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海を眺めて想うこと

久しぶりに自分の意思で外出した。港町の、水平線には工業地帯の広がる海。海岸が好きな私にはすこし物足りないなと思いながらも、海の匂いと太陽の暖かさに浸っていた。


少し風が強い。風に背中を押されながらベンチに到着し、お気に入りの本を読んだ。久々の太陽のおかげで目が痛い。風が強い日だな、すこし肌寒い。

皮肉にも桜が満開な春、わたしは3日間ほどほぼ寝たきり生活を送っていた。生きている心地のしない、自分以外の世界の全てがキラキラ輝いて見える3日間。何も出来ていない自分に焦り、この先も何もない人間になってしまうのではないかと気持ちが沈んだ。

ただ生きていることがこんなにも苦しい。自分には何も無いことがこんなにも悲しい。そんなことを想い、ひとり涙を流した。

わたしを救ってくれた音楽があった。

「心が選んだ愛すべき人や風景を忘れないでね」そんな言葉が、かつてこの土地に移住することを望んだわたしを思い出させてくれた。

わたしを救ってくれた彼、友だちがいた。

「桜が綺麗だったよ」とLINEしてくれ、気に入った詩の一遍を送ってくれた。電話でひたすらわたしの話をうん、うん、と聞いてくれた。落ちてるわたしを見捨てることなく、いつもそばにいてくれた。その行為ひとつひとつで、わたしは生きている心地を感じた。



わたしは、生きている。


そういえば、最近心地良さや好きで自分を満たしてあげていなかった。足元の幸せを、感謝を、感じる余裕がなかった。

そんなことを、思い出した。



「自分には何も無いと、言っている自分が悲しい」「ほんとうはこんなに愛されているのに、こんなに恵まれているのに、自分を責めてしまう自分が悔しい」

電話のなかで、自分でもびっくりするくらい、ぽつりぽつりと、本音が出てきた。


「ほんとうのわたしはどこにいるんだろう。上がったり、下がったり、どっちがほんとうのわたしなんだろう。でも実はどっちもほんとうのわたしなのかも」そんな言葉もでてきた。

それでいて、涙が出てきた。


わたし、ちゃんと本音で話せている。
心の声が、ちゃんとある。
まだ、感性は死んでない。

大丈夫、だと思いたい。


海風に吹かれながら文章を書いていたら、すこし手がかじかんできた。

そんなこんなで、わたしはなんとか生きています。

師匠には、「病気を愛でなさい」「病気に人格を持たせなさい」とまたもや変人アドバイスをいただいた。でもわたしにはその言葉の意味が分かる。それを実現するにはすこし時間がかかりそうだけれど。


今日も文章を書いて、このどうしようもない気持ちを昇華させます。

読んでくれて、ありがとう。 

アズ

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