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2023!!!!


なんかずっと公開しないで保存欄になりそうだからもう、確認せずに勢いで投稿します笑

やっぱり恥ずかしいね、こういうの書くの

こんにちは、こんばんは、あずです。
ついに2023年も終わりかあ、、、かなしいねぇ
ってことでなんとなく感じたままに一年そして過去を振り返っていきます。
濃かったなこの一年、本当に


私の過去

あ、ところでみんな私21歳なのになんで大学2回生か知らない人多いよね。
まずここなんでかも話していきますね。特別な理由ではないけれど。


今は「関西学院大学」に通っている私ですが、前は名古屋の看護学部がある大学に通っていました。

元はね、小学生の頃から漠然と医療福祉の仕事に興味があったの。多分これは親戚の影響なのかな。というのも、私の親戚はほとんどが看護師や助産師、保育士、医者と言った、医療福祉系とか保育系といった「誰かに寄り添う」形の仕事についているの。両親は違うんだけどね。

その影響もあってなんとなくずっと憧れていた。小学生の頃は、管理栄養士になりたくて、中学生の時は看護師かなって思ってて卒業文集の将来の夢書いたな〜。

そのまま高校に上がった。1、2年生の頃はなーんも考えていなかった。めっちゃ楽しかった。けど、いよいよ2年生の冬。進路を考える時期。

なんも考えずに第1志望校から第5志望校まで看護学部で埋め尽くした。もうこの頃には夢とか考えてなかったんだよね。看護師になることをなんとなく決めつけてた。みんなに「看護学部行く」っていうと、自分の性格とめっちゃあってるって言われるし、将来の心配がないから基本どの先生からもいいねって言われる。看護師の親戚からは喜んでもらえて、なぜかたくさんいた看護師志望の友達からも一緒に頑張ろって言われて。

でもだんだん気づいていた。憧れてはいるけど、なりたい職業ではないんだなって。でも気づかないふりしてた。
興味があることは徹底的に調べる私は、保健師という仕事の存在をうっすら知っていた。保健師とは病気の予防や対策をするお仕事。看護師の国家資格を持っていて、なおかつ保健師の国家資格を取ることができればなれる仕事。

私はなりたい職業を変えて、大学4年間で看護師と保健師の国家資格をダブル受験して、保健師になると決めた。

まあ、こんなことを考えながら、看護学生になった


大学生1

看護学生になったからにはちゃんとやる気は満々だった。なぜか大学1年生から1教授につき生徒が3〜5人というゼミ制度がある前の大学の手厚さはすごかった。ゼミのメンバーは学生番号順に割り振られ、偶然にも学部長のゼミになった。ゼミのメンバーは4人、そのうち私含めて3人が保健師になりたいと言った。勉強に関しては、1年の春学期なのにみんな看護学生専用の自習室に通っていて、すごい勉強への熱量がすごかった。まあ、もちろんあの最高の立地にある大学のおかげで、学校帰りにバイトしたり、遊んだりもたくさんしてたんだけどね。

だけど2021年の春。
2020年から本格的に蔓延し出した新型ウイルス。
その影響で、看護学生である私たちは、毎日毎日まいにちまいにーち口酸っぱく感染しないような行動を取りなさいと言われた。

まあこの道を選んだからにはしょうがないことなんだけど、毎回の授業の最初の15分、なんなら毎週のゼミでは100分間の授業全部がコロナの話しかされないのが辛かった。
なにも発展することのない議題をずっと掘り返されるのがたまったもんじゃなかった。

そして思い出すようになった。保健師・看護師になりたっかったんだっけ、と。ずーと毎日悩んだ。
周りには、ずっとコロナの話をされても、看護師・保健師になりたいんだという仲間。普通に自分がこんな気持ちでなっていいものかと思った。

このタイミングで緊急事態宣言よって学校に行くことができずリモートになった。もうやめようと決心した。

まあそんなこんなで、両親と結構真剣に話し合い、学部長とも話し合い、友達にもやめることを伝えて、7月8日に正式的に退学した。

みんなに泣いてもらえたのが嬉しいけど、本当に辛かった。
前の大学の友達が今でも仲良くしてくれるのが本当にうれしいんだよな。



見ての通りの退学届
自分たちで色決めして、名前まで掘ってもらった聴診器


受験勉強、再び

退学してからの行動は本当に早かったと思う。確か、退学書類を出しに行ったその日に予備校を調べて、次の日次の日には説明会に行っていた気がする。

そんなこんなですぐ受験勉強を再開した。
が、最初びっくりした。受験が終わってから約5ヶ月何も勉強していなかっただけで、こんなにもなにもできなくなっていることに。本当にびっくりした。数学だったら公式がすっと思いつかないし、英語だったら単語がまず出てこない。

だけどもうあとに引けなくなった私はやるしかなかった。
もとからそこまで効率のいい人間ではなかったから、勉強時間だけは誰よりも頑張った。

将来の夢を決めてしまうような専門職を今決定するのはダメだなと感じて広い考えでは何にでもなることができ、数学がまだ好きだったため経済学を選んで、関西学院大学経済学部に入学した。



2回目の大学一回生

そうだ関学を選んだ理由話してなかった。
将来のこと、退学までの道は真剣だったけど、ここは言ってしまえばフィーリングなんだよね。あと、だれも知らない、だれも行っていない大学に行って、みんなとは違う道を開拓したかった。

愛知の人だったら少しわかると思うんだけど、あえて兵庫の大学行く人って少ないんだよね。京都とかはたくさんいるんだけどね。
それを調べてたから、ここかなって思ったの。


ってことで大学一年生改め、大学一回生の始まりです

えっと一言で、楽しかった。なんか大学生してた。
普通にどちらかというといい成績取ってたし、学校もバイトも遊びも充実してたと思う。
普通に楽しかった。


TABIPPOに入った理由

大学は楽しい。うん、楽しいんよ。満足してた。

でもさ、何かが物足りなかったんだよ。
大学変えてまでの何かがあったかと言われたらなんも思いつかんかった。

だから何もない日に図書館に通って勉強するようにした。

ある日、なんとなく旅行雑誌がたくさん置いてある場所に目が止まった。

あ、留学したいかも。
さすがに大学入り直すまでして両親には迷惑かけているから、自分の貯金の範囲内でと考えると、短期の2週間程度の留学しか思いつかんかった。
そして学校の留学制度を調べて、2回生の春に留学に行く気満々だった。

だけど、抽選に落ちた。なんか思い描いてたこと全部パーになった気分になった。


そんな時偶然TABIPPOの写真集を見つけた。
なんか聞いたことある会社だなと。
あ、そういえば、中学の同級生がなんか言ってたなと。

半分留学いけなかったやけくそで連絡取ってみた。

そんで流れるままに加入していた。

旅に別に興味なかったし、この時は自分が打ち込めそうなものだったらなんでもよかった


TABIPPOに入って

ただ自分のなかで決めていたことがあった。

自分って人生の中で真剣になったことあったけって。ずっと考えていた。
頑張ってはいたけど、真剣になったことがなかった気がした。

だから今度こそは、真剣になろうって。合わなかったとしても、とりあえず真剣になってみようって、決めて入った。


だから、ほとんどのイベントに参加するようにした。
みんな本当に心の中からいい人だなと思った。居心地よかった!


チームリーダーとは

いつもだったらいろいろ調べているはずなのに、TABIPPOの場合は勢いで入ってしまったため、なにもチームについて知らなかった。

なんのチームやりたいって言われた時、なにも思い浮かばなかった。
強いてゆうならクリエイティブかなって考えていた。
私の性格上、物を作るのが好きなのと凝り性な部分がある。この中だったら強いていうならここが一番自分にぴったりかなと。

あ、そういえば幼馴染に相談したわ!そうそう、幼馴染にもそう思うって言われたわ


だけど、代表から、リーダーに向いてるんじゃいか、イベントチームのリーダーやってみないかって言われた。素直に嬉しい気持ちと、不安を同時に感じたけど、やってみようって思った。


結論から言うと、イベントチームリーダーやってよかった。


だけどこれが結構辛かったんだな。

全然チームを動かせない。みんなから返信すら返ってこない。みんなの良さを引き出せない。みんなを頼れない。自分のやりたいがわからない。

負けず嫌いだから、意地で動いてはいたけど、結局私一人のパワープレーになることが多くて体力的にも精神的にもしんどかった。
他のチームのリーダーがうまく動かしているのをみて羨ましかった。


でも結局、私がメンバーを信じれずに頼りきれてなかったし、信頼できてなかったのが原因だった。

それをすごく感じた数ヶ月間だった。
私がリーダーでよかったのかは今もわからないし、いいチームになったかと言われたら、うんとは言えないけど、悩みながらもがいてもがいて何百歩も成長したとは思えた。

ただ、たぶん自分にイベントは合ってなかったけど笑

自分が最初に決めていた真剣に何かをすることはできたのかな



Backpack FESTA ってなに?

Backpack FESTAってなに?
その質問には私もいまいちよく答えられない。

旅を広めるって何?

正直に言ってまだ旅の本来の魅力が私にはわかっていない気がする。
いや、わかっていない。

自分がアウトドアなのかインドアなのかもわかっていない。
旅ってアウトドアかインドアかの問題ではないのだなとも感じるけど。

うーん旅ってなんなんだろう。わからん!

でもこういう人って学生支部の中にもまだたくさんいるんじゃないかな

旅って何?なんで広めてるのって言われてみんな答えられる?

でも思った。Backpack FESTAに来る人のほとんどがこの状態だよね。
だったら、私は「旅を広める」んじゃなくて「みんなで旅をみつけたい」
私たちが旅を広めるgiveをするんじゃなくて、旅についてお互いみつけるgive & take がしたい。私たちがお客さんと同じ立場になって一緒に感じたい。


ごめん、旅を広めたいと思っている人、これが私の本音です。

でもこう考えるとBackpack FESTAって本当にたくさんの人に届けられるじゃん。


監督として

リーダー辞めたいって思ってたのに、結局またロビー装飾という立ち位置の監督(リーダー)になった。

これも最初はやる気なかったけどね笑

でもこの立ち位置にしかない魅力とやりがいがあるんだなとは、このチームが始まったばかりの今の時点で気づけてはいる。
私を全力で支えてくれる監督補佐がいて、リーダーがいて、仲間がいる。
なんかね、このチームならいける気がするんよ。
いま楽しいんよ!!


このチームは何より私のテーマとして「みんなで」を掲げている。

みんなで考えて、時にはみんなで失敗して、みんなでいいねって言い合える、そんなチームを目指してるんだ

つくれる。「みんなで」なら絶対。

私が前までできなかったことを成長させて、今までの成長をさらに加速させる機会を作ってくれたんだな。


みんなへ

いつもありがとう。楽しい、全力で。時には、ってかしょっちゅうしんどいこととかあるけど、それを上回るくらい全力で楽しい。
それはやっぱりみんなのおかげだと思う。

私が最初にTABIPPOに入った目的はとっくの昔に達成できてる。だけど、なんかそれだけじゃ物足りなくなっちゃたんだな〜。
もっと「みんなで」すごいもの・楽しいもの作っていこうよ


最高Max ありがとう幸せ


空いてる人はぜひ来てください!最高の仲間と最高のものを作りげます!!

https://bpf.tabippo.net/2024/

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