クラブ活動が盛んな我が校では、 夏休みとはいえ、 多勢の生徒が、 早朝からグランドや体育館で 練習しています。 私も入試小論文の指導のため、 学校に行っています。 朝から凶暴な暑さにゲンナリしながら、 日傘をさしながら歩いていると、 後ろから DK(男子高校生)の会話が 聞こえてきました。 「あの店はサイコーやで」 「行ったん?」 「電車代つこてな」 「気合い、入ってんな」 「いやー、うまかった」 「せあぶらがたっぷりや」 ラーメン屋さんの話です。 駅から学校までの1
不覚にも、 珍しく体調を崩してしまいました。 私は30代〜40代のころ、 教師の仕事は、代替不可能だと思っていました。 だって相手がナマモノですからね。 だから、 「絶対に休めない!」という覚悟で 毎日必死でした。 月曜日から土曜日まで。 朝は7時すぎには家をでました。 帰宅は早くても午後7時か8時。 遅いときは10時、11時でした。 最寄り駅のお弁当屋さんも シャッターが下りていました。 若かったので、 無理ができたのだと思います。 そのときは生徒たちのためになるこ
国際科の生徒たち90名に 「太平洋戦争」に関するレポート (トータル5000字〜8000字)を 課しました。 「えぇ〜⁉️」 「無理やわぁ」 の声。 これくらいの字数だと、 舐めてはかかれません。 「鬼というならおっしゃい」 「計画と覚悟が必要だよ」 そして、レポートのレイアウトや 構成を指示しました。 レポートの締め切りは 2週間後の20:00。 Webでの提出です。 このレポート学習の目的は、 ①大学で書くレポートの練習をする ・端末を利用して提出 ・提出時
先週のこと。 3年生の古典の授業を終え、 プロジェクターの接続ケーブルを 片付けていると、 Sさんがすうっと近づいてきました。 「今日の放課後、お時間ありますか?」 Sさんは1年生の時から受け持っている女子生徒です。 もの静かな女子で、 休み時間もひとりでいるので、 気になっていました。 担任は若い男性の数学教師Y先生です。 Sさんと話すことをY先生には伝えておきました。 放課後、Sさんはメモ帳とペンを持って来ました。 「進路の相談?」 「はい。将来、ラジオ局に 就
中間テストも終わり、 授業は新しい単元に入ります。 私は3年生の国際科で 現代文を担当しています。 教科書の最後に載っているのが、 半藤一利さんの文章 「15歳の東京大空襲」です。 九死に一生を得た体験を、 感情を抑えながら、 わかりやすく書いてあります。 ここ何年も、 「戦争」に対する生徒たちの感覚が 鈍いと感じていました。 記憶も鮮明な「阪神淡路大震災」も、 「生まれてへんから知らん」 と生徒たちには「昔」の話。 2022年は終戦から77年。 彼らには「大昔」で
来週から始まる中間テストの解答用紙を作成していたとき、 「先生、お久しぶりです。◯◯です」 と、図書館に入ってきたのは卒業生のYくん。 髪はロン毛で、前髪はカチューシャどめ。 ショッキングピンクのソックス。 陽焼けした顔。 名乗ってくれなかったら、 誰だかわかりませんでした。 入学式の直後、 「お話があります」とYくんのお母さんが来ました。 お母さんは、イチゴの飾りがついた髪留めをしていました。 1時間、話し続けられました。 深夜までゲームをしているYくんのことで悩み続