見出し画像

肖像画と女心~私の自慢(後編)③アニエス・ソレルの場合~乳房

王たちの結婚は、政略結婚がほとんどで、しかもカトリックの教義では、離婚も側室を持つことも禁じられていた。
愛人たちは日陰の存在であることを強いられ、かりに子供ができても婚外子とされ、王位継承権は得られなかった。
しかし15世紀、フランス宮廷では、そんな愛人を、「王に仕える存在」として宮廷で認知し、王妃に継ぐ地位、そして王妃と同等かそれ以上の待遇を受けられる存在とする「公妾」制度が生まれる。
その公妾の第1号となったのが、アニエス・ソレルだった。


<アニエス・ソレルの肖像>、16世紀、アンジェ美術館

アニエスがフランス王シャルル7世と出会ったのは1443年、百年戦争の末期だった。
当時の彼女は22歳で、シャルル7世の義弟の妻の侍女をしていた。
美しいだけでなく知性も備えた彼女に、40歳のシャルル7世はたちまち夢中になり、さっそく城を与え、自分の愛妾にした。
やがて宮廷で王妃に継ぐ第2位の立場を確立した彼女は、贅沢な生活を送るようになり、宮中でもファッションリーダー的存在となった。それまでは「権力の象徴」として、男性しか身に着けられなかったダイヤモンドも、シャルル7世からプレゼントされることで、女性として初めて身に着けることができた。
一方で、アニエスは優柔不断なシャルル7世を支え、励まし、政務を助けてもいた。彼女は、自分に夢中になる王に発破をかけてイギリス軍との戦いへと向かわせたのである。彼は当時イギリス軍に占領されていた領土を次々と奪回し、ついには百年戦争に終止符を打ち、「勝利王」と呼ばれるまでになった。
上のアンジェ美術館所蔵の肖像画では、「忠誠」のシンボルである犬に手を置く事で、王を支えたアニエスの愛情と忠誠心を表しているとされる。

抜群のプロポーションの持ち主だったアニエスは、当時の貴婦人たちがゆったりしたドレスを着ていたのに対し、身体にぴったりしたドレスを着ることでそれを強調していた。そして、ついにはとんでもないスタイルを編み出してしまう。
その姿を描いたのがこちらの肖像画だ。

ここから先は

1,100字 / 2画像
ヴェルデさん、かるびさんなど美術ライターも参加していただきました。それぞれの切り口のいろいろな読み物がが楽しめます。

アートな読み物

¥100 / 月 初月無料

いろいろとアートのまつわる読み物を不定期で投稿していきます!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?