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随想好日 二十六話『日本画家・伊東深水』

 この度、わたくしの書いたこの原稿が「美術展記事まとめ様」からのフォローを頂戴していたことがわかりました。なんでも、美術展とかギャラリーというキーワードを入れると拾われる仕組みなのだそうですが、わたしは入れておりませんでしたので、きっと、奇特なお方に拾って頂けたものと理解し心より御礼申し上げる次第です。
 4日夕方前に慌てて「美術展」と打ちました(笑)
たくさんの皆様よりのお運び。
心より厚く御礼申し上げます。ものの6日。ものの6日で530pvオーバー、76スキを頂きました。これはもう出来過ぎでございましょう。心より御礼申し上げます。
 行き掛けの駄賃ではありませんが、もう一本。これも評価を頂いております(笑) 河井はわたしの生きすがらずっとそばにあるべきもの。可愛がっていただければ幸甚に存じます。

アクセス数こそ240pvと伊東深水の後塵を拝しておりますが、皆様より頂いた評価は伊東深水を上回っておりまして、私も好きな原稿の一本です。
お時間のある時にでもお立ち寄りいただければ幸甚に存じます。
世一  拝

伊東深水(いとうしんすい)
 明治37年~昭和47年没
 日本画家・版画家
 東京生まれ

 近代日本画・美人画の大家といえば伊東深水。
 近代日本女性の性と風俗を柔らかなタッチで表現し続けた数々の作品には多くのファンが列をなす。冒頭のサムネイルは足立美術館収蔵の「春の雪」という作品。ここから先は例によってのほんの少しの手慰み。お付き合いのほどよろしくお願い申し上げます。

 この作品を間近で見たのは何年前のことだろう。かれこれ三十年以上前だったのではないだろうか。もちろん観たのは足立美術館でのことになる。

 冒頭でも紹介した様に、明治生まれで、近代日本画史において美人画の大家と知られる画家である。この作品などは昭和23年の完成ということのようであるからして、伊東の筆が最も成熟した頃合いの作品ということが云えるだろう。興味がある御仁は詳しい来歴などウィキペディア等のぞいて頂きたい。
 さて、少しだけ作品について書いておくと……

抜けるように白い「女人の肌」と春の雪の相似性。
右の女人の後ろ襟、左の女人の口元をそそと隠すしぐさ、ちらつく柔雪
解き放たれた色香と、押さえこまれた色香の二極性を感じさせる。
押さえこまれた色香は、ジェラシーによるものと観ることも、遠くなることはなさそうだ。

赤い着物の女人はおぼこい。
対して、ベージュの着物の女人はなにやら落ち着き払った佇まいを見せている。あの落ち着きには、「ふん。。。なにさ」というものが感じられて仕方がない。同時に後ろ襟からのぞく市松柄に「粋」を感じさせる。

赤「ねぇチョットォ~見て見て~あの殿方~いけてない?イケメンよね」
茶「あら、あんた駄目ねェ~あんなのに目が止まる様じゃマダマダ修行が足りないわよ、きょうびイケメンよりもイクメンの方が重宝するのよ」
 はたまた、歌舞伎でも観た帰りなのだろうか。
昭和23年も令和の今日も視線の先にあるものはあまり変わりはなかろうか。

 傘は「男傘」のようである。表地の柄は単色でシンプルにしてあるが、受け骨、下骨は色使いがグラデーションを用いた「粋」が窺われる。男性の背広の裏地への拘りに通じるものがあるのではないだろうか。市松模様の着物下。"当時"の俗を知る上での大きな手掛かりとなるだろう。

そして・・・私の思いを裏付けるがごとく"やっぱり"というものを見つけた。どうもこの絵の構図、「色香」の二極性には、作者の別な意図が見え隠れしているような印象を受けたのだが、どうも、「ストレート」とは違った異世界への興味が滲む。
 今風に書くとすれば「百合」となるだろうか。

 さて、それぞれの着物に紋があしらわれているのはご覧いただいても分かると思うが、実はこの紋がクセモノだった。
特定の図柄によって「男・女」を表す紋があるなど深いモンではないだろうか。


女紋 蔦
男紋 剣片喰桔梗


傘の角度に注目してもらいたい。相手を慮った配慮が窺われる構図ではないだろうか。

それぞれの結った髪の形は"潰し島田"であり、江戸後期から明治にかけて女性たちの間で人気を博した髪型のようだ。装飾を観ると「身分的な差」はないことが判る。

 女子高等で云う処の「おねぇ~さまぁん」というところから、一歩進んだ明確な「役割」と言おうか僅かながらの危なかしさが感じられる作品とも見えて来る。
 はたまた、贔屓の「役者」の出待ちでもしているのだろうか。片方は少女らしい恋心の様なものがのぞくが、一方は、みずから粋を追ったように見える。

してみると・・・傘を握る手になにやらジェラシーが見て取れる気がするのは・・・満更深読みではなさそうでもある。
ウィキペディアで傘・和傘を調べてみると、江戸の頃より「傘」を男女の和合、情交の比喩として用いられていることが判る。

秀逸なる画家の手による一枚の絵のというものは、見るものにとって無限な宇宙を感じさせてくれる。これは国内海外問わずということだ。
当該年代の「俗」を知る上では、十分にその役割を果たしている作品と言えるのではないだろうか。

画をはじめとする芸術全般にいえることだが、メッセージを汲み取る楽しさなのだろう。
草の下に云う・・・芸である。即ち、深層的なメッセージを発信する術(すべ)が芸術ということになるのだろう。
 従ってそのメッセージの答えは一つである必要はない。

 どの道その答えを知っている人々は概ねこの世には居ないのだから。

 世一

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