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[エッセイ]【‘‘外的と内的’’/AIと教育について】

-超AI時代においての、AIと人類の教育について-

動画コンテンツから学べる要素は、かなり大きいものであり、私自身もアイデアの発想へと繋げる為に活用していて動画は社会人にとって必要不可欠な教材であると考えています。
ですが、動画コンテンツが広く行き渡り、メディアとして一般化される位置付けにより学習向上にも限界点があるのではないかと感じることがありました。
動画コンテンツによる学習は使い方によっては、使う人の特性にもよるかと思いますが、動画が学習に適したものであれば優れた学習結果をもたらすものだと考えられます。
ですが、2024年にかけて動画コンテンツの学習よりもAIを使った教育指導の方が生産性が良いと知ったのはある動画から学んだことであり、AI時代におけるAIの役割はついに教育まで拡大したことは大きな発見でもありました。

AIの特性を考える上で、ホワイトカラーとして属する文章生成をAIに任せ、要約した学習要項を習わせて、個人のスキルに合った教育指導者としてAIは人を育成し、AIと人との親和性はより深みを増すものだと考えられます。
ある分野に関しての学習内容の要約を人が仮に行うとして、AIは人の要約力よりもはるかに越えた分析力、要約力を兼ね備えているので、そうした作業はAIが行い、人はその要約されたテキストから学ぶこと(アウトプット)することにより、最適な学習方針として有効だと思われます。
動画内にも述べられていた‘‘オタク性’’というのは、とても重要なものであり、誰もが知っている知識だけでは専門性を磨くことは出来ないものでありますし、平均的な知識しか学習することが出来ない問題が生じてしまいます。
オタク性とはすなわち、ある分野に特化したマニアによるものであり、その分野に関しては誰も知らないようである知識を持つことが極めて重要であることを学びました。
オタク性の良いところは、自分の好きなものしか興味はなく、その分野に関してどれだけ学んでも苦にならないことが利点だと考えられます。
落合さんの言う、‘‘マスから離れてオタク性を極めよ’’という言葉はこれからのAI時代にコミットした考えであり、時代の変化に伴い、私たちの価値基準もあらゆるコンテンツの利便性や可能性を考えながら使いこなすことが求められるのではないかと感じました。
教育は、動画コンテンツからAIコンテンツへと移り変わり、AIが学習する時代から人へ学問を学ばせる時代にもなってきたことは驚きがありながら、教育とAIの問題は掘り出せば発見出来ることがたくさんあるかもしれないと思いました。

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