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会社に行けなくなった、あの日のこと。

ある年の初夏、ある日突然、片耳の聴力を失った。

厳密に言えば、限りなくゼロに近い聴力状態。そして、激しい目眩が常に付きまとい、椅子に座って会話をする事さえ出来なくなり、仕事中にデスクで蹲ってしまったり、隙あらばトイレに駆け込んで便座に突っ伏している時間が日に日に増えていった。(休職直前はトイレで1時間死んでた日すらあった)

この時点で疑うべき事、案ずるべき事は山ほどあったはずなのに、過去にも聴力を失った事が2回あった(家庭環境のストレス/アルバイト先でのパワハラ)故、「ん〜、また来たな」くらいの危機感だった。今思えば呑気すぎるくらいである。

当時の上司に何度か相談するもまともに取り合ってもらえず、まともに人の声も拾えていない状況ながら、翌日の大型プレゼンさえも自身で実施することとなった。この時から、なんとなく上司の反応は積年の言動から予想していた事もあり、特にショックも受けなかったのだが、片耳が聞こえていないのでは仕事にならないと思い、親しい先輩に相談を持ちかけた。この先輩も同じように過去聴力を失っていたことを知っていた為、病院を教えてもらおう、くらいの気持ちでトコトコと待ち合わせ場所に向かった。

ところが、いざ話し始めると大泣き。いきなり呼び出してきた後輩がワンワン泣き始めるものだから、先輩もさぞドン引きだったと思う。(かなり長く深く付き合いのある先輩だったのだが、とても驚いた顔をさせてしまった。)

そんなこんなで先輩の勧めもあり、翌朝1番に病院にかかるも、かなり適当な医師を引き当ててしまい、聴力検査のグラフがガックンと折れているのにも関わらず、所見なしで突き返されてしまった。もっと自分で突っ込めばよかったのだが、有無を言わせぬ迫力と冷淡さに当時は応戦する気力もなく、とんでもない初診料とともにトボトボと病院を後にした。

そしてこの直後、人生で初めて会社に行けなくなった。

納得できない診断と料金に悶々としながらも、迫り来る時間休暇の終わりを追いかけ、電車に乗り込んだ。が、乗り換えの駅で急に「無理かも」という思いがせり上がってきた。(⚠️念の為補足をしておくが、私自身、気持ち悪いほど生真面目な部分があり、塾や学校、部活動など、どれだけ体調を崩していても、休む罪悪感に耐えられなくなってしまう人間。かつ、壮絶ないじめを受けていた中学受験の塾にさえ、行けない、と思った日はなかった。)

どうしたものかと思い、オフィスで食べる予定だったパンの袋を開け、ホームのベンチに腰掛けるも、言語化のできない不安と恐怖心は増していく一方だった。とはいえ時間休暇も業務も迫り来る今、行かない選択肢を取るわけもなく、放心状態でオフィスの最寄駅に到着した。

「まぁ、時間給明けで普通に憂鬱なだけか」と言い聞かせながら地上階に出た瞬間、人生でまたとないだろう、と断言できるレベルの激しい胃痛が襲ってきた。

あまりの刺すような激しい痛みに咄嗟にその場に蹲ってしまったのだが、人目がひどく気になり、這うように路地裏に逃げ込んだ。(え、死ぬかも)という思いと止まらぬ冷や汗で吐きそうになりながら、私の頭は迫り来る大型プレゼンでいっぱいだった。

生真面目すぎる性格でなんとか足を進め、エレベーターに乗り込み、さぁ仕事するか。と思った直後、とんでもない速度で心拍数が上昇し、喉から内臓が出そうになった。次から次に自分の体に起こる天変地異にパニックになりながら、トイレの個室に駆け込み、気が付いた頃には泣きじゃくっていた。

「自分の身体に何かが起きている」という恐怖心に、完全に気が付いたのがこの時だった。

しかし仕事に穴は開けられない。此の期に及んだ生真面目な性格が発動したものの、1人では到底トイレから出られそうになく、特に親しい同期に迎えにきてもらい、生まれたての子鹿のような足取りでなんとかデスクまで向かった。(この同期とは本当に仲が良く、少し前から自分の状況を相談していた)


その後のことは、殆ど覚えていない。

ただ、流石に大型プレゼンは直後上司が巻き取りになり、私はただ蜃気楼のようにその場に突っ立っていた。そして、精神科をその後受診すると同時に、「適応障害」の診断が下り、即座にドクターストップでの休職が確定した。

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