9月1日が不安な君とその保護者の方へ
どうも、あずきです。
今これを書いているのは8月16日なのですが、半月後の9月1日は未成年者の自殺が1番多い日と言われています。
その半月後に向けて2部制の記事を書きたいと思います。思いの丈をぶつけるので所々おかしいところもあると思いますがご了承ください。
9月1日が不安な君へ
いろんなことが不安でしょうがないと思う。
この夏休み40日ぐらいはそういう面倒くさいことを考えなくて良かったからある意味楽だったよね。
でも、なんとなくお盆が明けたぐらいから世間は夏休みのうかれモードから仕事モードに変わってきて息苦しくなっていったんだと思う。
君が今抱えている苦しみはわからない。
だけど、今君は9月1日が夏休みが明けるのが不安で不安でしょうがないと思う。
まずは休むこと
もし、今不安に押しつぶされそうで不安で不安でしょうがないならやることは「スマホやパソコンを1回閉じて、休むこと」だと思う。
今すぐこの記事を閉じてスマホも電源を切って、自分が何か考えることができる体制が整うまで休むことだと思う。
その時にネットにできる限り繋がらないことをするのがおすすめだよ。
1人用のRPGをやってもいいし本を読むことをしてもいい。
とにかく心静かに1人でできることに没頭してみるといい。
それすらできないならひたすら寝るしかない。寝ることに不安を覚えなくなるまでひたすら寝るんだ。その後からゆっくり考えればいい。
ゆっくりとした情報を自分のものにする
もし外に出たくなったらおすすめは近くの大きな図書館だ。
図書館って涼しいし、結構いろんな本や大きいところなら昔の名作CDや映画なども貸し出ししてる。1回スマホなしでそこへ行ってただ本のタイトルを眺めて1日過ごしてみてほしい。で、興味がある本があったらそれを読んでみてほしい。とにかく早すぎる消費の情報から1回距離をとって、じっくり記された実りある情報を一人でゆっくり自分のものにする時間をとってみるといい。
落ち着いた時間の中で「自分の中の駄々っ子を見つめる」
そうやって落ち着いた時間を過ごしていると何かしたいことが思いつくと思う。それを思いっきりやってみるといい。走りたいなら走ればいい。遊びたいなら遊べばいい。ゲームしたいなら思いっきりゲームすればいい。何か新しいことを始めたいなら親に頼めばいい。街に繰り出して遊びたいなら街に繰り出して遊べばいい。
そうやって自分の中の「駄々っ子」をまずは見つめるんだ。
君は今までその自分の中の「駄々っ子」をいろんな理由で無視し続けてきた。⚪︎⚪︎しなければいけない。⚪︎⚪︎に悪いから。⚪︎⚪︎しないと怒られるから。などなど・・・、いろんな我慢を自分にしてきてしまったんだ。その「駄々っ子」の存在を見つめることをしてみよう。
ここまでできたら次のステップに行くね。
あ、一度に読まなくてもいい。ブックマークとか保存だけしておいて、この後のことを読みたくなったら見返せるようにしておいてね。
大人の中にも「駄々っ子」は存在する
次のステップは「大人たちにもその駄々っ子は存在する」ということなんだ。君は今「駄々っ子」の存在に気づき、その「駄々っ子」の声をきちんと聞いてきた。でも、君には別の疑問が浮かんだはずだ。「大人にもその駄々っ子は存在しているのか」ということだね。
答えを言うと「大人にも駄々っ子は存在しているんだ。」お父さんやお母さん、周りの大人で「毎日常に仕事に行きたくてしょうがない。仕事したくてしょうがない。」って思って生活している人なんか本当に少ない。ちょっと体がだるくて「今日は仕事に行きたくないな」なんて思ってる大人が大半だ。もし嘘だと思うなら大きな街の大きな駅で朝の7時〜9時ぐらいまで入場券買って駅のホームにいる大人を観察しに行くといい。顔が浮かない顔している大人たちが多いと思う。ウキウキしながらホームにいる人はそんなに多くないと思う。
大人たちは「いろんな理由があって(not大人の事情)」、そんな駄々っ子に気付きながらも上手に付き合って生活をしているんだ。だけど、大人でもその「駄々っ子」の声を無視しすぎると身体や心がうまくいかなくなって君たちのように「駄々っ子」の声以外従えなくなってしまう人たちがいる。それが精神疾患と言われるものなんだ。君も今そんな状態じゃないかな。
自分の中の「駄々っ子」の声には従えるけど、その「駄々っ子を押さえつけたり無視すること」ができなくなっている。それは君の中の「駄々っ子」が「もう無理!これ以上ボク・ワタシのことを無視するならこの身体を動かす主導権を君から奪い取ってやる!」となっているんだ。
つまり今君は君じゃない状態なんだ。その状態で身体を動かそうとしても無理だし、普通のことを普通に考えることもできない。だからまずは休むことが必要だったんだ。
休んで「駄々っ子」と少なくとも話ができる状態じゃないと何をしても「駄々っ子」が勝っちゃう。すると負けた君はまた後悔して元気がなくなってしまう。そうすると悪いループに入って余計に君の中の「駄々っ子」が調子に乗って君から君の身体の主導権を奪い取ったままにしてしまうんだ。
人間という生き物は、自分の中の「駄々っ子」とどうやって上手に付き合っていくか。と言うことを一生考え続ける生き物なんだ。大人だってみんな日々考えて生きているんだよ。
駄々っ子との向き合い方は自分しかわからない
ただ、面倒なのはこの「駄々っ子」との向き合い方は、君自身にしかわからないことなんだ。
大人がたくさん調べて大体のパターンみたいなのはわかってきたけど、君の中の「駄々っ子」が君に身体の主導権を返してくれる条件っていうのは君にしかわからないんだ。それはいくつも試して自分で見つけていくしかないんだ。
だけど、絶対にやっちゃいけないことはハッキリしている。
「他の誰かと比べることやそうやって比べてくる人の話を聞くこと」だ。
「⚪︎⚪︎さんはこうやったら主導権を返してくれた。✖︎✖︎君はああしたら主導権を返してくれた。有名なXさんはこうやったら主導権を返してくれたらしい。」
周りの大人、特に君の両親は君のことが心配だからついついこういうことを言ってしまう。でも、君はこう言いたいはずだ「ボク・ワタシは違う」と。そうなんだ。それが正解なんだ。君の正解を見つけるまで周りの大人は君のことを見守るしかないんだ。だから、焦らずに君の「駄々っ子」が君に主導権を返していく方法を休みながら見つけていくんだ。
それが見つかって少し元気が出てきたら、みんなが俗にいう「大人の事情」ってやつについて少し話していきたい。ただ、それは君にとって少し辛い話かもしれないから「駄々っ子との向き合い方が見えてきた」君はこの先に進んでほしい。
なぜ大人は学校にいけというのか
いろんな法律とかの話は抜きにして今の日本という国の学校の本音を君にわかりやすくいうと「学校は優秀な労働者を育てる工場」なんだ。
労働者っていうのは「誰かから給料というお金をもらうために仕事をしている人たちのこと」をいうんだ。
今のこの世界は資本主義と言われる世界だからお金がある人が強いんだ。お金がある人が自分1人ではできないことや自分がやりたくないことをお金を払って、「それが得意な人」だったり「それができる人」にお願いをしてやってもらうのが労働なんだ。
労働って噛み砕くと「誰かがやりたくないことをお金を払って別の誰かにやってもらう」という関係があるんだ。
「自分はやりたくないけど必要なことをできるだけ効率よく安全に怪我なく他の誰かにやってほしい。」そして、その【誰か】を効率よく育てるための機関が学校なんだ。
自分がやりたくないけど誰かのために我慢してやる力だったり、安全に過ごすために文字を読んだり、前提とする科学の知識をみんなが持っていれば説明が短く済むから効率が良くなる。
だから学校という場で教育をして、優秀な労働者を育てているんだ。
で、その労働者の中でも区別があって例えば家にある洗剤を見ると「混ぜるな危険」と書いてあると思う。この文字を読んで何を読み取れるのかっていうので君の労働者としての優秀さが決まるんだ。
レベル別にまとめると次の通りになる。
レベル1:何も考えずに読んであることを無視して混ぜる
レベル2:何も考えずに書いてある通りにするだけ。
レベル3:書いてあることの理由に疑問を持って調べることができる。
レベル4:書いてあることの理由を他の誰かに伝えたり説明することができる。
レベル5:書いてあることの理由がわかっており、自分の生活の中でどのように取り扱った良いかとか、これを他の場面でどう活かすことができるのかを説明でき行動することができる。
学校で最低限身につけないといけないのはレベル2の優秀さなんだ。学校の先生たちもこのレベル2を育てるのに苦労している。逆に言えばレベル2ができるだけで君は立派な労働者になれる素質があるんだ。だけど、優秀な労働者になるためにはレベル3やレベル4、5のことができないといけない。そしてそれができるようにするためにはやっぱり学校で勉強することが1番の近道だし効率がいいんだ。
でも、反論するよね。「学校に行かなくても学校の勉強はできる」って。これは半分正解で半分間違い。
確かに今は学校に行かなくても勉強はできるかもしれない。世の中には元先生や優秀なYouTuberたちが素敵な授業を映像で提供してくれているからね。
だけど1番大事なことがあるんだ。「君が勉強をしたという証明」を学校は出してくれるんだ。
確かに学校以外で学ぶことができるならそれでもいいんだけど学校という場は君が「学校でこれだけのことを学びましたという証明書」を出してくれる唯一の場所なんだ。
そして、そこには「どれだけ欠席をしませんでした」とか「遅刻をしませんでした」とか「学校ではこんなことをしてました」っていうことを書かれる。
そしてこの証明書が労働者を雇う人にとっては「あなたが労働者に向いているかどうか判断する唯一と言っていいほどの材料」なんだ。
つまり、学校の成績を見て労働者としての優秀レベルを見るのと同時に「健康で対人関係をうまくやっていけそうな人」を見るんだ。なんでかというと今の日本の会社組織っていうのは「個人能力の優秀さより対人関係をうまくできたり、健康で長く勤めることができる人」の方を優遇する傾向にある。
で、この対人関係っていうのも色々なことを言う人がいるけど結局は「上下関係をきちんと理解していて、上から言われたことを最後まで文句言わずにやり切ってくれる素直な人」を雇う人は欲しがるんだ。
なんでかって?労働の本質だ「自分がやりたくないことをお金で他の誰かにやってもらいたいんだよ。」つまり、いろんなネットとかで調べて小賢しく文句を言う人間なんて雇う人間からするといらないんだ。いるだけ邪魔だからね。
だから、どんな理由であれ「学校に行けないような人」を基本的に雇う人は欲しがらないんだ。それを君のお父さんやお母さん、周りの大人は労働者としてか雇う人としてかはわからないけど、それを痛いほど理解をしているんだ。
だから、焦ってしまうんだよ。世界は一部のお金を持っている人とそれを支える大多数の労働者によって支えられている。そしてその労働者にも差があって優秀な労働者になれなかったら(本当に)汚い仕事をずっとやり続けないといけない。具体的な言及は避けるよ。
どれも必要な仕事なんだけど君のお父さんやお母さんはやっぱりそれをやってほしくないんだ。できればキラキラ輝いたドラマで出てくるようなサラリーマンをやってほしいんだ。だけど君の今の姿を見てそうなれない可能性が日毎に高まっていくからお父さんやお母さんは焦るんだ。それを君には理解してほしい。
じゃあ君はどうするべきなのか
ここまで読み進めた君は偉いね。普通ならもう引き返してると思う。ここまで読んでくれたと言うことは自分の中の「駄々っ子」を見つめ大人の本音も理解できた。
次に聞きたいことはやっぱりこれだよね。「どうするべきなのか」ってこと。
テーマは「覚悟」だ。
①このまま学校に行かない=優秀な労働者になる道を諦めて、別の生き方を探す。
②自分の「駄々っ子」とうまく付き合いながら、学校にいく道を選ぶ。
この2択のどちらかを選ぶ覚悟だ。
前者①を選べばおそらく保護者や周りの大人から「いろんなこと」を言われると思うし、君を②の道になんとか引き摺り込もうとしてくると思う。私も労働者なので正直①の道はオススメしない。その道で成功できるのはおそらくホンの一握りの人間だからだ。
そして、君1人で①の道を進んでいると②になれなかった人間を人だと思っていない「悪い大人」が君の全てを言葉巧みに奪おうとしてくる。そして気づいた時には道を踏み外していて引き返せなくなっている。そしたら君の人生は一生日の当たらないところで過ごさないといけないと言う特大のリスクがある。
親ガチャって言われるものの根深さはここで、①を選んでも親がバックについてくれていればある程度はあなたのことを守ってくれたり、1番習得するのが難しい技術面についても一流の人から教わったりする環境が整えられているんだ。だけど、それに嫉妬していても始まらない。①を選んだのであれば覚悟を決めて突き進むしかない。
後者が嫌な理由は学校に戻ると言うことが大きいと思うけど、ここまで読み進めた君なら「駄々っ子」を封じ込めるのではなく、上手にやっていくためにはと言う方向で考えることができると思う。
行くだけで君の命が脅かされる状態なのであれば今すぐ逃げて別の学校に行くといいと思う。校舎に毎日通わなくても証明書を出してくれる学校はあるし、そういった子を積極的に雇う人もいるからね。だけど戻るなら早くしたほうがいい証明書の傷を少しでも浅くするために。
そして、ベストなのは①と②をいつでも選べる状態にしておくことだ。
つまり「やりたいことをやるための準備を学校にいきながら同時に進めておくこと」なんだ。そうすると2者択一にならないよね。やりたいことや自分の能力がどこで花ひらくかなんて誰にもわからないんだ。だからチャンスが来た時に見逃さないようにしておく。そしてその間生活をするためのお金を稼げるある程度優秀な労働者になるための努力をしておくんだ。
ここまで読んでもなお学校に価値を感じないと言うのであれば君は①を選んで突き進むのに相応しいと思う。そのまま続けてほしい。だけど、②も捨てがたいな。しゃーないかって思ったなら9月1日に自分の中の「駄々っ子」と向き合いながら学校に行ってほしいし、帰ってきたらその「駄々っ子」に対して優しくしてあげてほしいと思う。
そして上手な付き合い方がわかって自分に自信が持てたら周りのそれまで待ってくれた大人に感謝を伝えてくれると嬉しい。
だから安易に「死」を選ばないでくれ。長々書いたけど付き合ってくれてありがとう。
9月1日が不安なお子様を持つ保護者の皆様へ
今、ここに至るまで6000字ほど書きました。
目次から飛ばしてここに来た保護者の方は上に書いた内容をお子様に読ませる前に一度読んでみてください。
その上で大切なことを伝えます。
「子どもは大人の建前を容易に見抜く」
と言うことです。
それが言語化できるかできないかは別として「こいつ自分のために喋ってないな」とか「こいつ、自分の(保身の)ためにしゃべってるやん。」と言うのは子どもはあなたたちが思ってるより容易に見抜きます。
「学校行かせたい理由はなんですか?」
この答えをあなたは子どもに正しく説明することができますか?
それはあなた自身の世間体や周りの目とかではなく、自分の子どもの人生のためを思った言葉をあなたは正しくかけることができますか?
自分の中で納得のいく答えを持って本音で子どもに向き合えば子どもは答えてくれるはずです。私なりの本音の答えを6000字かけて書きました。なので反論があるのであればあなたなりの本音を子どもに伝えてあげてください。どんなに時間をかけてでもやるべきです。
そして、「今まであなたの都合を子どもに押し付けてきませんでしたか?」それを内省するいい機会だと思います。
子どもはあなたの子どもですが生物としては別個体で、思考も趣向も何もかも違います。あなたが成功した方法で子どもが成功するとは限らないんです。少なくともあなたが学校に行っていた理由を本音で話してあげてください。でも、決して押し付けないでください。あなたの正解であって子どもの正解ではありません。
その上で子どもとしっかり向き合ってあげてください。子どもの「駄々っ子」の言うことにきちんと耳を傾けてあげてください。「駄々っ子」すらあなたの前に見せないのであればもうあなたは信用すらされていません。まずは、子どもの「駄々っ子」を見せてもらえる信頼を再度作るところからスタートしましょう。
でも、「辛いですよね。怖いですよね。焦りますよね。」
その負の本音も子どもに伝えてあげるのもいいと思います。
そして、その上で自分たちが余裕を持てるようにするにはどうすればいいかと言うことを子どもと考えればいいと思います。繰り返しますが、子どもはあなたとは生物として別個体です。あなたが思い付かないようなことも提案してくると思います。その時にあなたのできる範囲で実現させてあげてください。もし子どもの提案で知らないことがあったら知るように努力して、勉強しましょう。その場合は子どもはあなたの先生です。
本来はここまでやっても無理だと言う場合にのみ、「強制力を発揮してやる手段」が初めて選択肢に入ってきます。
具体的には体罰や暴力に基づいた行動変容や行動心理学に基づいた家を安全地帯にしない方法などです。(問題の団体が提案している方法やかつての戸塚ヨットスクールの方法)
でも、今の日本ではそれが表になったら許されることはほとんどありません。それを覚悟の上で選ぶなら止めはしません。ただ、選ぶのであれば「自分は学びを放棄した暴力にしか頼れない子どもの将来を考えることができなかった敗北者である」と認めて罰を受ける覚悟でお願いします。
最後に
ここまで書くと親って大変ですよね。
そりゃ誰も結婚もしないし、子どもを産みたがらないわけだ。
でも、社会は子どもがいないと次の世代が産まれないと確実に滅びに向かいます。
そのために少しでも不幸な子どもを減らしていきたいのでこのような記事を書かせていただきました。
ご意見や批判等は受け付けます。コメント欄にどんどん書いていってください。