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【勝沼・祝橋】ワイン発祥の地に掛かるコンクリートアーチ橋

はじめに

 祝橋いわいばしは、甲州市勝沼に所在する昭和初期のコンクリートアーチ橋です。
 ワイナリーの集中する地域の東寄りにあり、かつては、道路橋としてぶどうやワインの出荷を支えました。めがね橋とも呼ばれ、近代勝沼のシンボル的存在です。現在は歩行者専用橋として、また水路橋としても地域の生活を担っています。
 (久しぶりに建築物の紹介です。)


ワイナリーの地域

 祝橋のある岩崎地区(旧祝村)は勝沼ワインの発祥の地であるとともに、現在もワイナリーが集中するワイン生産地域です。下記画像の朱円が祝橋の位置です。西側にワイナリーが集中しています。
 勝沼ぶどう郷駅のある山を下り、旧甲州街道にある上町交差点をさらに南下すると日川にかかる祝橋です。

甲州市ワイナリーガイド(2023年版)より一部加工、朱円は筆者

 岩崎地区は江戸時代からブドウを栽培していた地域で、 明治時代に本格的なワイン醸造に着手しました。
 1877年(明治10年)、国内初の民間ワイン会社「大日本山梨葡萄酒会社」の設立し、高野正誠と土屋龍憲の二人を技術習得のため2年間フランスへ留学させ、二人の帰国により本格的なワイン醸造が始まります。
 ワイン会社は1886年(明治19年)に解散しますが、宮崎光太郎などのようにワイン産業(宮光園のちにメルシャン)を確立した者も出ました。

 勝沼ワインに関する資料館は下記をご覧ください。

祝橋

 祝橋は、出荷するぶどうやワインを山の上に設置された勝沼駅(現JR勝沼ぶどう郷駅)へ運ぶため日川を渡るルートとして役割を担いました。
 現在残る祝橋は3代目で、その前の2代目は1913年(大正2年)の勝沼駅開業の翌年に作られました。祝村から駅に向かう荷馬車が通れる木造の吊り橋だったといいます。
 その後、吊り橋の老朽化に伴い、自動車も通れるように3代目となるコンクリートアーチ橋が建設されました。
 では初代は、というと、ひとつ上流に掛かる現在の太郎橋の位置に掛かっていた橋が初代祝橋でした。両側から桁をせり出す形の木造の端でしたが山梨では有名な明治40年の水害で流されました。

 3代目の祝橋は昭和5年(1930年)に掛けられたコンクリートアーチ橋です。橋長58.6メートル、幅員6.6メートルです。
 山梨に現存する大正から昭和初期のコンクリートアーチ橋としては、甲府の特別名勝に指定されている御嶽昇仙峡の入り口長瀞橋と身延町の栄久橋があります。どちらも道路橋として現役です。

長瀞橋(大正14年竣工)
出典 : 富士の国やまなしインフラガイド
栄久橋(昭和3年竣工)
出典 : 富士の国やまなしインフラガイド

 祝橋ですが、1985年(昭和60年)に隣に新祝橋が掛かると道路橋としての役割を終え、歩行者専用橋として保存されていました。1997年(平成9年)に国の登録有形文化財に登録されています。また、近代化産業遺産にも認定されています。
 2005年(平成17年)、琴川ダム(山梨市)からの水を送る水道橋として再活用されることになり、現在に至ります。

隣の新祝橋より撮影
祝橋の中央、アーチが美しい
国の登録有形文化財

祝橋を歩く

 祝橋を歩いてみました。徒歩であれば自由に歩くことができます。
 下記画像が北側の分岐点です。県道と新祝橋はゆるくカーブしていますが、祝橋への旧道は真っ直ぐに分岐しています。

新祝橋の北側の分岐

 新祝橋から北側を望みます。標識にはこの方角に「ぶどうの丘」があることを示しています。ちなみに、この場所のすぐ先には史跡勝沼氏館跡があります。

新祝橋から北側を望む

 さて、分岐を進むと作業小屋のような建物が1軒ある以外は草木が多く鬱蒼としています。その先は突然明るくなって、まっすぐに伸びた橋が姿を現します。

北側より
旧かな使いの欄干

 周囲の景色は素晴らしいです。東側を見上げると新選組が甲州で戦った柏尾山です。勝沼の「鳥居焼き」が行われるので山肌の木のないところには鳥居の形が浮き出ています。

頂上付近に鳥居の形が見える

 西側を覗くと、やや蛇行する日川の流れ、少し先にワイナリーのある地域、さらに向こうに甲府盆地が広がります。

日川の流れと甲府盆地

 南側は扇状地の山が迫っています。

扇状地の斜面を横から眺める

 中央分離帯のように平成の時代に設置された水道本管が通っています。これでは一休さんが橋の真ん中を通ることはできません。

水道本管が通る
南側より
昭和五年十一月竣工

 南側の分岐より入ったところです。隣は桃畑ですが、背後にはぶどう畑があります。鬱蒼した北側とさ異なり広々と明るいです。

南側の分岐点より入る
南側から見た新祝橋

水路橋として

 前述のとおり、琴川ダムの水を通す水路橋として利用されているため水道本管が中央に通っています。
 水道本管は金属製のカバーで覆われて途中には休憩用のベンチと祝橋の解説プレートが設置されています。

途中にはベンチが

 橋の中央部分は、ひときわ大きな突起がありますが、中がどうなっているのか分かりませんでした。

中央部の突起

おわりに

 勝沼のシンボルともいえる祝橋を紹介しました。ぶどうやワインの出荷を支えた橋は、現在は水路という新たな役割で市民の生活の支えになっています。(水道本管が少し邪魔ではありますが。)
 橋の上から見た周辺の景色は見事でしたが、紅葉シーズンのほうが楽しめそうです。

近くの祝小学校、この先に宮光園とメルシャン

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