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おもち(息子)が産まれた日-夫目線編-

あずき(夫)です。

きなこ(妻)の↓の記事の別視点バージョンを書いてみました。ううん、思い出すといろいろあったようなあっという間だったような…ちょっと長いですが、お付き合いください。

それは午前4時から始まった

午前4時。

「ちょっと痛いかも」と僕はきなこ(妻)に起こされた。

「何分間隔?」
「7分」
「えっ」

事前の病院からの説明では、10分間隔くらいから陣痛だと教わっていた。

当然初めてのことなので半信半疑なまま病院に電話した。おしるしはなかったので、6時に改めて連絡をするように言われた。病院からは、「家にいようが病院にいようが、子宮口が10センチになるまでは待機することになるし、病院に来てしまうと緊張してお産が進まなくなっちゃう人もいるから」と伝えられたらしい。

「お産のときは、とにかく食べれるときに食べるべし」と言われていたので、朝食をとりつつ、アプリに陣痛間隔を記録しつつ、6時を待った。

6時になっても、おしるしや破水はなく、病院に電話して、さらに8時まで待つことになった。

8時、タクシーを呼んで病院へ

病院できなこは何らか検査をされてたのだけれど、男性は入れないため何をされていたのかはよくわからない。

子宮口は、この時点で5〜6センチということだった。陣痛間隔は、5〜6分になることもあれば、7分以上あくこともあった。

先生や看護師さんによると、「陣痛が来たとおもったら、そのあと引いてしまって、結局生まれたのは1週間後」ということも平気であるらしい。なので、今入院してもすぐ生まれるとは限らないよ、というか今日生まれることはまずないと思う、ということだった。

「そういうことだから、心配なら病院にいてもいいけれど、病院にいると暇つぶしもないし、家に帰ってもいいよ。どうする?」

9時、家に帰る

僕は少し眠ったのだけれど、きなこは痛みに耐えながらだからほとんど眠れていないと思う。

しばらくすると、やはり痛みが強くなってきて、12時ごろ、再度病院に向かった。

確かに、最初のときは痛みが来たら痛そうにしながらも歩けていたのだけれど、今回は立ち止まってとにかく痛みに耐えることしかできなくなっていた。

12時すぎ、再度病院へ

病院には既に待機室が用意してあって、きなこはそこに横になった。そして、胎児の心拍と、お腹の張りを測るセンサーをつけられていた。

痛みは波のように繰り返し、背中をさすっては紛らわすということをやっていた。よくテニスボールが良いというけれど、きなこには合わなかった。

ちょっとした合間を縫って、昼食を買いにいった。適当に買ったのだけど、きなこは飲み物であればなんとか飲めるという感じだった。

14時ごろ、分娩室へ

定期的に看護師さんが様子を見に来てくれて、お腹の張りや胎児の心拍を調べていたのだけれど、きなこの寝る向きによっては心拍が弱くなってしまうことがあるらしく、なにかあっても大丈夫なように分娩室に通された。

このときも、看護師さんは「はやくて20時くらいかな」と言っていた。

僕は相変わらず水やポカリを飲ませたり、扇いだり、背中をさすったりすることくらいしかできないのだけど、とにかく「もう半分過ぎたよ」とか言って励ましていた。痛みでいっぱいいっぱいだったと思うのできなこがどこまで覚えているかは定かではないけれど。

「とにかく時間が経てばいつか生まれる」と思っていたのだけれど、時計の進みがひどく遅く感じられたのを覚えている。

16時半ごろ、一番つらい瞬間

確か16時半くらいだったと思う、「ちょっと座ってみましょうか、そしたら赤ちゃん降りてくるかもしれないから」とのことで、分娩台の上で座ることに。

傍から見ても痛そうだったのだけれど、後からきなこに聞いたところによると、やはりこれが一番辛かったらしい。

僕の勝手な妄想なのだけれど、世の中には痛いときに「痛い!!!」と叫んで耐える人種と、とにかく歯を食いしばって耐える人種とがいるような気がしていて、きなこは後者でした。僕も後者です。

突然の生まれる宣言

「座る」という体勢は死ぬほど辛かったらしいのだけれど、やはり効いたのか、診察から戻ってきた先生がおもむろに違う服に着替えだし、どうしたのかなと思っていたら「もう生まれます」と突然の生まれる宣言。

「はやくても20時だってー」とのんきに両家の親に連絡していたのが一転、「もう生まれるらしい!」とLINEだけ投下し分娩室へ。

ここからようやく「いきみ」が始まった。

「あー上手!」「いい感じ!」と先生や看護師さんが次々に声をかけていたのだけれど、お世辞や励ましではなく本当に上手かったらしく、15分くらいであっという間におもちが出てきた。

ちなみにきなこには「(早く生みたい一心で)死ぬほどスクワットした成果ですな」と後からドヤ顔された。

お産に立ち会うということ

正直なところ、男性が具体的にできることはごく限られている。背中をさするとか、必要なものを買ってくるとか、励ますとか。お産に立ち会いながら、母親になるという女性の強さと、さして変化しない男性の無力さみたいなものも感じた。

ただ、お産、そしてその後の子育ての数ヶ月を経て感じているのは、男性にできることは結局「奥さんを一人にしない」ということなのかなと思っている。

はじめての子育てで生じる、楽しいことだけでなく、戸惑いやら苦悩やらも含めてちゃんと分かち合う、支え合うことを確認するためのスタートラインとして、立ち会うのは良いことなんじゃないかなと、個人的には思っている。

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