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10:おばあちゃんと砂丘と殺意

 夏の鳥取砂丘を見ると、一度だけ行った時の地獄を思い出す。
 前記事でおばあちゃんの家を『灼熱地獄』と表現した。

 が、本当の地獄は真夏の鳥取砂丘にあった。


 折角だから、おばあちゃんも一緒にお出かけしよう。車があるから、多少の遠出も出来る──そう考えて選ばれた先が、鳥取砂丘だった。
 父が幼い頃、一家で時々訪れたらしいその場所は、誰もが知っている鳥取県の観光名所のひとつである。
 当時の私も、よく知っていた。と言っても、知識は本やテレビで仕入れられる程度のもので、砂や空気の熱さだとか、入り口から日本海を眺められる砂山の頂上までの距離なんかは全く知らなかった。
 砂丘に降り注ぐ日差しの強さは如何ほどなのか。まともに朝食も食べず、飲み物も持たず、タオルと日傘一本というお粗末な装備で挑んだら、どんな目に遭うのか。母と私は想像もしていなかった。

 そして、おばあちゃんと父が「自分達は近くの喫茶店に居るから」と言った意味も、まるで分かっていなかった。


 雲一つない青空が頭上に広がる鳥取砂丘は、熱かった。
 いま考えれば至極当然だが、鳥取砂丘に日陰はない。
 殺人的な太陽光が、母と私を襲った。熱風が行く手を翻弄し、豊富な砂が足下の邪魔をした。信じられないほど強い照り返しに、目が潰れて開けていられなかった。
 テレビの映像では「あっという間に砂山のテッペンに辿り着けそうだなあ」なんて思ったのに、実際はめちゃくちゃ遠かった。暑さにバテて歩みが遅くなる所為で、余計に遠く感じた。丁度真ん中辺りまで辿り着いた時、鳥取砂丘に来たことを後悔した。なんでこんなとこ来たんだ。『砂丘』っつーか『砂漠』じゃん。日本に砂漠あったじゃん。鳥取砂丘じゃなくて、鳥取砂漠に改名しろ! とボヤいた。

 ここで引き返せば良いものを、私達は引き返さなかった。途中で止めたら悔しいと考えたのだ。あの時に戻れるなら頬を張って「命を大事にしろ!」と叫びたい。
 砂山の麓に立ち、頂上を見上げる。抱いた感想は「壁じゃん」の一言に尽きた。
 余計に後悔した。なんでこんなとこ来たんだ。しかし、麓まで来た故、一層引き返すわけにはいかない。何のために此処まで来たんだ。せめて日本海を拝まなければ……!
 最早、暑すぎて汗も出なくなっていた。
 えっちらおっちら。ヒーヒー言いながら、母と砂山を登った。山頂から見た日本海は素晴らしかった。白波の立つ海を目にしたお陰か、吹いている風が若干涼しく感じる。地元の人達か、子供や若人が叫びながら転がり降りて、波打ち際で遊んでいた。少し羨ましい気持ちになったが、母に止められた。

「行ったら、この山をまた登る羽目になるよ」

 ごもっともである。
 それは勘弁と思い止まった私。えらい。

 地獄は始まったばかりだ。


 今でこそ『熱中症』の三文字が定着し、季節関係なく注意されるようになった。が、当時はまだ『熱中症』『脱水症』『熱射病』の認識はやや曖昧。炎天下で運動する際は十分に注意しても、炎天下の観光地では、それほど重視していなかった。

 文字通り、「行きはよいよい帰りは怖い」が待っていた。

 恐らく、汗が出なくなった時点で重傷だったのだろう。
 行きの時点で、喉の渇きは相当なものだった。けれど、帰りは渇き過ぎて吐き気がした。頭が重くて足が覚束ない。一歩踏み出す行為が、経験したこと無いほど辛い。頭が痛い。気持ちが悪い。
 すぐ隣に居る母の声が、理解できない。
 目の前が、テレビの砂嵐みたいにチカチカして見えなくなる。
「あ、これはヤバい」
 本格的に危険を感じた。
 同時に、物凄く怖かった。
 母に断って立ち止まると、チカチカが治まって視界が戻ってきた。でも、再び一歩、二歩と歩くとテレビの砂嵐が発生する。
 チカチカして何も見えない事を伝えると、母は焦って私を抱えた。『抱えた』と言っても私の方が体躯が大きいので、ほぼ引きずる形だった。

 その後の記憶は酷く曖昧である。
 ただ、よく憶えているのは「このまま倒れてしまったら、いっそ楽だろうな」という考えだ。
 本当に倒れてしまいたかった。けれど、マジで倒れたら母含め多方面に迷惑が掛かるので、意地で足を動かした。足を動かすことだけに集中したと言っても良い。エヴァ初号機の初発進時ばりに「足だけに集中するのよ!」と自身に強く言い聞かせていた。
 次に憶えているのは、おばあちゃんと父が居る喫茶店の横にあった土産物屋で、倒れ込むようにして飲んだポカリスエットの味だ。アクエリアスだったかもしれない。
 兎に角、あんなにスポーツ飲料を「美味しい!!」と感じた経験はない。大げさな比喩でなく「これぞ命の水」だと泣きそうになった。五百ミリリットル缶の、約三分の二を一気飲みしたのも人生初だった。

 そして最後は、喫茶店内で寛ぐおばあちゃんと父を目にした時の殺意である。
 いや、二人に対して殺意を抱くのは全くのお門違いだ。
 真夏で快晴の鳥取砂丘をナメていたのも、実際の砂丘がどれだけ広く熱いか知らなかったのも、水分を持たず、帽子さえ被らなかった迂闊さも、全部自分の責任だ。自分達の責任だ。
 クーラーがガンガンに効いて冷え切った店内で、コーヒーだのアイスクリームだのケーキだのを食べて、まったりのんびり過ごしていたって何の罪もない。そう、圧倒的な無罪。おばあちゃんとお父さんは何も悪くない! 無罪だ!
 だけど、それでも矢張り「行く前に忠告してくれたって良かったんじゃねーの?」と思った。
 せめて「飲み物ぐらいは持って行きんさい」の一言があっても良かっただろう。
 なーにが「自分達は近くの喫茶店に居るから」だよ。
 なーにが「随分と遅かったなあ」だよ。
 なーにが「こんなようけ天気の良い日に行くなんて」だよ。
 私達、鳥取砂丘の中心で!!! 死にかけてたんだよ!!!!!
 さてはお前ら、死ぬほどクソ暑いって知ってたな!?!?!?

 ……とは、流石に言えず。
 殺意を隠して、「思ってたより大変だったよ」と笑った。
 身内に(しかも血縁者に対して)あんなにも強い殺意を抱いたのは、生まれて初めてだった。

 夏の鳥取砂丘を見ると、味わった苦しみと恐怖と殺意を思い出す。

(続く)

※副題『熱中症には注意しよう』

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