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肖像画と女心~私の自慢(前編)①エリザベス1世の場合~「手」

たとえ自分が死んだ後も、肖像画や写真は残り続ける。
だからこそ、肖像画を描かせる時、お気に入りの服を着たり、あるいはポーズを工夫したりして、とっておきの自分の姿を演出したい、というのは自然なことと言えよう。
そして、そこにどんなこだわりや工夫があるのかを分析することで、モデルがどんな人物だったのかを垣間見られるのは、肖像画の楽しみ方の一つでもある。
今回は三人の女性の肖像画を題材に、彼女たちの「こだわり」、特に自身の「チャームポイント」とそれを見せるための工夫ぶりを見てみよう。

①エリザベス1世の場合


作者不明<エリザベス1世>、1575年頃、ナショナル・ポートレート・ギャラリー

エリザベス一世と言えば、16世紀のイングランドを繁栄に導いた偉大な名君として名高い。
しかし、その人生は決して平坦なものではなかった。
2歳で母が処刑され、自身も婚外子の身分に落とされた。
異母姉メアリー1世の治世には、反乱に加担した容疑をかけられ、約2ヵ月間、ロンドン塔に収監されたこともあった。
25歳で即位後も、宗教問題や自身の結婚など、問題は山積みで、暗殺未遂も何度も起きた。
特に、「罪人の子」であること、庶子だったという事実は、他国からの攻撃材料になったし、エリザベス自身にとっても拭いがたいコンプレックスだった。
そんな自身の地位を確立するため、エリザベス一世が取った方策は、肖像画を利用したイメージ戦略だった。
厳しい検閲をパスした、数十枚もの肖像画を用いて、女神のように永遠に若く美しい「処女王(ヴァージン・クイーン)」としての自身のイメージを作り上げ、国民に広め、その支持を獲得、保持しようとしたのである。
皺のないのっぺりした白塗りの顔からは、ほとんど人間らしい感情や内面が読み取れず、アンドロイドのようにも見える。
が、そんな中にも、実はエリザベス自身のこだわりが垣間見える箇所がある。
「手」である。

作者不明<アルマダ・ポートレート>、1588年頃、ウォバーン・アビー

王侯貴族にとって、白い手は、ステータスシンボルだった。
白く柔らかい、すべすべした手は、それだけで、自分たちが下層階級のように額に汗して働く必要はない立場である事を証明してくれた。
だからこそ、手袋を使って、日焼けや手荒れを防いでいたのである。
王女として生まれたエリザベスも例外ではなかった。彼女は自分の長くほっそりした指が自慢で、下の13歳の時に描かれた肖像画でも、指が目立つよう、本の持ち方を工夫している。

ウィリアム・スクロッツ<王女時代のエリザベス>、1546~7年、ウィンザー城

また、こちらの〈篩を持つ女王〉は、50歳頃に描かれたものだが、「純潔」を象徴する篩を2本の指でそっとつまむように持っている。その仕草は、東洋の菩薩像に近いものがあるかもしれない。

クエンティン・マサイス<篩を持つエリザベス1世>、1583年、シエナ国立美術館

肖像画の制作にあたって、エリザベスは、自身の顔に影ができないよう、しばしばアトリエではなく日の当たる戸外でポーズを取った。
手についても、より少しでも美しさを際立たせるため、日頃からポーズを研究していたのかもしれない。

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