行動するというスタンスである。

実はこれは「自律する子の育て方」という本を最近読んだ影響でもある。この本では「3つの言葉がけ」(どうしたの?どうしたいの?先生にできることはある?)が紹介されており、「どんな支援を受けるのか、もしくはそもそも手助けを受けないかを判断するのは子供です」という一文がある。息子が助けを求めたので私は参加しているわけだけど、どんな助けが欲しいのかは確認したほうがいいんだなという気づきになった。

実際にこうして確認すると、息子から(渋々のケースもあるが)渦中の折り紙に触る許可を得られたり、「もう少し自分でやる」という意思表示を受け取れたり、本人の納得がぐっとアップする気がする。最悪の場合、私自身がわからな過ぎてイラっとする2)の①になってしまうケースもあるが、この対応方法は折り紙以外にもどんどん実践していきたいなと思っている。

ちなみに、この折り紙にまつわる話を少し夫にしたら

「そもそも、助けを求められたら助けたいと思うんだね」

と言われた。いやそりゃそうでしょ、と思ったが、それすらも私の思い込みだったようだ。お手上げっていう対応もあるでしょ、というのが夫の意見だった。自分だけで選択肢を挙げると偏るんだなという気づきもおまけとして記して、いったん今日はここまでにする。

息子と折り紙と私のあれこれはこれからも続きそうである。

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