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先輩は選べないけれど、そこでどうするかはあなた次第


およそ5年前、私は新卒で現在の会社に入社し、約1ヶ月間の研修期間を経て今の部署に配属された。
私の会社では、新人には必ず1人の先輩社員が教育担当として就くことになっている。
大抵の場合、その部署で一番新人に歳が近い若手の先輩社員が教育担当になるのだけれど、私が配属された部署はこれまで人事異動がほとんどなかった部署だったから、私の教育担当になったのは、親子ほど歳の離れた男性の先輩社員だった。


けれどもその人は、内定者の頃から関わったことのある人で、性格も陽気だし話しかけやすいタイプだったので悲しくはなかった。むしろ、これまで接触する機会が多かったこともあり、いちばん身近な社会人として、すでに憧れの対象でもあった。
“早くこの先輩みたいに立派な社会人になりたい!”と張り切っていたのを覚えている。

けれど働き出してすぐに、その人に対する見方が変わってきた。

最初に“あれ?”と思ったのは、周りの反応。
歓迎会で他部署の先輩に話しかけてもらった時に、「教育担当は誰ー?」とよく聞かれたので、
「〇〇さんです」と答えると
「あちゃ〜。そっかぁ。大変そうだねぇ……。」とか「うわぁ〜。それはお気の毒……まぁ頑張って!」とか。何故か憐れまれたり、励まされたり、応援されたりすることが多くて、私の頭には“?????”と、はてなマークが次々浮かんだ。
この時点で、何となく“ちょっとおかしいぞ?”と感じていたのだけれど、自分が実際に目にしたわけでもないのに、人の評価を鵜呑みにするのはよくないと思い、あえてその違和感は見ないフリをすることにした。


今思えば、いくら他人の評価といえどこれだけ多くの人が口を揃えていうのであれば、それはある意味ひとつの真実である、ということにもっと早く気付くべきだった。そうすれば、今よりかは軽傷で済んでいたのかもしれない。
なんて、もはやたらればの話だけれど。


この話の流れで大体の方は察しがついていると思いますが、結論として私の上司は仕事ができない人だった。これは私の主観的な話ではなく(主観ゼロってわけでもないけれど)客観的な人事的評価に基づいて話している。職種柄、嫌でも目にしてしまうのだ。

最初こそ、その違和感を無視して先輩を信じていた私だったけれど、一緒に過ごすうちにその違和感は確信へと変わり、ゆっくりと絶望していった。

なんの知らせもなく重要な仕事の期限が過ぎているし、指示されたことはまるっきり間違っている。チェックという名のチラ見でどこも確認されなかったり、2人きりになったとたん意気揚々と上司に対する愚痴や不満を言ってきたり……。
挙げ出したらキリがない。

気付いたらボロボロだった。

周りもその人が原因だと分かっているから、ミスをしても私が責められることはほとんどなかった。けれど、そのことが私にとっては余計に辛く感じた。

先輩が上司に叱られるのを見るたびに心がくしゃっと潰れた。

まだ何も知らないとはいえ、担当したのは私でミスしたのも私なのに。居た堪れない気持ちでいっぱいで、ただただ苦しかった。

どうにか傷つくことを未然に防げないかといろいろやってみたけれど、入社して半年も経っていない状況ですべてを予測するのは困難で、結局今の自分にはどうすることもできないのだと悟った。きっと同じような状況の人はたくさんいて、それでもその人たちは上手に立ち回っているというのに。あまりに自分が不甲斐なくて、情けなくて、惨めで、会社で泣かないようにするだけで精一杯だった。

どんなに嫌だと思っても、異動したり転職したりしないかぎり先輩は選べない。
もっと言えば、異動したり転職したりしたところでそういう人は必ずどこにでもいる。


“だったら”と私は腹を括った。
どうすることもできないのなら、この1年間だけは傷だらけになっても我慢しよう。
丸々1年経験することができれば、来年からは自分で自分を守ることができる。
先輩に依存することなく、自分でコントロールできるようになればいい。


“ぜんぶ先輩のせいだから、私は何も悪くない”と言ってしまえばそれまでなんだろう。
そうすればこんなに傷つくことはなかったし、もっと生きやすかったと思う。
だけど私は、そんな人間にはなりたくなかった。
事実がどうであれ、自分を省みることは大切だと思うから。

私と同じように先輩に恵まれなかったにも関わらず、器用に仕事をこなしていける人たちを本当に羨ましく思うし、自分もそうだったらどんなに良かっただろうと心の底から思うけれど、そう願ったところで結局私は私でしかなくて、他の誰にもなることはできないのだ。

だから、私は私のやり方で成長していくしかない。
決してスマートな方法とは言えないけれど、地道にただひたすらに勝機を待って力を蓄える、そんな生き方があったっていいと思う。そして私は案外、自分のそんな泥くさくてしぶといところが嫌いじゃないのだ。

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今年社会人になった人は、まさに今頃、同じように苦しい状況に陥っているかもしれない。
勘違いしてほしくないのだけれど、私は決して、その状況に耐えることを推奨しているわけじゃない。本当に辛かったらそこから離れることも、ひとつの選択肢として大切なことだと思う。

私が言いたかったのは、どんな状況だってその捉え方は自分次第だということ。

今まで同じ経験をしてきても、人それぞれに豊かさや厚みが違うのは、その人がその経験からどれだけ自分を省みてきたかが人によって違うからだと思う。
今がどんなに絶望的な状況だとしても、それを不幸と見るか好機と見るかは貴方次第なのだ。

辛いことが多くて、生きることが嫌になる時も多々あると思うけれど、そんな時は無理せずに美味しいものをいっぱい食べて、会いたい人に会って、たくさん話をして、ぐっすり何も考えずに寝ればいい。それもできなければ、毎晩毎晩涙が枯れるまで泣くといい。そうしたらそのうち泣くことにも飽きて、またゆっくり歩き出すことができるから。
大丈夫、その悲しみは一生続くわけじゃない。貴方次第で、世界は変わるよ。

なんて、偉そうに言ってますが現在進行形でもがいてる人間です。
私自身が、誰かにそう言って欲しかっただけです。

まぁ、今日は土曜の夜ということで、これからマックでポテナゲのL L(とにかく特大)を購入し、お昼に買っておいたワインやら酎ハイやら生ハムやらパインとクリームチーズの美味しそうなやつ(Twitterで見つけたレシピ)やらをテーブルに並べて、夏を感じるアニメ鑑賞会をするのでオールオッケイです。
みなさんもそんな感じで、土曜の夜を楽しんでいきましょ〜う。いぇい。

ここまで読んでくれて、ありがとう。

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