【山梨県立考古博物館】交流展「フォッサマグナがつなぐ新潟・長野・山梨・静岡」を見に行く
はじめに
山梨県立考古博物館では、山の洲文化財交流展「発掘が語る地域交流─フォッサマグナがつなぐ新潟・長野・山梨・静岡─」(2023.12.9~2024.1.21)が開催されました。
2020年頃より、本州の中央部にある4県(新潟・長野・山梨・静岡)は「山の洲」と称して地域経済圏を作る構想があり各分野での交流を進めています。山の洲文化財交流展は、文化財の分野で地域の特色や魅力を発信していく取り組みで、本展示は4県を繋ぐフォッサマグナ(糸魚川・静岡構造線)を中心とした古代の交流文化に焦点をあてる内容です。
山の洲
本州の中央部にある新潟・長野・山梨・静岡の4県は、本州の中央に位置し、東日本と西日本の境界であるとともに、太平洋と日本海とをつなでいます。古来、多くの人や物が交流することで、互いの地域の発展を支えてきました。
現在、地形的・景観的な特徴から、これら4県を「山の洲」と称して、新たな地域経済圏とする取組が様々な分野で進められています。
背景には、中部横断自動車道の一部開通により山梨と静岡の「距離」が縮まったことがあり、今後全線開通が実現するとさらに4県はさらに近くなり新たな経済圏が完成するものと期待されています。
発掘が語る地域交流─フォッサマグナがつなぐ新潟・長野・山梨・静岡─
山の洲文化財交流展は、令和3年度(静岡県と山梨県)から始まり、令和4年度には長野県を加え、令和5年度である本年は新潟県を加えた4県による構成となりました。
本展では4県の交流の跡が分かる旧石器時代から古墳時代までの出土物、およそ460点を展示しています。
また会場では、ガイドブックが無料配布されているのですが、図録として遜色なく販売できるくらいの頁数と情報量です。県の事業のため資金が潤沢にあるのでしょうか。本稿はそのガイドブックと会場のキャプションを大いに参考にさせていただきました。
一点注文をつけるガイドブックの編集が新潟県立歴史博物館によるため、ヒスイと火焔型土器についてはたいへん詳しいのですが、ほかの3県については内容がどうしても薄くなっていて、山梨、信州に関しては土器、土偶、石器などたいへん華やかな文化があるのですがこうした部分にはほとんど触れられていません。
長野展、新潟展、静岡展の日程です。(いずれも終了)
2023年7月1日~8月20日 長野県立歴史館
2023年9月9日~10月15日 新潟県立歴史博物館
2023年12月9日~2024年1月21日 山梨県立考古博物館
2024年2月15日~3月9日 静岡県立美術館
夏に甲府駅北口広場で行われた「マチナカ博物館」というイベントでも新潟県が参加して土器とヒスイを紹介していました。
第1章 地域文化の競演 各県のイチ推し!!
まず、4県の「イチ推し」として紹介している展示物を集めて見ました。ガイドブックでは冒頭にて紹介されているのですが、展示ではそれぞれの場所に置かれていて探すのに少し難儀しました。ガイドブックにならいまとめて紹介しておきます。
なお本展の展示品は、長野県立歴史館、山梨県考古博物館、静岡県埋蔵文化財センターの収蔵品となっています。
新潟県のみ新潟県埋蔵文化財センターのほか、各地の教育委員会の収蔵品となっています。本稿では、各地の教育委員会の場合のみ収蔵元を記載しておきます。
1-1 長野県の「推し」
長野県の「推し」は黒曜石の原石です。エントランスロビーに展示されています。
長野県は良質な黒曜石の産地でした。各地に交流をもって供給された黒曜石は「最古の信州ブランド」ともいうべき地域資源であるといいます。
黒曜石の原石の隣には糸魚川(新潟県)のヒスイと北杜市産(山梨県)の水晶も紹介しています。これらも各地に交流をもって供給されています。
1-2 静岡県の「推し」
静岡県の「推し」は後期旧石器時代から、富士石遺跡(長泉町)の石製装飾品です。県指定文化財になっています。
2万年前のものと推定されているそうで、旧石器時代の石製装飾品の例は全国で数例しかなく貴重だといいます。
1-3 山梨県の「推し」
山梨県の「推し」は縄文時代より、パネル文(区画文)深鉢形土器です。十郎原遺跡(甲州市)と上野原遺跡(甲府市)のものです。異なる遺跡ですが雰囲気はたいへん良く似ています。
1-4 新潟県の「推し」
トリは新潟県の「推し」です。新潟県といえば、やはりヒスイと火焔型土器です。鰹節形、緒締形に加工されたヒスイ大珠です。国内のヒスイの最大の産地は新潟県糸魚川周辺です。
そして、縄文土器と聞くと全国的にはこちらを思い浮かべる方が多いでしょう。新潟の火焔型土器です。かの岡本太郎も魅了された土器の仲間です。
第2章 フォッサマグナと中央日本4県のつながり
パネルでは、4県にまたがるフォッサマグナについて、誕生過程を解説しています。また、フォッサマグナの内と外についても言及しています。
フォッサマグナとは「大きな溝」を意味するラテン語で地質学ナウマンが命名しました。そして、フォッサマグナを生んだ大地の活動によって、ヒスイ、黒曜石、水晶など地域を代表する石が生み出されました。
フォッサマグナの外は1億~3億年前の岩石の地層、一方で内は200万年前の岩石の地層だといいます。この境目が分かるのが、フォッサマグナの西側の境である糸魚川-静岡構造線(糸静線)ということになります。
下記画像では、外の石(古い地層)「変はんれい岩原石」と中の石(新しい地層)「玄武岩原石」が並べて展示されています。
また、糸魚川の海岸から採取した透閃石岩原石(ネフライト)があります。
糸魚川市教育委員会の所蔵とのことですが、水晶の原石は山梨県(甲府市、甲州市)と長野県(川上村)から産出のものです。
第3章 交流のはじまり 旧石器時代
旧石器時代からは多目的室の展示会場になります。
日本列島の旧石器時代は、現代よりも寒く厳しい生活環境の中で狩猟を中心とした移動生活を送っていたといいます。
そうした中で加工具として鋭い刃先を作れることに適して、さらに割りやすい石は貴重な資源でした。黒曜石、水晶、珪質頁岩などの産地がフォッサマグナ周辺に存在し、こうした貴重な石を使った交流があったものと考えられています。
3-1 前期旧石器時代の石器類
ひとつめの展示ケースには前期旧石器時代の石器類です。長野、山梨、静岡からのものです。
左は、砥石と斧型石器で貫ノ木遺跡(長野県信濃町)からの出土品。
中ほどは、黒曜石、水晶で加工したナイフや剥片など。
右は、黒曜石ですが静岡県の遺跡からも出土したものです。
3-2 後期旧石器時代の石器類
ふたつめの展示ケースは後期旧石器時代の石器類です。
黒曜石の原石があります。神津島産(左)と信州産(右)です。
左のナイフ形石器と右上の尖頭器は、 富士石遺跡(静岡県長泉町)の出土品で、信州産黒曜石が静岡県から出た事例です。
右下は、彫刻刀型石器で長峰団地西遺跡(新潟県長岡町)の黒曜石ですが、こちらも信州産でしょうか。
続いて硬質頁岩と水晶による石器です。
硬質頁岩は新潟県産で、薬師堂遺跡(新潟県五泉市)からのものですが、右上端は富士石遺跡 (静岡県長泉町)からも出土しています。
水晶は山梨県産ですが、梅ノ沢遺跡 (静岡県長泉町)から出土しています。また、右下端の石核は、丘の公園第2遺跡(山梨県北杜市)のもので山梨県の指定文化財です。
第4章 中央日本4県の縄文文化
この交流展は、4県でそれぞれ行われますが、山梨展としてとくに力を入れている展示は縄文時代になります。山梨から信州諏訪地域にかけては、中部高地の縄文文化が栄えました。一方で、新潟に代表される火焔型土器も縄文時代としては外せないものです。土器の形や文様が地域により大きく異なることにも地域性と交流が如実に表れています。
4-1 水煙土器
まずは、地元の水煙土器です。新潟方面の火焔土器に対して、山梨、長野の中部高地の縄文土器の代表格は水煙土器と名付けられた渦巻把手のある土器です。
中央のひと際大きいものは安堂寺遺跡(山梨県甲州市)の土器です。
ほかに、一の沢遺跡(笛吹市)、甲ッ原遺跡(北杜市)、上野遺跡(甲府市)といずれも山梨県ですが、1点だけ静岡県の押出シ遺跡(静岡県三島市)から出土したものです。
4-2 火焔型土器
新潟県の信濃川流域でみられるのが、火焔型土器と王冠型土器です。炎であったり鶏冠のようにも見えますが、何を表しているのかは分かりません。年代的には山梨や信州の水煙土器より古いと言われています。
レプリカですが、これぞ火焔型土器のという馬高遺跡(長岡市)の火焔型土器があります。発掘当初は「馬高A式1号」と命名されていましたが、その後「火焔土器」と呼ばれ「火焔型土器」の土器型式の標識土器となったものです。
4-3 北陸系土器
北陸系と呼ばれる土器です。富山、石川県域で作られたといいます。
展示の中でひと際大きいものは六反田南遺跡(新潟県糸魚川市)の出土品で新潟県指定文化財です。
北陸系土器の中でも長野県から出土しているものがあります。下記画像右の上木戸遺跡(長野県塩尻市)の土器です。水煙文よりさらに複雑な隆起しています。
4-4 ヒスイ
交流としては新潟県のヒスイが、各地の遺跡から玉や大珠に加工され出土しています。
まずこちらは、山梨の遺跡から出土しているヒスイです。
上木戸遺跡(長野県塩尻市)のヒスイの首飾りです。
こちらは新潟でも糸魚川から長岡に運ばれた例です。
静岡からもヒスイ大珠が出ています。
下記画像の下は、静岡県からのヒスイの小玉です。
隣は、サメ歯の形加工された例です。新潟県指定文化財です。
こちらのヒスイは、鰹節形、緒締形のほかに勾玉です。
4-5 土偶
続いて土偶です。女性や妊婦を表現したものと考えられていますが、精霊説などもあります。つながった眉に上向きの鼻は中部高地縄文の土偶の特徴であり、こうした土偶の広がりから交流がみてとれます。
まず、山梨県立考古博物館を代表する土偶の「いっちゃん」です。一の沢遺跡(山梨県笛吹市)の土偶ですが、仲間も引き連れて「いっちゃんシスターズ」と紹介されています。
こちらは、小さい土偶の仲間です。
長峰遺跡(新潟県上越市)の土偶は、新潟県で最小の土偶です。その隣、「おおきどくん」のニックネームのある大木戸遺跡(山梨県甲州市)の土偶です。
また、土偶の仲間ですが土器に土偶のような顔面をつけたもので、顔面把手といいます。
安道寺遺跡(山梨県甲州市)と海道前C遺跡(山梨県北杜市)のものです。
4-3 三角型の土製品
「謎の三角型の土製品」と紹介されていました。謎だけに使用目的は分かっていません。日本海側を中心に出土する三角柱の形をした土製品です。これが山梨県都留市でも出土しているのことから交流があったといえます。
こちらの、三角壔型土製品は道尻手遺跡(新潟県津南町)のものです。
左の3点の三角壔型土製品は山梨県からの出土しました。中谷遺跡(都留市)、郷蔵地遺跡(北杜市)、上の平遺跡(甲府市)のものです。
4-4 石器
石器の展示がありますが、すべて六反田南遺跡(新潟県糸魚川市)からのものです。
こちらの遺跡では、磨製石斧の未成品が大量に出土しているそうで、従来の剝離叩打による製作工程に加え、擦切り技法による製作工程も知ることができる資料です。
長野、山梨では石鏃に黒曜石を使いますが、糸魚川では鉄石英(赤褐色の石英)を材料に使っています。
第5章 中央日本4県の弥生文化
続いて、弥生時代の展示です。農耕などにより生活が安定すると広域交流はさらに活発になっていきます。長野、山梨の内陸でも、北陸地方を介して大陸と繋がりがあったともいわれています。
磨製石斧、鉄、青銅器、ガラスやヒスイの玉類、土器が活発に行き交っていきました。
5-1 縄文から弥生へ
弥生時代といってもいきなり生活が変化したわけでなく、縄文時代の名残もありました。フォッサマグナ地帯の「弥生化」は弥生時代中期ごろから見られるようになるといいます。
金の尾遺跡(山梨県甲斐市)の土偶(下記画像中央)は弥生時代初頭のもので、まだ縄文時代の名残りのある資料です。
また、岡遺跡(山梨県笛吹市)の容器型土偶(複製品)は、常設展示されているおなじみ資料ですが、女性のみを表現していた縄文時代の土偶とは異なって男女一対となっています。また、山梨県韮崎市の坂井遺跡からも男性像と思われる容器型土偶が出土しています。
弥生土器からも交流の様子が見て取れます。異なった特徴をもつ土器が各地で見つかるこかとから、土器を運んだ人の存在や、製作技法を持つ人の移動などが考えられるといいます。
展示には、南アルプス市の油田遺跡の土器があります。交流の様子が分かる資料として中部高地の土器と静岡系の土器が6対4の割合で出土しています。下記画像は、壺あるいは甕の一部ですが、中部高地系と有東式です。
川合遺跡(静岡市)の壺や甕ですが、こちらにも有東式、中部高地系があります。
下記画像はいずれも中部高地系ですが。左より、
桂野遺跡(山梨県笛吹市)
青木原遺跡(静岡県三島市)
金の尾遺跡(山梨県甲斐市)
金の尾遺跡(山梨県甲斐市)
5-2 大廓式土器
静岡県東部で作られたのが大廓式土器です。広域に移動しており、北は東北、西は奈良の纏向遺跡からも出土しているといいます。
また大廓式土器は初期の古墳からも多くみられ古墳時代への影響を知る上で注目の資料だといいます。下記画像の左は北神馬土手遺跡(静岡県沼津市)で弥生時代末期のものです。一方右は上の平遺跡(甲府市)で古墳時代前期のものとなります。
5-3 玉造りとガラス玉
弥生時代から古墳時代にかけて北陸地方では玉作りが盛んでした。糸魚川周辺のヒスイや佐渡の鉄石英、緑色凝灰岩を原料とする管玉などが作られ、中部高地などに供給されました。
山梨では、塚越遺跡(甲府市)からヒスイの勾玉が出としていて交流が分かります。
左より、
佐渡の鉄石英と管玉 春山B遺跡(長野市)
糸魚川のヒスイの勾玉 春山B遺跡(長野市)
ガラス玉の製造技術が伝わって鋳型から作られていたことを示すものとして、
ガラス勾玉 北神馬土手遺跡(静岡県沼津市)
ガラス小玉 北神馬土手遺跡(静岡県沼津市)
5-5 榎田型磨製石斧
榎田型磨製石斧は、榎田遺跡(長野市)にて石材を調達して加工しています。ただし、最終的には近くの春山B遺跡などで石斧として完成させてから各地に運ばれたといいます。
下記画像で、上は榎田遺跡(長野市)の磨製石斧です。ただし製作途中のものです。その下は角江遺跡(静岡県浜松市)のものですから、静岡県から信州産の石材が持ち込まれたことになります。
こちらは、上が春山B遺跡で完成させた磨製石斧です。その下のように静岡市から発見されています。
5-6 銅鐸
続いて銅鐸のケースがあります。いずれも静岡県からの出土品です。
後列にある、西の谷遺跡(磐田市)の三遠式銅鐸はたいへん大きなものです。
気圧の厳重に管理されているのは青木原遺跡(静岡県三島市)の小銅鐸です。小銅鐸は国内では四十例ほどしかなく珍しいといいます。
角江遺跡(浜松市)の銅鐸型土製品と、石製の舌(銅鐸を鳴らす棒)です。小銅鐸をサイズ的にも忠実に金属を使わずに再現しています。
第6章 古墳時代以降の中央日本4県
続いて、古墳時代の展示です。古墳時代に入ると各地に巨大墳墓が築かれるようになります。まだ法律や統一国家ない時代、各地の有力者たちは権力の基盤を維持するために、貴重な玉などの贈与をおこなっていたといいます。
地方ごとに地域の素材を使った玉作りが盛んになっていきました。貴重な石を使った玉は祭祀などに使われたと考えられています。
6-1 甲斐の水晶
甲府盆地の南、ちょうど山梨県立考古博物館の近くにある甲斐銚子塚古墳は東日本最大級の前方後円古墳して知られています。
山梨産の水晶を用いた勾玉から玉造りの様子が分かってきています。
水晶で作られた玉は古墳時代前期に各地に流通し、甲斐の有力者の基盤の支えになった可能性があるといいます。
6-2 石川条理遺跡
石川条理遺跡(長野市)の勾玉、管玉のほか腕輪など出土品がずらりと並びます。石川条理遺跡は古墳時代前期の有力者の居館と考えられています。ここでは、鍛冶道具が発見されていて、玉作りが有力者の居館で行われていたと考える貴重な例だといいます。
6-3 玉作り
古墳時代の前期、前方後円墳が造営が進むと玉類の消費は多くなり、各地で一時時な玉作りが始まったといいます。水晶やメノウ、緑色凝灰岩類、滑石などが加工されました。
辰年の展示
山梨県立考古博物館では、1月には毎年干支に関する展示を行っています。本年は辰年ということで、考古資料に描かれた龍(竜)を紹介しています。
まずは、県内の古墳から見つかっている銅鏡の龍を紹介しています。
亀甲柄古墳(笛吹市御坂町)の盤龍鏡は中国河北省で制作された特徴を持つもので日本では珍しいといいます。竜と虎が口を開けて向かい合う図像が表現されています。
続いて、かつて山梨から静岡への物流を担っていた富士川水運ですが、その積み下ろしの拠点である鰍沢の河岸跡から発掘された江戸時代の磁器です。竜の図柄を描かれたものがあります。
河岸跡からは泥メンコが多数見つかっています。泥メンコとは粘土を素焼きにした玩具ですが、その中から宝船の形をしたものを紹介しています。
おわりに
4県の埋蔵文化財を扱う中心施設から旧石器時代から古墳時代までの資料を集めており貴重な展示でした。展示会場はさほど広くはないものの、たいへん情報量の多い展示で、筆者も消化しきれていないで記事におこしてしまっている部分かあります。間違いや矛盾がありましたらお許しください。
参考文献
新潟県立歴史博物館編『発掘が語る地域交流─フォッサマグナがつなぐ新潟・長野・山梨・静岡─』第2版(山梨版)、山梨県立考古博物館、2023
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