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【連作】リア充は難しい

 丁度、昼食の時間を少し過ぎた時間。街中で女性に声を掛けられた。
 女性は皺一つない、けれど肌触りの良さそうな淡い青みがかったブラウスに、グレーのスーツを着こなしていた。深い茶色の髪はきちんと整えられており、キャリーケースを転がす姿は如何にも『出張中のデキるキャリアウーマン』といった風で、マスクから露出した目元が若干戸惑った色を浮かべている。
 私は「ウイルス蔓延るご時世に大変だな」と同情しつつ、「店か道でも訊きたいのかな?」と予想して、投げ掛けられるだろう質問を予測した。そして、問いに対する答えの幾つかを、脳内でつぶさにリストアップする。
 しかし、質問は直ぐに飛んで来なかった。

 女性は一言も発しないまま、私の顔をジッと凝視し始めた。
 体感にして三分間。
 彼女の華やかな目元から放たれるビームには、熾烈な熱が籠もっていた。顔面の中心から外側へ、皮膚を焼き、筋肉と骨を溶かしながら移動して、終いには大穴を開けてしまいそうな程の熱量だ。
 その熱は私の心を掻き乱し、猛烈なる不安で一杯にさせた。何なんだ、この人は。何故そんなにも私を見つめるのかしら。昼食代わりに食べたイカ墨パスタの墨が、前歯に付いているのだろうか。それならば何か言って頂きたい。普通に怖い。
 私の願いが伝わったのか、女性は徐に口を開く。

「不躾な質問をして申し訳ありません」
「なんでしょう?」
「貴女、双子だったりしませんか?」

 私は双子ではないので素直に頭を振った。「では、姉か妹は?」と、矢継ぎ早に質問される。又もや頭を、先程よりも大きく振って「居りません、一人っ子です」と答える。
 如何やら回答がお気に召さなかったらしい。女性は奇麗に整えられた眉を寄せて、再び私の顔をガン見し始めた。やはり目力は苛烈で、穴どころか後頭部を出口とするトンネルを通貫させんばかりのものだった。
 やがて満足したのか、女性は爽やかな笑みを浮かべて「ごめんなさい、私の勘違いです」と言いながらペコリと頭を下げた。さらりと揺れた髪が煌めいて、良い匂いがした。
 そして、くるりと方向転換して、ハイヒールの踵を響かせながら足早に去って行く。
 一体、あの人は何だったのだろう。私は決して人通りの少なく無い街中で、一人ポツンと立ち尽くして首を傾げた。


『謎の視姦ウーマン(仮)』と名付けた女性の話を、私は先生に打ち明けた。打ち明けると言っても、深刻な調子ではなかった──と、思う。少なくとも、ちょっとした世間話を話す気軽な心持ちで『謎の視姦ウーマン(仮)』の事を口にした。
 すると不思議なことに、先生は今迄に見せたことの無い真剣な眼差しで、女性の外見的特徴を私に問うてくる。
 質問事項に対し、私は一ミリの嘘もなく正直に告げた。洗いざらい吐くと、先生は「ああ」と、気の抜けた声を上げた。
 
「その女の人、僕とセックスした後に首を絞めてきて、最後は空き地に埋めた人だ」

 そういえば、と思い出す。
 唐突に「リア充に、僕はなる!」と叫んだ先生が、根城にしていると言っても過言では無いアトリエ『ミラ』を出て行った日があった。あの時は「きっと、先生は帰って来ないんだろうな。二度と会えないんだな」という酷い哀しみに支配されてしまい、饅頭の如く身体を丸め息絶えようと決心していた。
 ところがである。一日経つか経たないかもしないうちに、先生は満身創痍で『ミラ』に帰還した。しかも、何故か全身土塗れ。出て行った際に持っていたはずの所持品──バックパックに詰めた諭吉の束、下着に予備のセーラー服、基礎化粧品、エロ本、大人の玩具、エトセトラ──は、一切合切消失していた。

 当時は「リア充、とは?」なんて不可思議極まりない心境だった。そして暫くすると、「何処ぞの畑で土弄りでもしたのか」と思って納得したのだけれど。実は、先生自身が土の中にいて、這い出してきたのか。私に声を掛けた女性は、先生の首を絞めて空き地に埋めた犯人なのか……。
 …………待って。先生も『謎の視姦ウーマン(仮)』も、生物学上では同じ『女性』では? さっきなんて言った? セックス?
 …………まあ、いいか。注視すべき問題はそこじゃ無い。

 一切合切を聴いて、思い出し、腑に落ちてしまうと、何とも言い難い感覚が腰から後頭部にかけて一瞬間に駆け上がった。冷たく気持ち悪いそれに吐き気さえ覚える。同時に、妙な既視感も芽生える。

 ──明日の先生には、絶対に防犯ブザーを差し入れしよう。
 私は心のチェックリストの最上位に、この事案を書き留めた。絶対に忘れないよう、赤ペンでグルグルと丸しておく。勿論、自分用のブザーも忘れない。そうだ、防犯スプレーも買っておこう。「知らない人に着いて行っちゃいけません、例え同性でも」講習もしなければ。

(了)


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