「変わる」ことも「変わらない」ことも怖いけれど、そんな恐怖も全て抱きしめたいよと思った
この2日間、どうしても感情が自分の中でまとまらなかった。でもこの衝動を誤魔化して「無かったもの」にしたくはなくて、私は言葉を使って何とか書き出すしか昇華させる手段は持ってなくて、だからこうして文章にして書いている。
ーーーーーーーー
数日前、М-1グランプリが開催された。
そして優勝を手にしたのは、
私がひそかに応援していた、好きな芸人さんであった。
しかも彼らは、歴代の王者を振り返ってもかなり若い。26歳の私より、3、4歳しか離れていない。その上吉本の養成所「NSC」は首席で卒業しているし、今回の決勝でも、2001年以来誰も成しえなかったトップバッター優勝を果たしている。要するに、むちゃくちゃエリートなのである。
М-1決勝を見ていない人は沢山いると思うし、お笑いに興味が無い人を置いてけぼりにしてしまうのは良くないので、彼らの詳細については省略するが、以前から活躍を追っかけてきた人が何らかのチャンピオンになるというのは、自らの人生を振り返ってもそう起きることはない出来事だった。
もちろん応援しているから「優勝してほしい!」とその姿を幾度となく想像しながらも、(彼らの若さやМ-1優勝の難しさを考えると)優勝が決まってからもしばらくは「これは本当に現実なのかなあ」と夢気分な自分がいた。
優勝後に初めて迎える朝。彼らのSNSを見ると、フォロワーはわずか6時間ほどで約1.5倍にまで増えていた。朝の情報番組をはしごするように、テレビの中には頻繁に彼らの姿が現れた。「ものすごいことが起きているんだな」と、これまた何処か空想上の出来事のように感じられた。
昨日の夜までは、この世界の大半の人が彼らを知らなかったのに、今は街中で歩く人がその名前と顔を知っている。不思議だ。自分の目が捉える映像は同じであって、自分という人間に向けられる視線も同じであるというのに、昨日と今日では全く違う光景に感じられてしまう。
ーーーーーーーー
人間というのは、良くも悪くも「変わらないこと」が、好きなのだとつくづく思う。相手が悪い方向へ向かっていくのはもちろん嫌だけれど、ぽんぽん物事がうまくいって、良い方向へ大きくシフトして変わっていくのも、何だか不安になってしまうことがある。それは相手への嫉妬とかとは全く違う「変化」というものに対する潜在的な恐怖なのかもしれない。
今回の場合に当てはまるように、もう少し具体的に言ってみる。よく「月何百万お給料を稼ぎました」とか、「もう半年くらい、お休みが一日もありません」とか、テレビで言っているのを聞くと「あまりに自分の毎日と違う」という意味で、不安に感じる人もいると思う。
それは「売れて欲しくない」ということでは全くなく、結局は「自分の想像が及ばない部分で、好きな人が生きている」という事実を考えるのが怖いのだ。
例えば、自分が家から職場へ持参した水筒のお茶を飲んでいる時、あの人は一本170円くらいの少しリッチなお茶も気にせずにコンビニで買えたりしてるのだろうか、とか。
例えば、自分が布団に入って今にも眠りにつこうとしている時、あの人はこうして自宅の布団で寝れているのだろうか、とか。
例えば、このまま沢山の人気の波にふわりふわりと流されて、いつの間にか、雲のように消えてってしまうんじゃないか、とか。
(過度に家族や恋人に干渉する人のスイッチとなるものを紐解いていくと、実はこういう思考がきっかけなんじゃないかと思う。でもただ「変わって欲しくない」という言葉で置き換えて片付けてしまうから、誰もが持つその不安は「ただの自分勝手な欲求」とみなされることになる)
ーーーーーーーー
でも冷静に考えてみると、今まで自分から見えていた相手の部分もあくまで一部分でしかない。だから、相手に抱く印象が変わったとしても、それは相手が変わったのではなく、「自分から見える範囲がどれだけ広がったか」の違いだけだ。だからそれこそ「変わって欲しくない」と相手に願うことは、なんて自己満なんだろうと私には感じる。
前に進んで、日々成長して「変わること」が褒め称えられる世界であるくせして、特定の人に対しては「変わらないこと」を無意識のうちに強制している。私たちは、「変わること」も「変わらないこと」もどちらも同じくらい怖くて、そんな恐怖とバランスを取るように、自分を正当化したり他人に理想を押し付けたりして、折り合いつけて生きている。
現に私に今押し寄せている感情の中にも、好きな芸人が「変わること」への恐怖心が確実に含まれている。さらに、より沢山の人に彼らが周知されるもどかしさとか、同じように成長できない自分自身への劣等感、みたいなものとも絡み合っている。
あれこれと悩んでも解決するすべはなくて、「こんなに怖がっているなんて私も可愛いものね」と、心の中で渦のようにうごめく感情をまるっと受け入れてやるしかない。(「とりあえず認めてあげる」って、結構楽になる、難しいけれど)
そんなことをバスの中で一人考えていたら、眺めていたスマホに「公式youtubeで優勝報告生配信!」と予告する通知が流れてきた。一睡していないほど昨日から忙しいはずなのに、合間を縫ってファンのために生報告してくれるなんて!!なんて、以前と変わらずファン思いなんだろうか…!!
わくわくと心を踊らせながら、同時に私はしばらくの間「怖いなあ」という感情すら頭の端にえいやっ!と追いやっていたことに気づいた。こうやって、ひとつひとつこれからの彼らを自らの心に刻ませながら、そしてその過程で段々と、恐怖も不安も忘れていくのかもしれない。
優勝、本当におめでとうございます。
大躍進の一年を心待ちにして、この文章を終わります。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?