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【連作】ポーカーフェイス

 先生の表情が死んだ。

 元々、表情筋の活動量が乏しい人ではあった。笑顔は精々微笑み程度。口角がグイッと上下することは無く、目が見開かれることも、半目になって所謂『ジト目』を作ることも無かった。不機嫌だとか不愉快だとか、体調不良の訴えでさえ眉間を二ミリほど顰めるだけで済ませる人であった。
 この件に関して、他人は「省エネ」と称している。
 が、私は「ナマケモノ」だと思っている。
 先生の表情筋はナマケモノだ。いや、ナマケモノに喩えたら、動物の『ナマケモノ』に大変失礼である。働いたら負けだと思っているニートと言った方が良い。

 先生の表情筋が怠けることで最も苦労するのは、痛みや苦痛に対する訴えを表現しないから、酷く不気味でゾッとする現象が大発生することだ。
 喩え両腕が粉砕されていても、大腿骨が肉から飛び出していても、骨盤と脊髄を破壊されて歩行不能になっても、頭蓋骨が陥没していたって、まるで取り乱さない。人工知能を埋められた蝋人形のように平然としている。
 痛みに顔を歪めることさえしない。顔色も変わらない。

「それ、痛くないんですか?」

 脹脛からお目見えした乳白色の突起物を指差して問う。きっと、私の顔色はブルーマンに負けず劣らず真っ青だろう。盛大に歪んでいる自信もある。
 対して先生は、やっぱり表情筋を微動だにさせず、指差された先をチラリと見遣ってから微笑んで「痛くないよ」と言う。

「僕の足より、彼の心が痛いだろうからね。彼の心が癒えるのなら、これぐらい……」

 彼って誰だよ。疑問が表情に滲み出ていたらしい。先生は私を真っ直ぐ見つめて「カレシ」と呟く。先生、カレシいたんだ……びっくり……。というか、カレシに脹脛折られたとか、普通にヤバいのでは。そういうの、DVって言うんじゃないんですか? 私、知ってるんですよ。
 言いたいことは色々あった。けど、全て肚に仕舞って伏せられた睫毛の影を凝視する。頬に睫毛の影が落ちるなんて、物語の中だけの現象だと思っていた。
 でも、現実は違う。
 頬に落ちた睫毛の影も、DVカレシも、先生の脹脛の白さも。全て眼前に広がっている。未熟な私は、到底、ポーカーフェイスを手に入れられる気がしない。

(了)

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