【‘‘箏曲 ’’】
鼓動
いつからでも、新しい物事や分野に触れて、能動的に学ぶことは楽しいことのように思える。
ぼくにとって、読書はそうした学びの原動力でもあるし、だからこそ、かけがえのないものだと感じる。
混合
楽しいことも、嬉しいことも、苦しいことも、悲しいことも、全ての感情が混ざり合うことで今があるんだと実感している。
断片的な気持ちも、いつかは文体に乗せてきちんとした文章として伝えること、それこそが理想だと思える。
創るものの言葉
あらゆる素材や要素は書く為には必要なことだと思う。
思いや考えなどが話し言葉になる以前に、書き言葉として変換される。
そうした過程の中で、創るものが出来上がるのではないかと、そう思えるようになった。
気持ちに触れる
無意識的に考えごとが溢れだして、気持ちが苦しくなることがたまにある。
心の奥底にある白紙に書き連ねても、時間が経てばそれはまた白紙に戻ってしまう。
何かを書いている間、もしくは音楽や本を読んでいる間だけ、気持ちが救われている、そんな気がする。
箏曲
いつかは離ればなれになってしまうのではないかという気持ちに苛まれてしまう。
振り返る度に、そう思うと自然と涙が溢れてくる。
感情は、箏曲のようだと感じる。
刻まれた記憶
思いや考えなどをただ書き連ねても、いつかは忘れ去られるものだと感じる。
季節の移り変わりのように、自分も相手もあの頃に抱いていた気持ちはまるで違っていて、忘れない為には直接、記憶に刻むことだと思える。
人の心
価値観が合うというのは、どちらかが合わせることで成り立つものなのではないかと、ふと感じる。
合う、合わないというより、バランスを保ちながら人間関係を築いていくことは未だに難しく思うことがある。
余白から
考える時間が必要だということと同じく、何も考えない時間もまた大切なことだと思う。
後者の方は、案外誰しも行っていることはなく、余白を作ることを念頭に始めなければいけないものだと感じた。
共存する日常より
ありふれた日常にこそ、幸せがあるもので、そうした小さな喜びや感動というものに気付けることはほぼないことだと思う。
対するに、悲しさや苦しさに苛まれることがあっても、時間が経てばそれはほんの些細なことだったように感じる。
繋がりというものがあるように、運命というものも共存するものだと思う。
学びのリビドー
抽象的な芸術や概念を描くということは本来、映画や音楽などで表現させることで伝達の役割というものを担う働きがあるのではないかと思われる。
‘‘分かる’’と‘‘分からない’’という制約から離れた、興味や関心といった学びのリビドーを持ち合わせることが必要なことなのかもしれないと感じる。
無垢なままに
記憶の細部から、思い出が自分を救ったり、苦しめることがあることを知ってから、私の中で何かしらの変化が起きたことは確かなことである。
出会う人たちによって、幸福か不幸になることもありえることだが、私にとってそれは両者でもあると感じた。
生の中で、感覚に沿いながら生き続けることで、出会いと別れは必然的なものであり、何も考えないでいることが本当の生き方なのかもしれない。
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