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[感想]【鬼滅の刃 無限列車編】

ー炎柱煉獄杏寿郎からみる、本当の強さについてー

これまでの私が記したnote記事では、読書にまつわる話題を中心に深く掘り下げて執筆を行ってきました。

今回の記事は映画の感想について、初の試みとなりますが、上手く魅力をお伝えしたいと思い記しました。

ぜひとも、この機会で取り上げる作品というのは土曜プレミアムにて放送されました、アニメシーリズ『鬼滅の刃』の劇場版である『鬼滅の刃 無限列車編』を早速、地上波にて鑑賞しましたので色々と考察していきたいと思います。↓

本作で大活躍するメインキャラクターでもある、炎柱の煉獄杏寿郎という人物にフォーカスする事でより、この作品の素晴らしさというのが実感出来るのではないかと思います。

誰よりも、熱い情熱と強さを誇る煉獄さんという一人の存在から窺える事、人一倍正義感の強い剣士であり、他者に対して思いやりの心を持った心優しい人物像であるという事が、炭治郎とその仲間たちと協力し合い、戦いの中でその姿は浮き彫りになって理解出来るのではないかと思います。

物語の終盤で、強敵である上弦の参の猗窩座との戦いの中で猗窩座から、「もっと強くなる為に、鬼にならないか?」と提案されるシーンがありますが、煉獄さんは猗窩座からの提案を断固拒否して、猗窩座にこういい放ちます。

「強さというものは、肉体に対してのみ使う言葉ではない」


この煉獄さんの発言から、彼の考え方、価値を提唱すると、猗窩座の考える強さというのはすなわち、肉体的な強さのみを示す言葉であり、煉獄さんの持つ価値のあり方というのは肉体と精神の2つを持ち合わせた言葉であるという事が解釈出来るのではないでしょうか。

こういった煉獄さんの持つ、本当の強さのあり方というのが、彼が柱になる程の強さを証明させているものであり、肉体と精神の双方を鍛える事というのは実際に学ぶべき事がたくさんあると感じました。

しかし、猗窩座との戦いによって力尽きた煉獄さんが最後に炭治郎を呼んで、話をするシーンは特に印象に残ったシーンでありました。


竈門少年、俺は君の妹を信じる


テレビアニメシーリズで描かれた柱合会議・蝶屋敷編での禰豆子が鬼であることで鬼殺隊員の一員としての理解をせず、煉獄さんは断固反対の姿勢でありました。

しかし、無限列車での禰豆子が乗客たちの命を必死で守る行動に胸を打たれ、煉獄さんの価値はここで大きく変わりました。

こういった意識の芽生えが生まれたのも、煉獄さんが正義感溢れる、心優しい人間像であるからこそだと感じられました。

そして、彼は炭治郎にある言葉を残し旅立っていきます。


胸を張って生きろ


炭治郎にとっても、映画の鑑賞者である私たちにとっても、強烈に胸に突き刺さる感動的なシーンでありました。

煉獄さんの鎹鴉が涙を流し飛び去っていくシーンは私自身、涙が溢れてとても辛く感じさせられました。

私たちが長い人生の中、生きていく過程で、困難な事、苦しい事、悲しい事など、人は必ずそういった場面に直面します。

煉獄さんの‘‘胸を張って生きろ’’という言葉は、現代に生きる私たちにとっても大切な考え方の一つであると思いました。

煉獄さんが持つ本当の強さについて、改めて見つめ直す時、胸を張って生きていく事で私たちは何十倍も何百倍も強くなれるとこの映画から感じさせられました。

本当に素晴らしい、映画作品に出会えた事は一生の宝だと思いました。




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