他人を見下すということ
他人を見下すという行為は麻薬に似ている。
悪意を以てヒト様の心を踏みにじったり、金銭を搾取したり、時間を食い潰したりするとちょっとした優越感に浸ることが出来る。
不当な事をしているのにも関わらず、お咎めを受けない自分が特別な存在に思えてくる。
そして、不当な事を繰り返す内に自分が「悪い事をしている」という自覚も無くなってしまう。
常識的な善悪の区別が無くなるからだ。
麻薬中毒者も最初は「法律を破っている」という罪悪感を持っているらしいが、気づいたら「法律を破っている」状態が普通になっている。
これと同じことが他人を見下した人間にも起こっているのではないかな?
奴らが勘違いしているのは、お咎めや報復を受けないでいられるのは自分が特別な存在という訳でもないし、相手が自分よりも弱いという訳でもないということだ。
他人を見下した人間なんてのは間違いなく単なるクソ野郎だし、咎めや制裁を喰らわないでいられるのは相手の弱さではなく優しさだ。
そんな優しさも限界に達したときに、報復や制裁を受けることになる。
文春砲で失脚した人たちが良い例じゃなかろうか?
一般論として、「叩けば埃が出る」人間は自分が身にまとっている埃の存在を知っている人間に「叩かれない」様にするのが安全パイだと思うが、文春砲被弾者達をみていると相手を見下しすぎてソレを忘れているように思われる。
「他人を見下す」という行為はその場はちょっとした優越感や有能感に浸ることが出来るが、報復や制裁といったリスクが伴う上に善悪の区別も出来なくなってしまう麻薬なのだ。
謙虚さが自分を守るかは分からないが、横柄な立ち振る舞いが将来、身を滅ぼすことになるのは間違いないだろう。
つーか、他人には謙虚に接した方が人生は楽しい!笑
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