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私とゴッホ

 私にとって、因縁深い画家は、卒業論文で取り上げたティントレットよりも、修士で扱ったカラヴァッジョよりも、ゴッホであると言えるのではないか。

 数えて見たら、大学の授業で出されたレポートも含めれば、6回は書いている。

 今日はその歴史をば。


①大学でのレポート

「ゴッホ展を見に行ってレポートを書く。その際に、『ゴッホはリアリストだったか?』―――自分なりの見解も組み込んで」

 ゴッホについて、転職を繰り返していた過去は知っていたが、画家を目指した当初、どんな絵を描いていたかまでは知らなかった学部2年の時。

 ここで、初めて<じゃがいもを食べる人々>(下)を見て、後の画風とのギャップにびっくりした思い出。

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…こんな感じの絵本の挿絵を描く人、いなかったっけか?


②バイトで書いた記事「ゴッホ<自画像>について」

 就職活動がうまく行かなかった頃、バイトのような形で、一本だけ書いた記事。

 留学中、パリに遊びに行った時、オルセーで出会った、<青い渦巻の自画像>について。

 この絵で注目したのは、下唇の傷。

「切れてる…」

 と気づいた瞬間、背景の渦巻が、生暖かい空気を発しながら動き始め、こちらを睨みつける目に生気が戻った気がした。

「ゴッホの絵は、彼の魂の一部をパレットナイフで掬い取って塗りこめてあるのではないか…」

 そう思うようになった原点の一枚。

 もしかしたら、彼との因縁はここから本格的に始まったのかもしれない。

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③ひまわりに託した物。ゴッホとゴーギャン、エミール・ノルデ。(BITECHO(web版美術手帖の前身))

 ②から数年後、ライターとしてデビューし、5本目に書いた記事。

「ゴッホとゴーギャン展」、そして「デトロイト美術館展」が上野に来ていて、

「こりゃあ、ゴッホについて書かずにはおけないだろ」

 しかし、

「何について書くかな…」

 となかなか決められないまま、とりあえず上野へ。

 しかし、前者は、ちょうど休館日で行けず、仕方なく先にデトロイト展へ。

 そこで、ノルデの<ヒマワリ>と巡り合う。

 ノルデは、名前だけなら以前にちらっと聞いた事はあったが、当時はあまり興味を持たなかった。

 ゴッホの故国オランダの近く、ドイツの北部に生まれ、ゴッホに強いシンパシーを感じていた、というノルデ。

 しかし、この暗さはなんとしたこと?

 じっと見つめずにはおられず、そこから離れてからは、頭の中で「何を記事として書くべきか」が立ち上がり始めていた。

 ゴッホの<ヒマワリ>について最初に調べたのもこの時。

 原稿を書き上げるまでの間、ソテーしたヒマワリが三輪、皿に乗せられて出される夢を、時々見ていた。

④ゴッホが愛される秘密を「モチーフ」から読み解く。農民・花、そしてあの有名な糸杉まで(和楽Web)

https://intojapanwaraku.com/jpart/48241/

「そうだ、僕は絵に命を懸けた。そのために半ば正気でなくなっている。それもいいだろう」

 2019年に開催されたゴッホ展―――そのテーマは、記事中でも引用しているゴッホのこの言葉に集約されるのではないか。

 実際、書いている間は、農夫、花、糸杉―――と、目の前にあるモチーフと四つに組み合うゴッホのイメージが、ずっと頭の中にあった。

 特に印象的だったのが、巨大な黒い炎の柱のようだった<糸杉>。

 描く事は、まさに彼にとっては生きている証。

 それが、私が彼のことが気になってしまう理由でもあるだろうか。


⑤世界初来日!お宝作品だらけのロンドン・ナショナル・ギャラリー展を楽しもう

http://girlsartalk.com/feature/31529.html

 待ちに待ったナショナル・ギャラリー展。

「みんなと同じことをするのは嫌」

と、当初は、ゴッホの<ヒマワリ>は外す案で行きたい、と思っていた。

 しかし、実際に見に行って思った。

「これ外したらダメじゃん」

「<ヒマワリ>を描かずして、何を描くというのか」(笑)

 教訓;企画案を立てる時は、ニーズを大切に。読者目線で考えましょう。


⑥ゴッホの《ひまわり》はなぜ名作と呼ばれるのか? ゴーギャンとの出会いがもたらしたもの(Web版美術手帖)

https://bijutsutecho.com/magazine/insight/22400

 

 掘れば掘るほど、面白いエピソードが出て来て止まらなかった。

 特に、ゴーギャンとの出会いのきっかけにも、<ヒマワリ>の絵が関わっている、ということ。

 別れた後も、ゴーギャンが<ヒマワリ>に未練たらたらだったこと。

 彼の要望に応えるために、3枚のヒマワリが追加で描かれたこと。

 

 書いている間、私はゴッホだった。

 「理想郷の建設」の夢に燃えて、ヒマワリの背景をムラなく丁寧に塗り重ね、チューブからひねり出した絵の具を掬い取っては、キャンヴァスに塗り付けた。

 ゴーギャンが、「あの<ヒマワリ>をくれ」と言えば、彼のために筆を執りもした。そして、描いているうちに、段々と胸のあたりが冷えてきた。

「こんなことをして何になるのか」と。

 もう以前の、あの黄色尽くしのヒマワリと同じ絵は描けない、という事実に気づいてしまった。

 出来る限り、それを文字に置き換えて書くようにしたが、どれだけ伝えられただろうか?

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