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雪だるま【日々のツイトレ】

※2020.3.29sunのTwitterトレンドワードより


雪だるまが庭先に。

隣の家の軒先にも。

少し先の家の庭に2つの雪だるま。横には雪だるま用でしょうか……小さなかまくらも作られています。

どれも小さな雪だるまです。


子供の頃、無邪気に遊んでいたことを、大人になるとやりたいと思わないことがあります。

スキー場に行ったら、とりあえず雪だるまを作ってました。

ふと思いました。あの時の自分の気持ちはどうだったのだろう……子供の頃、どう思っていたのか少し思い出してみました。


私は広島県の出身なのですが、中でも雪がほとんど積もらない地域です。雪景色自体が珍しくて、雪が舞うだけでちょっとワクワクします。

そのため、地元で雪合戦をしたり雪だるまを作ったという記憶がほとんどありません。

薄っすらと積もってもすぐに溶けるため、日陰にわずかに残った雪をかき集めながら、友達と学校から帰ったことがあります。

雪だるまを作るほどの雪もありませんが、小さな雪玉を2つ作って乗せるのも雪だるま。とはいえ、きれいな真っ白い雪だるまではなく、たいていは泥やホコリを吸い込んだ汚れた小さな雪だるま。

目・鼻・口を付ける前に溶けてしまうので、雪だるま以前かもしれません。


広島県でも、少し山間部に行くと雪は積もります。広島県の北部まで行けばスキー場もあります。

そんな場所に連れて行ってもらった時、私ははしゃいでみせた……この「みせた」というのは、「雪なんてわざわざ遠出までして寒いし滑るし面倒」なんてことを心の中で思っていたのです。そんな気持ちを見せていないつもりでいましたが、たぶん両親は気づいていただろうと今なら思います。

記憶を紐解くと、その頃から、別に雪で遊ぶことが好きではなかったようです。全然、無邪気じゃなかったですね…邪悪でした。


高校受験の時、雪で電車がストップしていて、代替輸送のバスに乗りました。バス内はぎゅうぎゅうで道路は渋滞。向かう途中で、運転再開した電車に追い抜かされた!その後、気分が悪くなり、バスを降りて吐きました。

雪の日を呪いました。


高校の時の修学旅行は、スキーという名の体育実習。帰りの電車が大雪で足止めされ、予定の新幹線に乗れず、電車の中で夜を明かしました。慣れないスキーで疲れてグッタリだった記憶しかありません。

雪景色は鑑賞するものだと思いました。


大学は雪がそれなりに降る地域でした。積雪の日のお店でのアルバイトで、初めての雪かきを体験しました。雪国の人たちは毎日何度も雪かきをすると聞いた時、頭がクラクラしました。

雪国での日々の生活のために割かれる労力の大きさに驚きました。


人間は自然の前には無力なのでしょうか。

雪国の人にこんなこと話したら怒られるかもしれない……。

しかし、過疎化高齢化が進む町などでは、意外と重要な問題なのではないかと思います。年間通してそれほど稼働しない融雪装置などは費用対効果が低いということなのでしょうか。


そんなわけで、子供の頃から雪に対してさしたる思い出もなかった私でした。

美しい雪景色を見るのは好きです。夜中に静かに降り積もる時の、あの静寂は好きです。

でも、雪は寒いし面倒という気持ちは変わらないようです。

こんな私の凝り固まった固定概念を溶かしてくれるのは、雪に対して何かプラス変換できるような劇的体験が必要なのかもしれません。

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