相変わらずウソつきな4歳の息子
4歳児の息子。相変わらずウソをつく。
行ったこともない所へ、「行ったことあるよ!」
見たこともないものを、「知ってるよ!」
大嫌いな食べ物を、「食べられるよ!」
全く!とんでもないウソつきです!!!!!
ただ、そのほとんどは、ウソだとは思わずついているもののような気がします。そうだったら良いな、という思いをそのまま口に出すと大人の私にはウソに聞こえてしまうのですよね。この大人と子どものウソに対する意識のギャップが面白くて、最近は息子がウソをつくのを楽しみに待つほどになってしまっています。だって、私の想像力は衰退していて、彼のようなウソがつけなくなってしまっているから。
まぁ、でも4歳ともなると敢えてつくウソも出てきて、どうしたらいいかって悩んだりもするのですが。先日そんな悩みをnoteを書いたところ、
https://note.com/azubeatradio/n/nc3ee80480cc4
読んだ友人がこの本をプレゼントしてくれました。
この絵本は、息子がウソをつくのをさらに楽しみにしてくれました。
この本の中で一番好きなのは、お母さんの一言。
「うちには馬がいるんだよ」
というエイドリアンの言葉に対して
「ぜったい そんなのウソだけど」
と言う主人公の“わたし”に、お母さんはこう言うのです。
「どうしてウソってわかるの?」
息子がウソをついた時、私は、このおかあさんの一言をそのまんま、自分自身に問いかけるようにしました。
確かに息子は、現実とは違うことを言っています。でも、息子の中に「行ったことある」「知ってる」「食べられる」という気持ちが存在することは確かなのですから、その気持ちをウソと呼ぶのはなんだかとても寂しいことなんじゃないかと思うようになりました。彼の想像の中では「行ったことがあって」「知っていて」「美味しいたべもの」だったりするのです。その想像力をウソと呼ぶのは、なんとも貧相で窮屈なことではないかと感じたのです。
この本の冒頭、お話が始まる前に、こんな記述があります。
−やさしい目で見ることをおしえてくれた母へ−
私も、息子を
やさしい目で見たいなあ。
ウソにやさしくいたいなあ。
そう思うのです。
そんな風に思ったら息子が次にどんなウソをつくのかが、楽しみになってしまいました。
ウソと呼ばれずに育つ想像力は、もしかしたらいつかの日か、
スターウォーズのように、ハリーポッターのように、ドラえもんのように、なるかもしれないし!!
ん?飛躍しすぎですか?
でも、間違いなく、私の心の支えになってきたのは、↑↑↑のような大ウソばかりの作品だったりするのですから。
もちろん、
4歳児の嘘。
思春期の嘘。
大人の嘘。
いろんな嘘がありますが。
思春期の嘘とか、、どうすりゃいいんだろね。。。。それはまた先のお悩み。
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