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【ひらしお源氏の館】企画展示「ニホンオオカミと私」を見に行く
はじめに
以前紹介した、市川三郷町の大門碑林公園とその隣にある巨大な多目的ホールを備えた木造建築のひらしお源氏の館ですが、2階展示室にて「ニホンオオカミと私」(2024.3.10~3.31)という展示が行われていました。
ニホンオオカミ愛好家の絵画作品やオオカミ関連の書籍、レプリカ等のコレクションを展示するものです。
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ひらしお源氏の館
このひらしお源氏の館は、現在はジャンボ硯の展示や和紙に関する商品を販売するといった無料の見学施設ですが、「財政非常事態宣言」のため4月より貸ホールとしての使用に移行します。つまり現在の体制における最後の展示になります
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これまで上がったことのなかった2階の展示室で本展は行われています。展示室は吹き抜けの2階部分を四方に囲むような造りになっていて、赤いカーペットを敷いた螺旋階段で上ります。
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ニホンオオカミと私
「ニホンオオカミと私」(2024.3.10~3.31)は、富士五湖地域でアトリエを構えて創作活動をされている天野プレル氏による展示です。ニホンオオカミと市川三郷町のあいだに所縁がある訳ではなく、氏がこの建物が気に入ったことから、展示が実現したとのこと。
天野氏の考えるニホンオオカミ像を絵画で伝えるとともに、幼少期より集めた書籍、レプリカやグッズ、オオカミの聖地探訪記などで構成されています。
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まず、概観を撮った画像を紹介します。ご覧いただくと分かる通り、資料展と思って出掛けてましたが、個展の様相です。「オオカミ紀行」という探訪記を除けば解説はだいぶ少ないめです。
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天野氏が会場におられ、お話を伺うことができました。週末を中心に在館しているとのこと。
天野氏は、研究者でないし絵画も素人だとおっしゃいます。しかし、絵画は相当の腕前です。さらに伺うとかつて山中湖村にアトリエを構え、創作活動をされていたといいます。また、ニホンオオカミについては広く浅くと言っておられましたが絵画と同じかそれ以上に思い入れを感じます。とにかくニホンオオカミに熱い方です。
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絵画を描く方だったので個展の様相に納得です。ご覧のように探訪記の間などに絵画作品が入ります。
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絵画は独学とのこと、アクリル絵の具で描かれています。アトリエを持ちそこで制作されるといいます。
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オオカミのほかに、野草など自然をを描いた作品があります。
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ニホンオオカミの実態とは
解説が少ないと述べましたが、冒頭部分で「ニホンオオカミの実態とは」と題して近年のトピックを交え解説があります。
それによると、近年の遺伝子調査からオランダにあるニホンオオカミの標本(はく製)からオオカミとイヌの交雑個体だったことが分かっています。この標本はシーボルトが持ち帰ったものでした。江戸時代はすでにイヌとの交雑が進み、明治時代に確認されていたニホンオオカミはすでに交雑個体が多かったと考えられます。小型だった思われていたニホンオオカミは交雑種であり本来ならば大きかったとの可能性があり、それのことは喜ばしいことだと述べています。
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天野氏は、絵でニホンオオカミに近づこうとされているといいます。また、ニホンオオカミは絵の中では生きているといいます。
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天野氏にニホンオオカミが絶滅した理由について私見を伺いました。それによると、
狂犬病の流行
野犬との交雑
をまず挙げておられました。
鹿を人間が捕獲してエサが無くなった
道路整備により環境が悪くなった
こういう環境的要因もあるようです。
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現存するニホンオオカミの剥製について
ニホンオオカミとみられるはく製は日本に3体と、オランダに1体(前述したシーボルトが持ち帰ったもの)しかないといいます。
一方で頭骨は比較的残されています。山梨県でも笛吹市の個人が皮膚が一部残る頭骨を個人が所有(山梨県立博物館に寄託)しています。
さて、はく製というは作った職人により印象が異なるようで、このニホンオオカミのはく製も3体とも印象が異なるのです。
まず、はじめの写真は1905年頃に奈良県で捕獲された個体で確認されている最後の個体となります。
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続いては、1881年(明治14年)に岩手県で捕獲された個体で、脚は切断されてから付け直されたため短くなっています。
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さいごは、筆者がこの記事に追加したものですが、2024年(令和6年)確認されたもので、それまで国立科学博物館の収蔵庫で「ヤマイヌの一種」として保管されてきたはく製です。100年以上前に上野動物園で飼育されていたニホンオオカミのはく製であると結論付けています。当時小学生の女の子からの指摘で調査チームが調べて結論付けたことは大きく取り上げられました。
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続いて、国内で飼育されていたオオカミを写真で紹介しています。いずれも多摩動物公園にいたオオカミです。
まず、1頭のみ飼育されていたチベットオオカミです。1990年代の様子です。チベットオオカミは、チベット、中国、朝鮮半島などに分布している種類です。
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続いて、ヨーロッパオオカミです。2013年の様子です。ヨーロッパオオカミはユーラシア大陸に分布する大型の種類です。
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大陸のオオカミは大型です。一方でニホンオオカミは小型です。その理由として大陸からきた大型のオオカミと小型のオオカミが交雑し、結果的にその中間のオオカミが生き残ったとの説が語られますが、先ほどのオランダの交雑種のように、イヌと交雑が進み小型化したことが検討されるのでしょう。
オオカミの頭骨
レプリカですが、オオカミの頭骨のコレクションがあります。 ケースの中にあるのは左から、
アメリカアカオオカミ頭骨
ニホンオオカミ頭骨(高知産・レプリカ)
野犬の頭骨(山梨県大月市の山中)
ニホンオオカミ頭骨(高知産・レプリカ)
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また、骨格模型は国立科学博物館所蔵の骨格標本の模型です。
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こちらはハイイロオオカミの前脚の脚型です。1999年6月中国内蒙古自治区で日本オオカミ協会調査隊が採取したもののレプリカです。
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関連の書籍
書籍も木製の展示ケースに入っていますが、引き戸を開けて自由に読んでよいとのこと。
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斐太猪之介(1911年~1979年、明治44年~昭和54年)の『山がたり』シリーズ『オオカミは生き残った』『山中奇談』『オオカミ追跡18年』があります。昭和40年代から50年代の著作で、この本に影響された人は多いといいます。
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続いて民俗学的な本が並びます。昔話「ふるやのもり」の絵本もあります。
『ふるやのもり』ポプラ社
青柳健二『オオカミは大神』
栗栖健『日本人とオオカミ』
遠藤公男『ニホンオオカミの最後 狼酒・狼狩り・狼祭りの発見』
宗像充『絶滅してない! ぼくがまぼろしの動物を探す理由』
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こちらはDVDで、国内のフォーラムの収録やBBCの番組といったもののようです。また、見開きは『ふるやのもり』の絵本
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続いては、考古や歴史系系でしょうか。
柳内賢治『幻のニホンオオカミ』
藤原仁『まぼろしのニホンオオカミ 福島県の生息記録』
芝田英行『遺跡にみる「ニホンオオカミ」』
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続いては、オオカミの生態に迫るテーマの本です。外国からの翻訳本も多いです。
ニホンオオカミ研究会本部編『秩父山系幻のニホンオオカミ生存を求めて50年』
奈良県野生生物保護委員会『紀伊山中の日本狼』
ショーン・エリス、ペニージューノ『狼の群れと暮らした男』
菱川晶子『狼の民俗学』
ブレット・ウォーカー『絶滅した日本のオオカミ その歴史と生態学』(原書)
ブレット・ウォーカー『絶滅した日本のオオカミ その歴史と生態学』(浜健二訳)
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こちらはタイトルから興味を引きそうなものが集まっています。
くぼたいねこ『縄文のオオカミ 森とムラのはざまで』
多和田葉子、溝上幾久子『オオカミ県』
丸山直樹『オオカミが二本を救う!』
丸山直樹ほか編『オオカミを放つ』
工藤利栄『オオカミが遺したもの』
今村豊『三河のオオカミ・山犬』
大浦豊『日本犬の研究 遺伝と疾病・日本狼の現在』
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さらに定番といいましょうか、学校図書館で見る人も多いシートン動物記です。今泉吉晴(動物学者)による監修版もあります。
今泉吉晴監訳『シートン動物記2 オオカミの騎士道』
谷口ジローコレクション『シートン 旅するナチュラリスト 第1章 狼王ロボ』
小林清之介訳『オオカミ王ロボ』
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「オオカミ王ロボ」は、家畜を狙うハイイロオカミのロボと人間の知恵比べのお話で、とくにシートン動物記の中でも人気のお話です。
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続いては、写真集などからオオカミの生態に迫っている書籍です。
宮沢光顕『狐と狼の話』
トッド・K・フラー『オオカミ』
平岩米吉『狼-その生態と歴史-』
寺崎美紅、玉川麻衣『蒼い夜の狼たち』
瀬古孜『ニホンオオカミを追う』
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コミック、写真集があります。さらに徳川綱吉(犬将軍)まで登場してテーマが多彩になってきました。
石川球太『銀狼伝』
ベアトリス・M・ボタルトベイリー『犬将軍』
ダニエル・ベルナール『狼と人間 ヨーロッパ文化の深層』
ジム・デランデンバーグ『白いオオカミ 北極の伝説に生きる』
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西洋におけるオオカミの繋がりを扱った書籍です。
クロード・カトリーヌ・ラガッシュ『狼と西洋文明』
エリック・ツィーメン『オオカミ』
Scott Ian Barry『Wolf Empire』
近藤雄生、澤井聖一、菊水健史監修『オオカミと野生のイヌ』
キャサリン・ランデル『オオカミを森へ』
志村真幸、渡辺洋子『絶滅したオオカミの物語 イギリス・アイルランド・日本』
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イヌ関係の本も含まれています。
ヴィルナー・フロイント『オオカミと生きる』
朝倉裕、ささきみえこ『オオカミと森の教科書』
バリー・ホルスタン・ロペス『オオカミと人間』
今泉忠明『野生のイヌ百科』
朝倉裕編『絶滅したオオカミの謎を探る―復活への序章―』
岡田睦夫『往古日本犬写真集』
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三峰神社の札を置いてあることから、三峰信仰やオオカミ信仰がテーマのようです。
千葉徳爾『オオカミはなぜ消えたか』
小倉美恵子『オオカミの護符』と映画化のチラシ
松山義雄『狩りの語部』
栗栖健『日本人とオオカミ 世界でも特異なその関係と歴史』
小林茂『秩父の』
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ニホンオオカミ紀行、三峯神社(埼玉県秩父市)
館内には、オオカミに関連する土地を訪ねた探訪記が写真で紹介されています。丹念に読むことで各地に伝わる伝説などがみえてきます。
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まずは、三峯神社(埼玉県秩父市)を訪ねたときの模様です。2008年と2019年の様子です。
三峯神社は、オオカミ信仰の聖地として昔も現在も人気のスポットです。
ヤマトタケルの道案内をした山犬(ニホンオオカミ)を眷属にしていることからオオカミとは深いつながりになっています。
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三峰神社の掛け軸がありました。だいぶ古い物のようですが、人から譲ってもらったものとのこと。
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ニホンオオカミ紀行、山梨県北東部、他
山梨県北東部とはあまり聞き慣れない表現ですが、丹波山村、小菅村、さらには、大月市といった辺りだと分かります。大月は山梨でもとくにニホンオオカミの伝説が残っている地とのこと。
ここでの注目は、とある民家で家宝となっているオオカミの下顎です。漆で表面が塗られていて病気になったときに患部にすりつけて病気を治すために使われたといいます。
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鉄砲の名人が家畜を荒らすニホンオオカミを打ち取ったお話とかが書かれています。
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その、オオカミを打ち取ったと伝えのある場所を探索しています。
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山の神を祀る神社や祠を各所に見つけたとのこと。
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また、山中で頭骨と思いしや、犬の頭骨を拾ったそうで、この頭骨はオオカミのレプリカと一緒にケースで展示されているものです。
あと、牛を飼育していたもののオオカミの襲撃に会い飼育を断念したとか、その供養のために牧牛観世音が山中にあります。
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ニホンオオカミ紀行、上野原市
上野原の道端で見つけたというオオカミの上に載る大権現の石像だといいます。山岳信仰との関連があるとのこと。関連する掛け軸の写真を提示しています。天野氏は大権現といより三峰神社と同じヤマトタケルであろうと示唆しています。
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オオカミ講(三峰講)が残る長浜地区(富士河口湖町)
三峰神社を参詣する講が江戸時代中期から富士河口湖町長浜地区(旧足和田村)には残っているそうです。いまでも、代表者たちで秩父へ参詣しているとのこと。写真のほうとう店も三峰講に加入している地元のお店。
この地区には山の斜面に小さな祠ですが、三峰神社があるようです。
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ニホンオオカミ紀行、北杜市増富温泉
続いて、北杜市のラジウム温泉で有名な増富温泉の山奥に伝説の残る地を訪ねています。
「本谷林道の送り狼」という言い伝えがあるといいます。
この地より信州へ向かう本谷林道は、寂しい夜道をを歩くと人がつけてくる気配がするのです。オオカミが捕まり殺してしまうと気配は無くなりました猪や熊に襲われるようになりました。狼が獣たら守ってくれていたのです。
このような言い伝えは奥多摩地方にもあるといいます。
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ニホンオオカミ紀行、西丹沢
長良信夫『日本産オオカミの研究』によれば丹沢はニホンオオカミの骨が多く出土する場所といいます。2日間かけてかつてのニホンオオカミの生息地といわれる西丹沢渓谷を探索したときの模様です。
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ニホンオオカミ紀行、身延町長塩
昭和40年代に、多くの伝説本を出していた泉昌彦ですが、富士山周辺の伝説を扱った『富士霊異記』には、精進湖地域のオオカミ証言が多数あるそうで、その地を訪ねたときの模様です。
本栖方面から、下部温泉に向かう長塩集落(身延町)に古文書があり1845年に死んだ馬を埋めたところオオカミが群れで出て畑に向かう人や人々の往来の妨げになっていることを代官所へ届けたという内容です。
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筆者の余談です。長塩集落といいますと、木喰の里の丸畑も近いところです。かなりの山の中です。ただし筆者は丸畑の近隣でオオカミに関する話は聞いたことはありません。少し離れると生息環境も違うのでしょうか。
ニホンオオカミ紀行、九州(祖母山、傾山など)
2022年4月登山家の小林氏の協力のもと祖母山(大分県、宮崎県にまたがる標高1,756メートル)の探索旅行記です。
秩父の八木博氏が、ニホンオオカミの研究科で有名だといいます。アカデミックとは距離を置かれている方なので賛否は分かれそうですが、八木氏は絶滅はしていないと考えています。そんな八木氏の著作と同じくらい衝撃を受けたというのが、西田智『ニホンオオカミは生きている』だったといいます。この西田氏によるオオカミらしきイヌ科の動物の発見は賛否両論当時話題になったようです。
そして天野氏は念願であった西田氏の本にある祖母山探索を6日間で行ったといいます。
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初日、西田氏が撮影したという場所に到着、興奮気味の天野氏の様子が伝わります。
2日目、九折登山道を探索。
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3日目、千間平-国観峠-祖母山探索。祖母山登頂後、宿泊施設に投宿、自動撮影カメラを仕掛けエサをまいたという。
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4日目、尾平登山口ー黒金山尾根探索。
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5日目、九折越-センゲン-傾山。オオカミの耳に見える傾山山頂を見て、オオカミ山と名付けたといいます。
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地元の郷土資料館の職員は動物の調査の経験からオオカミはいないといわれたとのこと。であれば、著作の西田氏が20年前に撮ったイヌ科の動物は何だのだと考える天野氏です。一方で宿の主人の話では、20年前で山から遠吠えを聞こえてきたという聞き取りも紹介しています。
結局山に入ったものの西田氏が著作で書いたイヌ科の「気配」は感じなかったといいます。オオカミは少し前まで生き残っていたか、それとも出会わなかっただけなのか。西田氏が見たイヌ科の動物はオオカミの特徴と一致することから交雑は進みつつも、地元のイヌたちにはオオカミの遺伝子が残っていると天野氏考えているとしめくくります。
おわりに
オオカミをテーマにした絵画とコレクションといういわば個展を見せていただきました。
書籍は年代もの本も多く、昭和時代からずっとニホンオオカミは人々の好奇心を集めてきていたことがよく分かります。
天野氏は、絵の中だけではなく、ニホンオオカミは生きている。いや、生きていてほしいという熱く語っていました。
今後、ひらしお源氏の館は貸ホールとしてのみの営業になりますが、次回もこの建物で展示してもらえればと思います。
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