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楽器を支配するか、協力するか。

楽器を演奏するにあたって、「楽器を支配して自分の言うことを聞かせようとする」のか「楽器側の都合と、自分側の都合を考えながら協力できるようにしていく」のか・・。ここは大事なポイントであるように思う。

「演奏技術」という言葉には様々な内容があるが、一般的にイメージされやすいのは「運動能力」ではないだろうか。間違えずに弾く、速く弾く、たくさんの音を弾く、離れた音を外さず正確に弾く、など。

私も以前、その「運動能力」をあげたくてあげたくて一生懸命だった時期があった。それはとても大切な経験でもあり練習でもあった。今の自分の動作を形作るひとつにもなっているし、欠かせない経験であったと思う。「運動能力」は表現のためにはやはり必要不可欠なのである。

一方で、そうやって「運動能力」を上げていく中で、「自分の運動能力で楽器を支配しよう」という方向にもなりつつあった。その方向に突っ走ると、「楽器を支配して聴衆を支配して・・・演奏をしている『私』に注目して!!」という方向にどんどんいってしまう。それはそれで悪くないけれど、今、当時の演奏を聴くと、みずみずしさの一方で、一種の陰湿なトゲのようなものも感じる。

自分の深いところがそれに気づいていたのか、間もなく故障を繰り返すようになって強制的に無理ができない状況になったのであった。

「楽器を支配して思うようにしたい」と、「自由自在に演奏したい」は少し違ったニュアンスがあるのである。じきに、楽器の都合を考えるようになった・・というより、そこに戻ってきた、という感じだ。・・というのは、私の子供のころの先生がそれを大事にしていたからだ。「余計な動きはしない、カッコつけない」という教えもそこから来ていると思っている。

「演奏を利用して自分を目立たせるということ」は、それはそれでひとつのスタンスだし、そういう演奏が好きな人だっていると思う。好き嫌い、良し悪しとはまた別の話なのである。

ただ、私の場合は、楽器と協力していくという方向になり始めたころから、もともとのモチベーションであった「こんな素敵な音楽があるのを聴いてほしい」というところにも戻ってきた。演奏している私を見て!演奏を利用して私が目立ちたい!そんな思いから、元の位置に帰ってきたのだった。




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