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座敷童の話

連れあいの実家は、とある田舎でI薬店という薬屋兼雑貨屋であった。義祖父母の代は下駄の販売修理や大福などを売っており、義母が旧薬種商の資格を取ったのち薬も扱い始めたらしい。

はじめて私がそこへ泊まった時、夜2階の部屋から1階にあるトイレに行こうとして「何か」気配を感じた。連れあいに話すと、階段から人の降りてくる音がしても誰もいないなど、「何か」気配を感じることは昔からあったという。私たちは、「座敷童」ではないかと話した。そう思うと少しは怖くはなくなった。

しかし最後の店番だった義父が倒れ入院となる。義母は認知症もあり一人では暮らせず施設入所となり、I薬店は閉店となる。私達はお見舞いや掃除等も兼ね時々宿泊するようになった。私はある時ふと気づく、何も感じないことを。
連れあいもそれを感じていた。「何か」は去ってしまった。私たちはやはり「座敷童」だったのだと納得した。

戦中戦後の混乱期を乗り越え、地域を支え、バブル期には多くの客でにぎわったI薬店。義父母が高齢になり、開店休業状態でも栄養ドリンクを必ず買いに来る客がいたI薬店。常に「座敷童」に守られていたI薬店は終焉を迎えたのだった。

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