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【‘‘揺らめく無調’’】

‘‘音楽を聴くこと’’は、日常生活の一部であり、私にとって気に入った音楽というのは何度も聴きながら、その音楽の歌詞やメロディが脳内で仕事やプライベートの時も関係なく流れるものだと定義しています。
クラシック音楽もたまに聴きますが、音楽史や音楽理論に触れる上で‘‘無調’’という言葉を知りました。
無調というのは、調性のシステムに基づかずに作られている音楽を 無調と呼んでいます。
一般的には、長調や短調によらない旋法性の音楽までを含むのですが、調性を特徴づける音階や和音が機能せずに、主音などの区別が希薄な状態を指していることも言われています。
そして、無調という言葉が内在した中で、ある時一本の映画作品を鑑賞しました。
それは、『TAR/ター』という作品であり『TAR/ター』は私自身にとっての音楽全般に関わる価値観を大きく変えたものだと実感しています。
『TAR/ター』については以前、X(旧:Twitter)に感想を簡潔にまとめたものがあるので引用したいと思います。


【感想/鑑賞】『TAR/ター』

ケイト・ブランシェット演じる、首席指揮者としてのリディア・ターは、地位や名誉も手にしながらも、自身の演奏と新しい作品による創作に思い悩みながら過ごしていた。
かつて指導した、ある若い指揮者の訃報が入ってから、ターはある事件へと巻き込まれていくことになる。
狂乱的な美の結晶であり、指揮者としての権力の本質、聖なるものと未知なるもの、そして彼女が表す‘‘鳥の歌’’。
音楽とは何か。抽象概念としての音楽が見事に溶け合って芸術へと生まれ変わる瞬間に感動を覚えるものがありました。
音から音へと空間を移り流れていく音楽に言葉はいらず、全てを物語る。


‘‘無調’’と『TAR』には関係性があるのではないかと私自身は感じられたところがありました。
無調には、中心音というものがないのにも関わらず、音楽的に見れば、本来は音楽として機能しているということが窺えます。
『TAR』は、映画と音楽、芸術性が混じり合って機能されたある意味では芸術作品としても考えられるのではないかと思いました。
無調の定義を借りれば『TAR』はあらゆる素材やテーマ性を内包しているがゆえ、無調だということが考えられるのではないかと考えさせられました。
作品を鑑賞するにあたり、場面ごとに無調は揺らめき、鑑賞者側に語りかける、もう一つのメッセージというものが伝わってくるものが『TAR』からは感じさせられました。
改めて、映画には、芸術性を越える新たな可能性を秘めた存在であるということを実感しました。

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