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名前の由来。漢字は表意文字。

「漢字ってさ、いいよね。意味があって」

英語がまったく話せないのに、年下学生アメリカ人と20代前半で結婚し、アメリカに10年以上は住み、4人の娘を育てている友人の言葉。
彼女が一時帰国している時のことだ。 

「ん?どういうこと?」
私は聞き返した。 

「ひらがなとかカタカナの人もいるけど、たいていの人は名前が漢字でしょ?」
小学生の頃から幼馴染のようにすごしてきた彼女の語り口調と目力を見て、これは途中で意見しちゃいけない、聞くことに徹底しなくちゃいけない流れだと確信した私は「うん」と相づちをうった。
「あれ、いいなぁって」

「日本に帰ってきた時いつも思うんだよね、あー日本っていいなぁ!って。飛行機から降りて案内看板が日本語表示されているだけで感動する」
「そうなんだ」
生まれて30年以上たつが、国内線にしか乗ったことしかない私には分からない感覚だった。しかも飛行機に乗ったのはたった2回だけ。

「空港で働く人の名札を見て、あっ、漢字だって」
「うん」
「娘たちはハーフだから、ミドルネームを日本風にしたり、漢字ではこう書く!って決めてるんだけど」
「うん」
「アメリカにいると使うのは当然だけどアルファベットだけだから。娘たちの名前にはこんな思いをこめてつけたんだよ、っていうのが他人から見て分からないんだよね。日本に帰ってきてテレビにでてる人の名前を見ると、なんだか寂しいなぁって思うんだ」

数年前の会話なので、言葉の言いまわしは違うと思うが、内容はあっている。

友人が言っていたように、
例えば“優子”だったら、優しい子に育ちますようにとか、優秀になれますようになどの願いがこめられたのかなぁと他人が見ても想像がつく。

それって、特殊でいて、素晴らしい文化なのではないかなと思う。

名前をつける。そうそうない素晴らしい機会は、ペットを飼ったこともなく兄弟もいない自分にとって、はじめての名づけは娘だった。

私は妊娠中に、お腹の子が女の子と分かってから名前の候補を考えてみた。
まず、決めたのは苗字が四文字音の濁点つきで、ごつい印象があるので、名前は音がコテコテ系ではなく、あっさり系がいいなということだ。

子供の名前をつける人は夫婦だったり由緒のある神社仏閣だったり人それぞれだろうが、私たち夫婦の場合、いくつか名前候補を私が考え、実際に生まれて顔を見てから夫が決める、という形をとった。
何故か?
お腹の子が女の子だとわかった時点で、「なんて名前をつけたい?」と夫に聞いた時、彼はニヤッと笑い
「子猫と書いてキティちゃん!!」
と、元気いっぱいに言い放ったからだ。
冗談だとはすぐに分かったが、それと同時に理性が「こいつに名づけをまかせてはダメだ」と警告したのだ。
待望の第一子の名前でちゃかすな、この野郎。である。

細かいところでこだわったことは、苗字が漢字2文字なので、名前の漢字を2文字、苗字と名前あわせて漢字4文字表記にしたところだ。
私は名前が漢字1文字表記なので、名前を書く時、主に習字の時に行間のバランスをとるのが難しくストレスだったからだ。
夫からは、「気になるとこなの、それ」と言われたが、冗談でも子猫というヤツに文句言われたくない、と退けた。

具体的な名前を考える際に、ネットで“子供 名前”と検索した。
これといって絶対これ!というこだわりがなかったからである。
今時の流行りの名前はなんだろう??くらいの気持ちだったのだが、検索の仕方が悪かった。
でてきたのは“苗字と相性のいい名前”“姓名判断”。
う~~ん。
占いを基本的に信じていないので、なんか違うんだよなぁ……と思いながらも、モノは試しと思い、苗字を打ち込み、苗字と相性のいい名前一覧をクリックした。
う、う~~ん……
画面上は姓名判断的に良い結果から表示されていた。 
コテコテ系の漢字3文字表記の名前がズラッとでてきたのだ。 
それと、パッと見ただけで、読みがスラッと出てこないのだ。
素直にさらっと読めないのって、ストレスだな……そう思ったのだった。

検索結果で、音3文字にたいして漢字3文字をあてがった名前候補をジッと見ていて思ったことがもう一つ。
これ、説明しても時間がたつと一つ一つの漢字を忘れられてしまうパターンではないか?ということに。
私は名前の漢字を間違えられるのに、苦い感覚を味わってきた。
私の旧姓は“伊東”である。イトウという苗字は割と多いのだけれど、主流は“伊藤”。
自己紹介の時に、「伊豆の伊東です!」と言っても、必ず誰かに間違えられてきた。
年賀状に、診察券に。凄いところでは新卒ではいった会社の名簿は2年半あまりで退職するまで、ずっと伊藤表記だった。
漢字1文字間違えられるたびに、「自分じゃない」という感覚が沸き上がるのだ。
日本人の大多数の人がイトウと聞くと、“伊藤”を思い浮かべてしまう結果だと分かっていても、やるせない気持ちになるのだ。
ワタナベと聞くと、「ナベの字は何?」と気にするのに、何故イトウは気にしてくれないのだとも思ってきた。
苗字で感じるなら、名前で漢字を間違えられるのはなおさら嫌ではないか。

いろいろ考えているうちにわけがわからなくなってきた。
そんな時に思い出したのは、冒頭の友人の言葉である。
「漢字っていいよね。意味があって」

そして私は本棚から漢和辞典をとり、ペラペラとめくりはじめた。
意味の気に入った漢字を1つ見つけよう。そしてその漢字を名前で使おう、と。
高校入学時に購入した漢和辞典は、あまり使った記憶がなく手垢はほとんどついていなかった。
人生でこんなに真剣に辞典の1ページ1ページを見る日はおそらく2度とこないのではないかと思うほど、目をこらした。
そして見つけた。
『知』である。
音訓索引に並ぶ漢字のなかから、何故か目を奪われたのだ。
調べてみると、漢字の成り立ちとして事を正しく言い当てるの意。転じて、物事の道理を「しる」の意に用いる。
とあり、これだ!と思った。
さらには、物事の道理を分別する心の働きとあった。
一目ぼれってこういうことを言うのではないかしら。と思うほど、他の漢字は考えられなくなった。
辞書が大好き!という方の気持ちが少し理解できたのもこの時である。

娘には今、『知』の漢字をつけた名前を使っている。
娘が大きく成長している頃には、きっと今よりも世の中は複雑で何が正しくて、何が間違っているか判断しづらくなっているのではないかと思う。
そんな中でも生きる力を身に着けて、自分の足で歩いてほしい。そんな願いをこめた。
願いはこめたが、それが負担にはなってほしくないなとは常に思う。
「名前は親が子供にあげる最初にプレゼント」って、誰がいった言葉か分からないけど、もらって嬉しいプレゼントもあれば、微妙だったり、正直いらねぇわって思うプレゼントもある。
名前が誇らしく思えるには、子供の人生に干渉するのではなくて、愛情をもって支えることができた時なんじゃないかなと、母親3年生の私は思うのである。







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