見出し画像

随想好日 第四十五話『この季節になると想い出す』

 さて、一部においてはケッタ糞を抱える御仁もおられるやもしれぬ。そういう御仁は読まぬことをお勧めしたところからはじめてみよう。

今から、20年ほど前のことになるだろうか。わたしは日本料理職人の実弟と飲食関連事業を立ち上げている。立ち上げから二年ほどが経った頃。お世話になった街に何某かのお手伝いが出来ないものか。大きなことは出来ない。ただ、応援して頂けるお客様や業者の皆さんの立場に立った時、僅かながらでも社会への恩返しの姿勢を知って頂けることはマイナスにはなるまい。
 さて、何が出来るのだろう。
 我が実弟も、わたしも寂しいことに子供がいない。子供が欲しかった。
でも、二人とも子供がいないのである。
 幼少期から少年時代にかけ、週の内3~4日はコメの飯が食えない生活であり、スイトンばかりを食わされ、おやつと云えばジャガバターやトウモロコシ、メロンやスイカ、アスパラばかりを食わされていた。

『どうだい、事情を抱えた子供たちに、一年に一度、3月3日に食事を提供してやろうじゃないか。どうせ施設の中じゃ、海鮮丼なんか出ることはないだろう。花咲ガニの鉄砲汁や、ジンギスカンなんか食えないだろう。世の中にこんな美味いものがあるということを教えておくのも悪くは無かろうよ』

そんなことから3~4年の間だったが、毎年、児童養護施設の子供たちに食事を提供するということに相成った。

最初の年から、子供たちは大喜びしてくれた。2年目からは子供たちは待っていてくれるようになった。
今日もイクラあるの?  泣けてきた。あるよ ! !  甘エビも? あるあるw
職員の皆さんも、丁寧に感謝を伝えてくれた。しかし、二年目に行った時、施設長が変わっていた。施設長は事務方を通じ「私の分は、施設長室に運ぶように」との指示を私たちに齎した。

テメエニ食わせるためにやってんじゃねぇんだよ!!
どのつらして、んなこと言ってやがんだい ! ! 喰いたきゃこっち来て食えや!!私と実弟は、顔を見合わせて文句を言いあったものである。

 想うに、当時の子供たちも既に成人しているだろう。そして、自分たちで稼いだお金で美味いものを食べているだろう。
 覚えていなくても良いのである。精々、自分たちの稼ぎで、今、旨いと思えるものを喰うことが出来ていたなら。裕福である必要はない。夢があり、豊かな今を実感できる暮らしぶりであればそれでいい。
 イクラを食べたとき、花咲ガニの鉄砲汁を飲んだ時、ジンギスカンを食べたとき_________この味……知ってる。
そう感じることが出来ればいいのだろう。

しかし、わざわざ思い出す必要は無いのである。ふとした拍子に、人は必ず思い出す様に出来ている。三つ子の魂百までもというのだから。

我が実弟は、糖尿病を悪化させ、人工透析の毎日。(週に三日)、一日四時間が潰れるそうだ。私も昨年あやうくそうなるところだったが、お陰様でご先祖さまや、天使さんや、神様や、ご守護神様、そして格別なる念を送ってくれた御仁のお陰で命拾いすることができた。
 今となっては何かが出来る身分ではないが、精々当時の子供たちの多幸と健康を祈りたい。
 この季節になると__________思い出すのである。

世一

写真
左奥 実弟
左前 わたし
右 子供たちと先生…… すでに結婚していてもおかしくはない。子供を持っていても不思議ではない。裕福である必要はない。子供にとって温かな親であって欲しい。車の中で留守番させ、パチンコに興じるような親にはならないで欲しい。
 うちはそういうのは無かっただけマシだろう。何と比べてんねんw




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?