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続・お伊勢さんと私

このゴールデンウィーク、10ヶ月ぶりに伊勢の地を訪れた。

伊勢については以前にも綴ったが、ここ数年ご縁をいただき、定期的に訪れている場所。

訪れているというか、いつも自分ではそのつもりはないのに、誘われたり、会いたい人がたまたまその時その地にいたりで、なぜか訪れることになる。

そうそう、昨年の秋から先日まで住んでいた京都の住まいについて、住んでみたらびっくりしたことがあった。

その家は一の鳥居、二の鳥居を越えた参道に建つ家だったのだけれど、その鳥居の神社(家から徒歩3分)というのが、"京都のお伊勢さん"と呼ばれる神社だったのである。

気づいた時はさすがにちょっと震えました。
だって京都に住む前に半年と少しで3回も伊勢を訪れて、そのほんの少しあとに住み始めたのだから。
どれだけお伊勢さんに呼ばれてる?守られてる?それとも宿題でも残してる?のだろうと。

住んでいる間は、できるだけ朝お参りに行くようにしていました🙏

京都のお伊勢さん。
なぜか雪の時の写真しか残ってなかった。


今でも不思議にしか思えないけれど、きっと何かしら意味があるのだと思う。いつかその意味がわかるときが来るのだろうか。

そして、今回も全く訪れる予定はなかったところ、お誘いいただき、これまでの自分に一区切りつけるような、そんな出来事になると感じて行くことにした。
ちょうど京都から神戸に引っ越す直前で、このタイミングもまた意味深だなぁと思ったり。
(この度神戸に引越しました。この話はまたどこかで。)


久しぶりの伊勢は、相変わらず清々しく澄んだ空気に満ちていて、強くてやさしかった。

私は伊勢で感じられるこの空気がとても好きだ。

初めて訪れた時、伊勢の木漏れ日の中でこの空気を感じるだけで、自然と涙が溢れてきたことを覚えている。

細胞ひとつひとつがよろこびに満ちるような、なんだか大きなものに守られているような、そんな感覚になる。

力みのない、やわらかな自分に戻ってゆける。

今回の伊勢は、これまで身につけていた服を脱ぎ捨てて、綺麗に洗ってお手入れして、まっさらなつるつるの自分になったような気分だった。

帰路につく頃、心はとても晴れやかだった。
私よくがんばってきたな。これからもよろしくね。


初めて伊勢を訪れた令和最初の日からここまで、すべてのことが連綿とつながっていたように思う。

そのどれひとつが欠けても、今この地点に私はいない。きっとすべてが必要なことで、私をここまで運んでくれた。

しばらくは今までのような頻度で伊勢を訪れることはないだろうと今の私は思っているけれど、さあどうなることでしょう。

神戸にもお伊勢さん系の神社ってあるのかな。
定期的に近況報告&感謝の気持ちをお伝えしたいと思っております。

これにて私の伊勢の話は、一旦おわり。



愛と感謝を込めて。

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